
2009年夏、バルセロナ空港。
スペインの携帯電話に登録されている友達に、順に電話をかける。
電話が繋がると
「これからポルトガルに飛ぶのだけど、向こうで歩くのが恐くなってきたの・・・」
いっそ、誰かが『行くのをやめたら』と言ってくれたら、このままバルセロナに留まって、国内のどこかへ移動したかもしれない。
むろん、そんな人ことを言う人はいない。
すでにボーディングパスも手にしている。
頼りのイサベルには繋がらないから
[もし今パソコンが使える環境にあるなら、ポルトからサラマンカ行きのバスを調べて。もしあれば、バスでサラマンカへ行って、『銀の道』を歩くから。]
休暇中の彼女のそばに、パソコンがあるかはわからなかったが、短いメッセージメールを送っておいた。
去年の夏の終わりに、巡礼で行き着いたサンティアゴで買った本が、『ポルトガルの道』だった。
いつも気に入って愛用している『エル・パイス』社から、新しい本が出たのだ。
迷わず買った。
そのときいた、まわりの友達にも、
「来年は『ポルトガルの道』よ。」
と表明していたけれど、夏が近づいて、正直、日本を出発する前にも、ピンとこなかった。
ひとつの理由は、日数の関係で、リスボンから歩けないこと。
大好きなリスボンからスタートできない!なにか中途半端な気がしていた。
その100kmほど先の、トマールという街からスタートを決めてみたものの、戦闘意欲がわかなかった。
また、ガイドブックを繰ってみると、巡礼宿がない。
消防署に泊まるとある。 どんなところなのだろうか。
道しるべはちゃんとあるのだろうか?! 人々は親切なのは知っているが、スペイン人と違うことも知っている。
かと言って、他の道へ行く強い動機もない。
とりあえず、いつかリスボンから歩くとして、今回は下見のつもりで行ってみようと、かなり消極的に決めたのだった。
それがまた、空港に着いておじけづいた。
「道」のこともさることながら、今日のことさえわからない。
ポルトに到着するのは夜の8時過ぎ。
空港から街の中心に行くバスはもう終わっていると、手持ちの古いガイドブックには書いてある。
なんとか街までたどり着けるか。 ホテルは取れるだろうか。
準備が足りなかったと言えば、それまでだけど、私の旅はいつもそんな感じ。 どうにかなると思えたのに、楽天的にはなれなかった。
アナウンスが流れ、長蛇の列に並ぶことにした。
覚悟を決めて、並び、周りをきょろきょろする。
親切そうな人をみつけ、せめて街の中心への行き方を聞いてみようと思った。
9割以上がポルトガル人のようだったが、話しかけにくい。 機内は自由席であるから、なんとか『親切な人』の隣に座りたい。
藁をもすがる思い。
目をつけたのは、若いカップル。
席に座り、まず挨拶。
「スペインのかたですか?」
「私たちはポルトからです。」
「それは失礼!」
と、言いながらも、心の中で 『しめた!・・・』
二人は、ファッション関係の仕事をしていて、バルセロナには仕事とバカンスを兼ねてきていた。
聞いてみると、ポルトの空港から地下鉄が数年前からできて(私のガイドブックは古すぎた!)簡単に街まで行けるという。
また、安ホテルが集まる場所を教えてくれた。
その後も話は尽きなかった。
文化の話、仕事に話、巡礼の話、日本の話・・・・・ そんな会話の中で、私は決めた。
『やっぱりポルトガルの道をあるこう!』
この二人に会わなかったら、そんな気持ちになれなかっただろう。
女性の方は、ブラガの出身で、ブラガで見るべきものを地図に書きこんでくれた。
