ウルムチから天山山脈に沿って車で3時間ほど走ると、遠方にオアシスのような緑が見え始め、やがて緑が豊かなトルファン市街へ入りました。ウルムチが標高7〜800mだったのに対して、トルファンは標高0m、場所によっては−数十mにもなる低地にあります。シルクロードが盛んな時には高昌国と言われ、現在は、人口二十数万ほどの中核都市になります。砂漠地帯のため乾燥していますが、夏の日差しは強く、我々が行ったときにも、日中は40℃近くありました。市街には高層ビルがなく、落ち着いた雰囲気で、石油で潤っていると聞きましたが、むしろ市街を取り巻くように広がる葡萄畑に代表される農業の方が強く印象に残りました。少し町から外へでると、葡萄畑や、その葡萄を干葡萄にする日干し煉瓦で造った大きな虫かごのような乾燥小屋が目に付き、道路には車より、ロバに引かせた荷馬車でのんびり行き交う様子が印象的でした。この辺りの水源は、遠く天山山脈の麓から地下に穴を掘ってつなげた昔のカレーズという地下水路によって、今でもまかなわれているようです。
トルファンの観光では、まず、交河故城、高昌故城などの古代の城址跡に行きました。城址といっても、すっかり風化して、赤茶けた土塁や瓦礫の跡が延々と続き、それらが強い日差しを照り返し、とりわけ暑く感じました。高昌故城の側に、アナスターナ古墳群という高昌国の墓地がありましたが、この辺りでは、土葬の遺体が乾燥のためにミイラとなるそうです。大きな古墳の中には、埋葬当時のミイラが何体かそのまま置かれていました。
郊外の砂漠へでると、北側に有名な火焔山が連なります。その脇を抜けて、峡谷の渕にあるベゼクリク千仏洞へ行きました。シルクロードが栄えた7,8世紀までは、この辺りでは仏教がとても盛んでしたが、やがて全てイスラム教になります。峡谷にそって、人家ほどの大きさの洞窟がたくさん掘られ、中に仏像や極彩色の仏教壁画がたくさんあったのですが、ほとんどの壁画は偶像を嫌うイスラム教徒によって汚されたり、また、19世紀に来たドイツの探検隊によって剥ぎ取られたり、あるいは、風化して、かすかにその痕跡が残る程度でした。
その他の観光では、18世紀のトルファン為政者を記念する蘇公塔、カレーズの博物館、葡萄溝や農家での干し葡萄の試食などで楽しみました。
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