
09.7.26SaoPedroDeRates37.1km
09.7.27Barcelos15.5km
09.7.28PonteDeLima33km
09.7.29(Braga)
09.7.30Rubiaes18.2km
09.7.26SaoPedroDeRates37.1km
昨夜はお祭りだったのか、明け方まで音楽が聞こえ、眠れなかった。
こんな日に37kmは気が重い。
でも、一つうれしいのは、今日から巡礼宿があり、やっと巡礼らしくなるのではないかという期待があった。
ポルトの街は、やはり広いので、街を出るのが大変だった。
昨日のお祭りで飲み過ぎた若者が、路線バスの前で寝そべっている。
酔っぱらい過ぎだ。
日曜だというのに、数件のカフェが開いていたので、昨日買えなかった、朝食のパンやケーキを買った。
朝靄のポルトもなかなかよい。
街の終わりに聖母教会があって、そこに白く靄がかかり、幻想的であった。
そこまで来て、道しるべの矢印が消えた。
人に聞いてもわからない。
大きな街に入るのは簡単だが、出るのは難しい。
なんとか方向をつかみ、矢印をみつけては喜び、そして再び途方にくれる。
「ポルトを過ぎれば...」 道を良くなると聞いていたのに。
こうなったら、道順はともかく、次の街を目指すしかない。
そうやって、退屈なアスファルトの上をひたすら歩くしかなかった。
ちょこちょこ買い物ができるような村を通
る。
この道では、ほとんど村が途切れることがない。
そんな小さな村を歩いている頃、巡礼者が見えた。
彼は、立ち止まって行くべき道をさがしている。
私をみつけ、その方向を確認して、安堵の表情。
彼もまた、サンティアゴ巡礼を終え、ポルトに向かっているのだった。
「この後、車が多くなるから気をつけて。でも、その先は道がとても良くなるよ。」
おお!良かった! 希望が持てる。
彼はイタリア人だった。
こちらから歩くのも、これだけ苦労なのだから、さぞかし反対側から来るのは、難儀なことと想像する。
ただし、ポルトより手前には、ファティマへ行く人のための、青い矢印が、同じくらいある。
約25km行ったところに、ホテルがあるという。
暑くなってきたし、ここで泊まるのもいいかもしれない。
そんな街に入った時に出会ったのが、ドイツ人のカーメンとオオカミだった。
彼らを見かけ、話しかけようとしたら信号が赤に変わって追いつけなくなった。
すると、別の二人の巡礼が、彼らと合流している。
頑張って追いかけた。 別の二人は、若いイタリア人で、四人は友達かに見えたが、すぐに二手に別
れた。 私はカーメンたちと休憩を取った。
二人は昨日、ここまで歩いてきて、ホテルを探したがない。 親切な人がホテルの場所を教えてくれ、車で行って、今、そこから歩いてきたのだと言う。
この時間に、この場所にいるなんて、よっぽどのんびり屋さんなのだろう。
それにしても、同じ方向を目指す巡礼が、いきなり四人も現れた。
のんびり屋の二人を置いて、一足先に歩き出した。
ここからが、反対側からやってきたイタリア人が言っていた、車が多い道。
カーブの連続でもあるから、たまったものじゃない。 スペインとは、運転手の様子もだいぶ違う。
信号無視もあれば、方向指示器も出さない。歩行者が気をつけなければならない。
こんな道に限って、なかなか終わりが見えない。
後ろを振り向くと、さっきの四人が、一列になって迫ってくる。
そしていよいよ追い抜かされる。 足の長さが違うから仕方ないが、体力の差もある。
まだ道は変わらない。
やっと、田舎道に入った。
ああ、もしかしたら、イタリア人が言った、『これから良くなる』道に、とうとう入ったのかもしれない。
ようやく、目的の村に入った。
期待いっぱいに歩いていくと、そこには見覚えのある、垂れ幕がたなびく巡礼宿があった。
それは、去年アラゴンの道を歩いた時に出会った、ポルトガル人のヌノが着ていたTシャツと同じデザインなのだ。
その彼は、「ポルトガルの道」を宣伝して歩いていた。
彼はグラフィックデザイナーで、たまにこの巡礼宿でボランティアをしていた。 出発前に連絡が取れなかったのだが、チャンスがあれば再会したかった。
感激しながら到着する私を迎えてくれたのは、とても感じが良い若いカップルだった。
内部を見渡すと、古い建物。ここはかつては村の診療所で、受付が残っていた。
「まずは思いリュックを部屋に置いていらっしゃい。手続きはその後でいいから。」
案内された部屋には、先客がけっこういた。
戻って受付で手続きをする。
「ヌノを知ってる?」
「ヌノなら、昨日ここにいたのよ。」
昨日は7月25日、サンティアゴの日。 ここでは小さなパーティが開かれていたのだ。
「後で電話してみましょう。」
残念ながら、電話は繋がらないで終わってしまった。
そこに、必死な形相で現れたのは、あの四人だった。
どうやら道を間違えたらしい。 あの道まで来て、どうやって間違えるのか、不思議なくらいだった。
シャワーを浴び、洗濯を済ませて庭に行くと、5〜6人がベンチに座ったり、芝の上に転がっていたり。
微笑みながら迎えてくれたのが、本を読んでいたドイツ人のギタだった。 同じテーブルに腰掛け、挨拶をする。
「近所の店は閉まっているけれど、ベルを鳴らすと店を開けてくれるわよ。」
今日はこの店で買い物をして、夕食を済ませることにしよう。