ブラガは予定の巡礼路から30km離れているから、そのために、余分に一日必要となる。
トマールからではなく、もう少しサンティアゴに近い、コインブラからスタートしよう。
そうすれば、ブラガにも余裕で行ける。 今年はいつものような、自分をプッシュする歩きではなく、時間に余裕を持たせた、ゆっくり旅にしよう。
そう切り替えると、さらに気持ちが軽くなった。
二人は、地下鉄に一緒に乗り、私が降りる駅まで一緒だった。
すでに私の中に、いっさいの不安はなかった。
ポルトにくるのは久しぶりだった。 少しは土地勘があるので、教えられたホテルが集中する地域に行き、一番最初に見つけたところに入る。
30ユーロだという。
ああ、まだポルトガルは物価が安いのだ。
今日はここに決めよう。
私は疲れて、鍵をもらっても部屋に行かずに、レセプションの隣のバーでビールをもらい、パソコンのメールチェックをした。
クレデンシャル(巡礼手帳)をもらえる場所も確認して部屋にあがった。
宿のおじさんは、親切に協力してくれたのも心強かった。
部屋からは、街の広場が見え、うきうきしてきた。
7月20日
ポルトからコインブラへ
午前中は、クレデンシャルをもらうことを一番の目的とし、少し観光をして、午後のバスに乗って、コインブラへ移動しよう。
スペインとは一時間の時差があるから、早々と7時半にはホテルを出て、となりのカフェで朝食。
やっぱりポルトガルへ来たら、甘いものは外せない。
迷ってしまう品揃えだが、まずはパステル・デ・ナタ。 トーストとコーヒーも頼んで待っていると、5cmもある厚さのトーストが目の前に。
おいしいし、値段もスペインの半分。 ユーロに通貨が変わっても、まだまだ安いポルトガル。
国鉄の駅に行ってみた。
二昔前にるみこさんとたどり着いた、思い出の駅。
今も変わらない、すばらしいアズレージョ。(タイル装飾)
わぁ〜、やっぱりいいなぁ。 かつてポルトガルが大好きだった頃の自分に戻っていた。
ここでコインブラ行きの列車の時刻表をもらうが、別
の駅までバスでいかなくてはいけないという、
わずらわしさゆえ、長距離バスで行くことに決めた。
バスステーションまでの坂を上り、チケットを購入。
次は、巡礼オフィスでクレデンシャルのゲットだが、昨日調べた場所に事務所はなくなっており、
今は、カテドラルでそれをもらえるという。 元々は要塞として12世紀に建てられ、17~18世紀に改修されたカテドラル。
絵はがきを売っている売店で、クレデンシャルをもらう。
係のおじさんは、とても好意的で、これからの道行きを、応援してくれるように感じられた。
少し先の、ドウロ川にかかるドンルイス1世橋まで行ってみよう。
二階建ての美しい橋と川。エッフェルの弟子が造った。
下には川沿いに並ぶレストランや、ポートワインの醸造所、そして樽を乗せた帆掛け船が、20年前と同様、浮かんでいる。
時間が来て、市場に寄って、さくらんぼやいちじくを抱え、バスステーションへ。
近くのカフェで軽い食事も済ませ、いよいよバスに乗ろうとした時、イサベルから電話が入った。
「飛行機で親切な人に出会って、ポルトガルの道を歩くことにしたから、もうだいじょうぶよ!ありがとう!!」
14時に出発、コインブラに15:30に着。
インフォメーションまで行き、ホテルを紹介してもらうが、近くのホテルは軒並み満室。
ここにも巡礼宿はないから、ユースホステルを目指すことにした。
まずはサンタクルス修道院に行ってから。
1131年にルフォンソ・エンリケスによって建てられ、16世紀にマヌエル一世が改装....
