新幹線やまびこ13号で一関に向かう、一関はその名の通り岩手県の玄関口である。人口13万ぐらい(たぶん。)新幹線も停まる商業都市である。この夏のインターハイではバスケットボールの試合会場になる。
東京は霧雨だったが、郡山を過ぎたあたりで雪になっていた。車窓からの景色は田畑と山の連続。住宅地が見える事はまずない。しかし、慣れ親しんだ景色にやすらぎを感じられるのも事実である。
一関の駅を降りると曇天模様で、雨雪は降っていなかったが、キリリとした寒さを感じた。今晩宿泊すべきホテルを探すも、どこも満室。バスケットの大会で団体客が多く、空きなし。まずは、打ち合わせの場所弥栄小学校へ向かうが、駅からも遠く、バスの本数も無いため、レンタカーを借りて向かう。
この日の一関地方は冷え冷えとして、グランドでは底冷えで、身も凍るほどであった。2〜3時間そこに居て、最後に豚汁をいただく、冷えた体にしみるだけでなく、昼食をとってなかった為、好い腹ごなしになった。
夜は高校時代の友人三船が一関に転勤で来ていたため、「樽や」という居酒屋で三陸の刺身をつまみに一杯やり、昔話やインターネットの事で花を咲かせる。
「すずかでしばれる夜がすぎでった。」
1999.3.20
三連休最終日に当たる東北新幹線の車内は、人々がごった返している。車窓から見える景色も、雪景色〜夕闇〜闇〜夜景へと変化してきた。光が徐々に増えてきて、都心へ近付いてるのが感じられる。
前日の千厩でのロケは無事終了。嬉しい事に、盛岡から親友拓ちゃんが、今千厩に住んでいるという大学時代の友人えっちゃんが子供を連れて見に来てくれた。ありがとう。
ロケ中は室内の為そんな寒さを感じなかったが、外に出ると寒かった。次第には雪がちらついてきた。3日前岩手県でも20℃になったと言うのに、この寒暖の差は体に悪い。その上、盛岡へ帰る道は雪が降り続き、どんどん強くなっていく。紫波を越えた辺りから、雪の粒が変わり「積もるな!」とスタッフと言っていた。
その予想は見事に当たった。
「養老の瀧」で拓と高校の先輩長澤さんと飲む。ハンドボール談議やパソコン関係のはなしで盛り上がる。
店を出た24:00頃に成ると外の雪は20cmを越えていた。3月末なのに。
今日の朝になっても昨日より少なくなっていたが、降っている。30〜40cmになっている。
盛岡駅に帰りの切符を買いに行くと30人ぐらい並んでいる。観光客やSKI客が殆どだ。予約をしようとしたら11:45分現在で、18:54発まで空席なし状態。それに乗って帰ると家に着くのは23:30。一応席はキープしておいてその前の自由席に並んで乗る事も頭に入れておく。
その後、電巧堂に行ってFAXを購入。秋葉原や郊外家電店舗に行ってもなかった値段で購入。子機2台、ハンドスキャナー、ナンバーディスプレイ付きで\39,800。
この金額提示で同機種がYAMA○電気で\47,400が精一杯。秋葉原では\50,000切るのがやっとの状態だった為、またもお得なお買い物をした。
午後に拓ちゃんちでISDNのセッティングをして、いつでもInternet接続が出来るようにしておく。途中、中学時代の友人雅美(♂)も合流。中学3年間同じクラスだった為、結構仲がいい。“ちなみにこの2人恋人募集中。盛岡近辺で2人に会って見たい方メール下さい”
そんな事はどうでもいいが、遅いランチを取りに「とんかつ二幸」に。ここは元オークラかどっかでやって居た人が調理する店で、盛岡でもとんかつがおいしい店である。今回はひれかつ定食\1,250を注文。サクッとした衣に、ひれ一本。ちょっと臭みがあるかな?ってところをおろしじょうゆでカバー。(写真撮り忘れた)
上野蓬莱亭のひれかつの様で値段は半値以下。
まだ、外の雪は降り続き一同びっくり。
16:20に盛岡駅に入り、自由席確保で早めに帰ろうと決めた。16:29分発の車両はもう一杯。なぜか隣に16:01発の車両が待っている。
17:16分発のやまびこに乗車するため待機。その途中こまちが遅れて16:01分発の新幹線が待っていたことが判る。
17:16分発の席を確保して、ビールでも買おうかと思ったら、こまちが50分遅れの為発車が18:04分になると。それなら、17:29分発の方へと急遽移り、席を取る。そこで、また大失態!後で時刻表を見ると18:03分発のやまびこに普段から抜かれることが判明。つまり、さっきのやつの方が早く東京に着いたのである。戻ろうにも後のまつり、もう、向こうは鮨詰め。諦めて寝ていくことに。
降りつもる雪、雪、雪また雪よ。
1999.3.22