買い物を終えて帰ってくると、隣に年配の夫婦がいた。 アイルランドから来た、フレッドとエリーだった。
エリーがアイリッシュで、フレッドがイングリッシュ、もう結婚してからずっと、アイルランドに住んでいる。
ギタは、旧東ドイツの生まれで、今も旧東側に住んでいる。 なかなか明るい感じの良い女性だった。
私たちは、明日の歩きをチェックした。 明日は巡礼宿がない。
いったいどうなるのだろう?1
二人で、ボランティアのカップルに話を聞く。 何でも親切に答えてくれる。 それを見ていた別
の人も、同じ質問をする。
全く同じように、真摯に答えてくれる。 明日はバルセロスのホテルに泊まることになりそうだ。
ボンベイロに泊まることも可能ではあるが、街の中心ではない。
ギタと、同じホテルに泊まろうと約束して寝る。
































09.7.27Barcelos15.5km
今日は短い行程だし、道もなだらか。
途中まで、ギタと話しながら歩き、それぞれのペースで進む。
追いついたり、追い越されたり。
彼女が休憩する場所は、腰掛けるスペースがあるところ。
私はBarでコーヒーを飲んだり、朝食が食べたい。
そんなペースが合わなくなって、最後は見失って
しまった。
バルセロスは、ポルトガルのシンボルである、鶏の物語の伝説がある場所。
この伝説と、全く同じ話が、スペインの「フランスの道」にもある。
サント・ドミンゴ・デ・カルサダ。そちらの方には、今もカテドラルに白い鶏が二羽(生きた)いる。
どちらも、巡礼者の無実の罪を晴らした鶏だ。
さて、ギタはどこに行ったのだろうか?
ボンベイロに興味を持っていたので、そちらに行ったか?
紹介されたホテルに行ったか?
ボンベイロが目についたので、行ってみると、泊まれるのは別のところだと言う。
では、ホテルはというと、街の真ん中にあるという。
そこを目指して歩いていく。
ホテルは賑やかな場所にあり、建物の中に入るとひんやりして気持ちがいい。
今日はここにしよう。
物音を聞きつけて出てきたのは、ギタだった。
彼女も少し前に到着して、なんと私の向かいの部屋を取っていた。
シャワーを浴びて、のんびりしてから外に出かけた。
街の入り口に、ブラガンザ公爵邸の跡が残っており、15世紀より以前の建築のかけらを集めた、屋外の考古学博物館にもなっている。
ここには、例の鶏の伝説にもなった、無罪の巡礼が、くくりつけられていたという十字架もある。
町じゅうに、鶏のモニュメントもあった。
この鶏は、リスボンでも目にしたことがあって、初めて訪れた時に買ったものが家に飾ってある。
他に、教会の中を見学し、市場で果物を買うと、もう見るところもない。
7時にぶらりと外に出た。
広場のカフェで、私と同じ巡礼のガイドブックを広げている二人がいた。
話しかけると、自転車で回っているスペイン人だと言う。
二人は私のことを知っていた。 あの、ポルトで会った四人組にどこかで会って聞いたのだという。
あの四人は、少し後ろを歩いているそうだ。
二人と別れて、レストランを探す。
入ったのは、地元風の店。
ここでイワシやサラダ、スープを取る。 ギタは、病院で働くボランティアを養成するための先生をしているそうだ。
半分以上食べ終わった頃、さっきの二人がやってきた。
彼らはさすがスペイン人だ。 9時から夕食なのだ。 彼らのテーブルに並んだ料理は、少なくとも、4人で十分な量
。
これだけ食べる人にはかなわない。
私たちは一足先に店を出た。































09.7.28PonteDeLima33km
ギタは少し前に宿を出た。
フロントで鍵を返していると、フレッドとエリーも鍵を持ってきた。
二人も昨日、ここに泊まっていたのだ。
アラン島の話の話をしながら歩いた。 二人はゴールウェイに住んでいる。
またいつか行きたいと言うと、今度来るときは、うちに泊まりなさいと言ってくれた。
私はアイルランド贔屓である。 それは、三年間一緒に住んだおばさんが、アイリッシュだったから。
エリーには、同じ匂いを感じた。
マメができたというと、いいプラスターがあるから、これを貼りなさいと言う。
以前に使ったことがあるが、部分を覆ってしまうプラスターは苦手だった。
必要がないと断っても、
「次に休むところでリュックから出してあげる。」
という。
フレッドは普通の人の二倍あると見えるリュックを背負い、エリーは、普通の人の半分の軽いリュックを背負っている。
エリーはいつもフレッドを気遣っている。
ここから上り坂という所に来て、フレッドは重いリュックを下ろし、中からプラスターを二枚出してくれた。
好意をありがたく受け取り、久しぶりに貼ってみようと思った。
途中、ローマの橋があった。
きれいな水に足を浸し、昨日買っておいたパンを食べる。
あとで聞いたら、ギタはここで水着を着て、泳いだという。
目的地の街の入り口で、ギタが待っていてくれた。
一緒に橋を渡り、巡礼宿へ向かった。
渡った橋の近くにある巡礼宿だ。
ギタは奥のベッドを取った。
私もその隣のベッドを取ったら、となりはポルトからの道で会ったイタリア小僧たちだった。
彼らは英語を話す。年は20歳くらい。 二人はミラノから来たという。
二人のうち、背が低い子は、シャワーからあがると、バスローブを着て、出てきた!