アズレージョがとてもきれいだ。
その後、かなりの坂を上らなければならず、暑い中、苦戦した。
ユースホステルの受付の人は感じよく、個室が空いているという。
巡礼者なら歓迎だが、一般の観光客と混じる気力がなかったので、迷わず個室を選ぶ。
シャワーもトイレも付いた、こじんまりした部屋で、質素であるが、快適だ。
ここからは、どこに行くにも、急坂を下らなければならない。
近くのカフェで、ビールと軽いものをつまみ、教えてもらったパソコンがある図書館で、しばらくメールチェック。
いよいよ明日から歩く・・・という実感も薄い。
やはり、環境のせいかもしれない。
まだ、巡礼者らしい姿もみていない。
それらしい人がいるというウワサも聞かない。





















09.7.21Mealhada22.4km
朝食はなつかしいポルトがルのパン。
パンとケーキは素朴ながら、どこで食べてもハズレがないのがうれしい。
朝食の時間は規定より早めてもらったものの、出発は8時。
せっかくなので、観光しながら行くことにした。
一旦大きく下った後、大学の中を通
ろうと、階段を上る。
ここも坂が多い街だ。 コインブラは大学の街である。
まだ、人影まばらな校内をめぐり、鉄の門あたりから、旧カテドラル(1162)、そして新カテドラル(1508年)を見学。
ふたたび大学を通って、美しい門から街の中心に出た。
しばらく、モンデゴ川に沿って巡礼路があった。
すでに9時を回っていた。
今日はのんびり行こう。
黄色い矢印は、かろうじてある程度。心細い。 (サンティアゴ巡礼は、黄色い矢印や、ホタテ貝の道しるべを見ながら進んでいく。ちなみに今回は、『ファティマへの道』の道しるべである、青い矢印もたくさんあった。)
矢印の数が少ないから、見落とすと、とても不安になり、戻って確かめることになる。
いったいこの道を歩いている人はいるのだろうか?!
今夜はどこに泊まるのだろうか!? 舗装された大きな道ばかりを歩いていく。
ひとけのない沿道には、コンクリート製のナミナミ型が付いた、真新しい洗濯用のシンクが並んでいる。
いまだに製造しているのだ。
次は家庭用と見られるレンガで作ったオーブン。 庭に置くのだろうか?
これでお肉を焼いたらおいしいだろうなぁ。
昔風だけど、豊かな生活。
一日目の目的地にやってきた。
ポルトの先に行くまで、巡礼宿はない。
ガイドブックには、ボンベイロ(消防署)が巡礼者の宿だと書いてある。
いったいどういうことなのか、想像もつかない。
本当に泊めてくれるのだろうか・・・・・
受付に行くと、クレデンシャルにスタンプを押してくれた。
ひと安心だ。 そして、奥へ案内してくれた。
奥・・・の奥で、一旦外に出て、大きな建物に入る。
体育館だった。
あっ、先客がいる!!!
うれしいなぁ。 誰だろう?! いい人だといいなぁ。
マットの横のリュックのそばに、大きな靴が置いてある。
男の人かなぁ? 次に、サッカーのゴールに目をやると、大きな女性ものの下着や服が干してある。
きっと、大きな女の人だ。 ドイツ人に違いない。
厚いマットレスがたっぷり用意されていた。
これを引っ張って好きなところに持っていけばいい。
体育館で寝るのは避けたいところだが、こんなマットレスさえあれば、十分だった。
この道は、ホテルを使わなければいけないことが多いので、お金がかかる。
もちろんボンべイロは無料である。
なるべくこんな貴重な体験もしたいし、巡礼仲間にも会える。
私も洗濯をし、ベッドメイキングを済ませ、外に散歩に出た。
特に面白いものはない。 barで軽いものをつまんでビール。
何か手持ち無沙汰で、すぐに出てしまう。
帰りにスーパーでスナック菓子や果物を買った。
ボンベイロの建物の上に、『82周年』と書かれた垂れ幕が見える。
そんな写真を写しながら、ボンベイロのbarに顔を出してみると、男性ばかりの外の席で一人ビールを飲んでいる女性がいる。
大きな女性である。
次の瞬間、お互いが指を指しながら近づいて・・・・
「巡礼?」
私もすぐにビールを注文し、同じ席に着いた。
女性の名前はニンチェ。
ドイツ人だった。
いや、国籍を超えて彼女は「巡礼者」だった。
フランスの道は歩いていないけれど、「北の道」も「銀の道」も歩いていた。
そして彼女がこう聞いた。
「あなたもはじめての巡礼じゃないでしょ?」
この『ポルトガルの道』を、ポルトからではなく、このあたりで歩いているのは、よっぽどの物好きなのだ。
彼女の出発点も私と同じコインブラから。
つまり、今日がスタート。
すっかり意気投合した二人は、過去の巡礼の話で盛り上がる。
新しくビールをカウンターで追加して戻ってくる私は
「ねえ、やけにこの国の物価って安くない?」
「シ〜〜〜っ!」
そうかぁ。安いのがばれたら値上げしちゃうかもね。
大笑いしながら、彼女ももう一本ビール。
1ユーロでもおつりがくるのだ。 ニンチェは、
「おつりはいらないからとっておいて。」
そう言うと、気をよくしたカウンターのお兄さんは、私にまでおかわりをくれた。
そのうち、どうも今日が『82周年』ということがわかってきた。
私たちは、
「なんで82年?80年とか85年ならわかるけど。」
「41の二倍?」
「それ以外に考えられない!」
「わ〜い!41年の二倍だぁ、おめでとう!」
大笑いしながら、とにかく今日はこの消防署が創設されて、82年なのだと納得。
いかつい男がやってきて
「悪いんだけど、8時から9時まで、サッカーの試合をやりたいんだ。その間だけ、君たちのものを、倉庫に入れてもらっていいかな?」
「はいはい」
私たちは一旦、体育館に戻り、ニンチェはサッカーのゴールから洗濯物を外す。
私も、荷物を倉庫に入れる。
あとで考えたら、そりゃあ、ニンチェのゴールはサッカーの必需品だから、無理もないわと納得。
今度は近くのお兄さんが、ビールを二本持ってきて、ごちそうしてくれた。
今日は一年に一度のお祭りなのだ。
翌日歩く予定のページを繰っていると、ニンチェはこう言った。
「明日は、このガイドブックの二日分を歩くわ。」
確かにこの二日をあわせても41kmだった。
いつもなら、歩いてしまう距離だが、今回は無理をしたくなかった。
だからこそ、コインブラから始めたのだった。
「ポルトに友達がいてね、彼女と一緒に歩く約束をしたの。早めに行かないとならないのよ。」
「え〜〜っ!
?また明日も会えるかと思ったのに!」
「でもね、その彼女は足が遅いのよ。こんな約束しちゃって、ちょっとまずかったかもしれないわ。」
私もニンチェも、一人で歩くことなんて、なんてことないのはわかっていた。
中ではハッピーバースデーの合唱が始まった。
見ると、二人の子供がいくつかのケーキに灯されたローソクの火を消している、 ニンチェは
「あの誕生日ってのは、あの子たちの?それともボンベイロの??」
82周年のお祝いに、誕生日ケーキ...というのは、わかるようでわからない。
これにも大笑いしていると、ケーキのお裾分けが運ばれてきた。
今度は体育館と消防車がずらりと並ぶ車庫の間で演奏が始まった。
隊員が、輪になって、あまり上手とは言えない吹奏楽を披露。
それがまた、いつ終わるともなく、盛り上がりもなく続くのだから、おかしくてしょうがない。
体育館の中を見れば、9時をとっくに過ぎているのに、まだ白熱の試合。
きっと「82周年記念試合」なのねと、大笑い。
ニンチェとの巡礼初日の夜は、記念すべき楽しいものだった。






































09.7.22Agueda25.1km
6時半に起きると、ニンチェは出ていくところだった。
寝袋の中から、彼女を見送った。
7時に出発。
外は寒そうな曇り空。
最初の10kmは、ひたすら前へ進む。
12km地点の村で、パンとコーヒー。
さらに8kmほど行って、キャベツのスープ。
ポルトガルの定番だ。
店を出てすぐに、巡礼と思われる男性に遭遇。
聞けばベルリンから来て、フランスのル・ピュイからサンティアゴに行ったあと、これからファティマに行くのだと言う。
今まで、100メートルほど先のbarでニンチェとお茶を飲んでいたから、彼女はせいぜい200メートル先を歩いていると言われる。
めったに会わない巡礼者だし、ついつい話が長くなった。
「昨日はボンベイロの体育館に泊まったのよ。」
「僕は赤十字に泊めてもらった。」
そんなお互いの情報交換は貴重である。
ついつい話も長引いて、ニンチェとの距離はさらに離れ、もうどうにも追いつけなかった。
今日は特にアスファルトの道ばかり。
工場街も通り抜け、退屈な道が続く。
やっとAguedaの町に着いた頃には、雨が降り出していた。
たくさんの人に道を聞きながら、やっと丘の上の 「レッドクロス」にたどりついた。
子供たちが工作の教室に来て、賑わっていた。
周りには、レストランもカフェもない。
二階には二部屋あって、男女が分かれている。
夕食は、希望すれば3ユーロで食べさせてくれると言う。
食堂に行くと、10人くらいの人がすでに食べていて、骨付きの豚肉やポテト、デザートはライスプディング。
万国共通の学食の味付けだが、ありがたい。
私の部屋にはベッドが5つほど置いてあるが、とうとう誰も来なかった。
後で気づいたが、ここには男性が多く宿直し、普段は女性部屋も男性が使っているようで、今日は私のために、部屋をあけてくれ、リビングルームで寝てくれたようだった。












09.7.23AlbergariaVelha16.1km
今日は距離は短いが、道案内不足で、結局20km以上を歩くはめになる。
まずは、昨日町に入った地点まで戻ろうとすると、団地の住人が熱心に呼び止める。
ポルトガルでは、こんなに巡礼に協力的な人は初めてで、ありがたいけど、遠回りしても、確実な道を歩きたかったので、少し困った。
せっかくの親切なので、矢印のない方向に、いちかばちか歩いてみた。
かなり進んだ後、どうやら方向は間違っていない様子。
そしてやっと矢印もみつかり一安心。
店をみつけ、コーヒーとハムサンド。
感じの良いお姉さんが道を教えてくれた。
とにかく、こまめに道を聞いて進めるしかない。
次の村までは、ずっと家並みが続いていた。
しかし、その後、また変な場所へ迷い込んでしまった。
もういやになってくる。 あと5kmなのに。
人に聞こうにも、誰もいない。
高速と幹線道路が複雑に交差する地点なので、車はたくさん走っている。 地図を見ながら勘で進んで行った。
高速のとなりにある砂利道。
こんなに長いのはおかしい。
しかも、木いちごのツルがのびて、棘が邪魔だ。 いくら歩く人が少ない道でも、これだけツルが伸びるのは怪しい。
せっかく来た道だけど、もう一度戻ってみると、トラックが止まっていた。
藁をもすがる思い。 道を聞くと、ドライバーはドアを開けて出てきてくれ、複雑に交差する道の果
てである、行くべき方向を示唆してくれた。
とは言っても、こっちに渡ってからしばらく歩き、また道を渡って方向を変える・・・、しっかり頭に叩き込まなければ、すぐに方向感覚がにぶる。
なんとか目的地にたどり着いた。
ここには、私営巡礼宿のマークがガイドブックに載っている。
本当にあるのだろうか?
目的地に着くと、まず市役所に行ってみた。
そこで紹介された場所は、教会の事務所兼、町の集会所のような建物だった。
教えてもらった教会の近くまで来て、barで道を聞きながら、一休みすることにした。
熱々のハムとチーズのホットサンドとコーヒー。
店の人に聞くと、まさに向かいの家が、司祭様の家で、そのとなりの建物の鍵を持っているのだという。
休んだあと、向かいの家のベルを鳴らしてみたが、誰もいない。
もう一度barに戻って、飲み物を追加し、見張っていることにした。
日記を書きながら、時間をつぶして、再び向かいの家のベルを押す。
まだ帰ってこない。
入り口のベンチにしばらく座っていたら、おばさんが訪ねてきた。 同じようにベルを押す。
もちろん、内側からの応答はない。
私が困っていることを訴えると
「携帯に電話してみるわ。」
と言って、携帯を取り出したものの、番号が登録していなかった。
「今からうちに帰って、うちから電話してあげるからね。」
こう言って帰っていった。 しばらくすると、また別のおばあさんが訪ねてきたが、あきらめて帰って行った。
しびれをきらした私は、となりの教会に、様子を見に行った。
教会の中を一回りして出て行こうとすると、隣の小さいドアが開いている。
もしかしたら、この中に司祭様がいるのかもしれない。
中をのぞいてみると、4人の女性が沈痛な面持ちで座っている、 見たわけではないが、その手前に、棺のようなものが置いてあった。
想像するに、亡くなったばかりの人が、ここに安置されているように見えた。
あわてて部屋から出ていくと、中にいた女性が追ってきて、話を聞いてくれた。
仕方なく、市庁舎に戻り、まだ建物の中に入れないことを訴えると、
「だいじょうぶ、ちゃんと開けてもらえるから。でも、もしかしたら、その近くにある消防署でなんとかしてくれるかもしれないわよ。」
そう言われると、とにかく何でも良いから落ち着きたかったので、消防署に行ってみた。
すると、ここではシャワーを貸すだけだと言う。
どうやら、あの建物の中で寝て、50メートルほど離れたこのボンベイロで、シャワーだけ借りるシステムになっているらしい。
肩を落として元の場所に戻ると、一人の男性が、鍵を持って建物の入り口を開けてくれた。
この人が司祭様?
いや、建物の中で作業をしていた人だった。
鍵を私に渡し、部屋を案内してくれた。
そこにはベッドはなかったが、奥から一つのマットレスを持ってきてくれ、段ボールを広げてガムテープで固定された上にそれを置く。
まるで、一人以上の客は来ないかのような。
毎日一人の巡礼がここで眠る。
この場所が、巡礼のための神聖なものに感じられた。
部屋はそこそこ大きくて、椅子が周りにたくさん置いてある。
マリア様が置かれているが、殺風景な部屋でもあるから、普段は宗教的な集会でもしているのかもしれない。
ここは、一階にあたる。 トイレや洗面所も近い。
私専用の出入り口は一階の裏にあるが、正面玄関は、二階にある。
上では、先ほどの男性が作業をする音が聞こえる。
なんとなく安心だ。
やっと荷物も置いて、先ほどのボンベイロでシャワーを借りてさっぱり。
おいしいものでも食べに行こう。
本格的なレストランはまだ開いていないが、ピザくらいなら食べられる。
帰りにスーパーにも行って、果物と水を買う。
洗濯物を干しながら、外に椅子を出して日記を書く。
日も傾いたので中に入った。
すでに作業のおじさんは帰ってしまった。
誰もいない大きな建物に一人。 貴重な経験ながら、やっぱり心細い。
作ったベッドに目をやると、
『きっと、ここで一日前にニンチェも一人で眠ったんだわ。』
こう思うだけで、励まされる思いだった。
早めに床に入ると、上の正面
玄関から、どやどやと人が入ってくる音がした。
おお!仲間が来たか!?
期待を胸に、私は上に上がって耳を澄ました。 賑やかな声・・・・は、会話になっていない。
それぞれが、悲痛なほど、声をあげてお祈りをしていたのだ。
想像するに、さっき教会にあった亡骸をここに移し、お祈りをしているよう。
会えなかった司祭様も、おそらく一緒であるに違いない。
彼は今日は特別に忙しかったのだ。
私はそれを見届ける勇気もなく、部屋に戻った。
一人で歩くことも、一人で泊まることも恐くない私であるが、何より『おばけ』の存在が恐いのだ。
そこにフェルナンドから電話。 フェルナンドは、「フランスの道」で出会って5年来の友達だ。
「今、ちょっと恐いとこにいるの。」
なんてタイミングがいいやつなんだ。
音楽を小さな音で聴きながら眠ることにした。
音楽と二階のお祈りは、独特のハーモニーを奏で、意外にも早く眠りにつくことができた。













09.7.24SaoJaoDaMadeira28.5km
6時に起きたが、ゆっくり支度していたから、45分過ぎになって出発。
教会にお礼をし、道を間違えないように慎重に歩こうと誓う。
田舎道に入ると、大きな水たまりができている。
靴の先を濡らしながらも、どうにかこうにか渡り終える。
一つめの村で、ロールケーキとコーヒー。
次の町で、炭酸水とチーズサンド。
この店で『道』を聞くと、親切な店主が、わざわざ道しるげがあるところまで連れて行ってくれた。
ホタテ貝の道しるべを見たのは、これがこの道で初めて。
しかし、この先に「道しるべ」が続くわけではなかった。
通りがかった町でおもしろいものを見た。
ペットボトルを半分に切り、口が付いている方に、長い棒をくくり付け、リンゴを採っている。
しばらくそれを見ていた。
あと、8.7km。 町の名前がSantiago。
ここなら『道』を知っている人がいるかもしれない。 レモネードを飲んで聞いてみるが、わからない。
道を聞くために店に入る。 聞いてもわからない時は、とにかく休んでん落ち着いてから考える。
沿道に住む人には、まだまだ理解されていない。 聞いてもわからないし、協力的でもないことも多いから、本当に滅入ることもある。
しかし、たまには励ましてくれるおばさんも現れる。
あと4km地点で会ったおばさん。
やっと町に入った。
いや、町ではなく、大きな街だ。 いきなり大きなショッピングセンター。
ガラス張りの、ファッショナブルな建築。 暑さが増してきた。
大通りを進めども、もう黄色い矢印はない。 こんな街に住む人は、どこよりも巡礼に関心がないものだ。
ここでは、ボンベイロに行けと書いてあるので、人に聞いてみるが、けっこう遠いようなことを言う。
何人もの人に聞きながら、やっとボンベイロへやってきた。
入り口の前には、記念碑が立っているような、りっぱなもの。
スタンプを押してもらい、入り口で少し待つように言われた。 車で3km離れた場所まで行くという。
待っていたら、救急車が目の前に止まり、乗るように指示された。
ここには現在ボンベイロの事務所があるだけで、機能は3km離れた場所に移転していた。
連れて行かれた先は、何もない、田舎の楽しさもない、殺風景な場所だった。
行くところと言えば、ボンベイロ経営のbarしかない。
案内されたのは、やはり体育館だが、こぎれいな更衣室に案内してくれた。
ここにはトイレもシャワーもたくさんある?!
中まで分厚いマットレスを運んでくれた。
やっぱり今日も、一人のようだった。
明日は、いよいよポルトに入るから、きっと仲間が増えるだろう。
ただし、35kmあるのだから、なるべく早く出発したい。
出発の時も車で送ってくれるのだろうか?
聞きに行くと、何時が良いか聞かれた。
あまり早いのは悪いかと、遠慮がちに7時にした。
本当なら、6時にでも出たいところだが。 集合場所も、念入りに打ち合わせしたけれど、本当に来てくれるのか、不安はつきない。
今日は、暑い中を歩き回り、疲れ果
ててしまった。
心休まるような、田舎の景色が少ない。 道が舗装路だから仕方ない。
おなかの調子が悪かったので、今日は持ってきたおにぎりを二個、作ることにした。
水を入れれば1時間。(お湯なら30分)サケと梅のセットだ。
これが案外おいしくて、おなかの調子が悪かったはずなのに、barにおもむくことにした。
何か食べるものはないか・・・
ポテトチップしかない。 しかたがない。
ポテトチップをつまみながら、ビール。
他になにもすることがない。
ポルトガル人はスペイン語が理解できるとか、英語を話す人が多いとか、確かにそういう傾向はあるけれど、実際にはそうでもない。
人々は親切でシャイ・・・、めんどくさがりや?
気力に欠ける気もする。
向こうから話しかけてくることはめったにない。 あ〜、早くスペインに入りたい。














































09.7.25Oporto34.4km
今日は、長い長い一日だった。
7時少し前に、昨日約束した場所に行ってみたが、誰もいない。
見回すと、テレビで見たような、本格的な消防署。 無線機がたくさん並び、大きな地図が壁にあり、管轄の地域がランプで示されるようになっている。
写真もたくさん貼ってある。 女性の団員も多い。
なんだか、自分まで強くなったような気がする。
この気持ちを共有できるのは、初日に会ったニンチェしかいない。
彼女にまた会えるだろうか?!
7時を15分過ぎても誰も来ない。
・・・と思ったら、入り口あたりで音がした。
来た人に聞いてみたが、何もわかっていない様子。
さらに15分経って、やっと来てくれた男性二人と、救急車に乗り込む。
街に戻ってきて、
「どこから歩くの?」
と聞かれた。 戻りたくはない。できれば、少しでも駒を進めたところで下ろしてほしい。
「『サンティアゴの道』で下ろしてください。黄色い矢印があるところね。」
「何?黄色い矢印って?」
彼らはそんなものは見たことがないという。
しかし、なかなか見つからない。
ぐるぐる回って、やっと矢印が見えた!
「ほら!あれだよ!あれ!!」
「えっ???どこ?????」
二人には全く見えない。 しまいには
「この下の長い黄色い線のこと?」
この時点で、7時55分。 Malaoostaまで7km。
近辺のカフェでハムとチーズが入ったパンの朝食。
ポルトガルの朝食は、おいしくて、栄養満点。 ローマの道があると書いてあるが、あっという間に終わってしまった。
その先のFerradalに入ったとたん、矢印を見失った。
無理もない。朝市で隠れてしまった上、たくさんの人でごった返していたからだ。
なんとか次の街までたどり着いたけれど、また見失ってしまい、親切なおじさんがついてきてくれた。
まったく、この道の矢印というのは、宝探しのようなもの。
どこかにあるのだけど、長く伸びた枝で隠れていたりなので、疑わしきあたりの、草をどけてみるとか、首を斜め後ろにまわしてみるとか、推理が必要になってくる。
ますます暑くなって、今日みたいな日は、逃げたくなる。
腐りながら歩いていると、涼しそうなガレージで、10人くらいの家族が昼食の最中。
『いいなぁ〜』 と思いながら、通り過ぎると、背後から呼び止める声。
「ベナキー!!(おいで〜!)」
えっ?私???
行ってみると、席をあけてくれ、一緒に食べて行けという。
呼んでくれたのは、パリに長く住むファミリーが、実家に友人や息子の家族と帰郷して、バカンスをポルトガルで楽しむ人たちだった。
真っ赤な顔をしたおじさんが、食べ物を勧めてくれる。
向かいには、 息子夫婦。奥さんはフランス人。
おじさんのお兄さん夫婦もいるし、フランス人の友達と、その奥さんのモロッコ人。
みんな、両手を広げ迎え入れてくれるような人たちだった。
帰りには、凍らせた水を二本持たせてくれた。
気持ちはすごく前向きになれた。
その後は素敵なローマの道が長く続いた。
しばらく行くと、ポルトの郊外の大きな街に着く。
ここを抜けるのが大変。 大通りに人も車もたくさん。 お店もいっぱいなので、買い物もしたいけど、それどころじゃない。
いつまでたっても抜け出せない。
やっと、ポルトの街を走る見覚えのある路面電車も見えてきた。
それでもなかなか橋まで遠かった。
いよいよ、「ドンルイス1世橋」が見えてきた。
その橋は、つい数日前に来たばかり。
なのに! なんという感動。
川にオレンジがかった西日が注ぎ、水面が光っている。 なんともノスタルジックでもあり、感動的な風景なのだろう。
タイミングが良かったこともあるけど、苦労して歩いてたどり着いた気持ちが、さらに盛り上げているのかもしれない。
橋の近くには中華料理の店がある。
今日はここにしようかな。
ここにはボンベイロもないし、もちろん巡礼宿もないから、先日泊まったホテルに行こう。
ちょうどホテルの前に着いた時、5〜6人の人が入って行くのが見えた。 すぐに入っても、待たされるだろう。
外で躊躇していると、4人の女性が話しかけてきた。
一言で、なつかしいことばの響きと、その人なつっこさ、親身さに、スペイン人だとすぐにわかる。
「あなたは巡礼?ここには巡礼宿はないのよ。」
別の人が
「○○通りに行けば、そこにもいくつか安いホテルがあるわ。 私たちは、橋の近くのホテルにいるから、見つからなかったら、そこへくればいいわ。」
「みんなはどこの出身なの?」
「私はバルセロナ、彼女はオビエド、ビルバオ、そしてこっちの彼女はサンタンデール・・・」
「あっ、『北の道』ね!」
「そうね〜、歩いたの??」
こんな会話が弾み、写真を撮って別れた。また近いうち、会えるといいな。
ホテルに入ると、前回とは別
のおじさんがいた。
足をバスタブで冷やし、シャワーも浴びて洗濯も済ませ、食事に行く。
一回りしたが、あまり店は開いていない。
やっぱりあの中華料理にしよう。
この日は、二人分の中華をたらふく平らげてしまった。