私は唖然とした。
優雅だけど、リュックにあのバスローブを?!
そしてそのあとは、シマシマのパジャマに着替えた?!
巡礼路でパジャマを着ている人を見たのは初めてだった。
なんだかかわいいものだ。
橋を渡って、人気ナンバーワンと見られるイタリアンレストランで今日は食事。
ギタは、明日はこの川で泳ぎたいと言っている。
明日は巡礼路をそれて、ブラガに行こうと決めていた。
もう一泊この町に泊まって、日帰りで祈りの街と言われる、教会などの見どころが多いブラがへ行くのだ。
これはスペインからポルトへ飛んだ飛行機内で出会った、あの親切なカップルから勧められていた、あの街。
ギタも、同じ考えだった。 この巡礼宿には、受付の女性の他に、ここをプロデュースしたと名乗る男性がいた。
彼の雰囲気には、なじめないものがあった。
しかしそんな彼だが、寝床に入る前に、私を含め、数人に声をかけ、とっておきの場所へ招待してくれた。
眼下には、ライトがところどころ点いて、中世の橋が浮かび上がる。






























09.7.29(Braga)
今日は歩かない。
ギタとブラガまで足を伸ばそうと決めていた。
下に行くと、出発しようとしている、イタリア小僧たちがいる。
彼らは足が速いし、私たちはここで連泊するので、もう会えないだろう。
写真を撮らせてとお願いすると、快く、肩を組んでポーズをとってくれた。
ブエン・カミーノ!
ギタと私はユースホステルへ荷物を移し、朝食をカフェで済ませたのち、バスに乗った。
50分で到着。
宗教の街だ。
インフォメーションで地図をもらい、片っ端から教会を回る。
あっちにもこっちにも塔が見える。
一通り回ったあと、私はさらにバスに乗って、山の上にあるボン・ジェススに行くことにした。
ギタは、先にポンテ・デ・リマに戻って、川で泳ぐということになった。
ボン・ジェススは、以前から気になっていたところ。
バスで上まで行ったら、 ドライバーが指をさす先にケーブルカーがあった。
本当は、階段を一段一段登ってってこそ、意味があるのだが、迷うスキもなく、ケーブルカーが出発するところだったため、せかされて乗り込んだ。
眼下にはブラガの街が広がっている。
教会をお参りしたあと、階段を下りていった。
この階段を下る度に、泉やキリストの場面を見ることができる。
その一つ一つをゆっくり見て歩けば、半日かかりそうなくらいである。
しかも階段の数は多い。 とても登るのは大変そうだ。
下から見上げると、また独特の風景になっている。
ポンテ・デ・リマに戻り、ユースホステルでひと休み。
(巡礼宿は一日しか泊まれない。)
四人部屋には私とギタだけ。他には誰もいない。
ギタと待ち合わせた橋のたもとに行くと、本を読みながら待っていてくれた。

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09.7.30Rubiaes18.2km
今日は三分の二が上り坂。
400メートルほど登っていく。
距離は短いので、たいしたことはない。
途中でアイリッシュのフレッドとエリーに会う。
フレッドは、私が首から地図をぶら下げて、その中に不思議な楕円形の物体をみつけ
「それはいったい何だい?なにか宗教的なもの?」
不思議そうな顔。 エリーが
「何言っているのよ。私たちがあげたプラスターじゃない!」
私はお守り代わりに大切にしているというと、フレッドは
「ホーリー・プラスターだね!」
この時から、この手のプラスターのことを、私とギタは『ホーリー・プラスター』と呼んだ。
9キロ先でコーヒー。
さらに一番高いポイントで休憩を取った。
そのあとは、どんどん下って汗をかきながら小さな村に到着。
巡礼宿をみつけて入っていくと、部屋の上からギタが顔を出す。
二部屋あって、ギタは小さい方の部屋を選んだと言う。
「小さい方が、静かでいいでしょ。」
他にはオーストリアのカップルしか、まだ到着していなかった。
シャワーを浴びて洗濯をして、のんびりとした田舎の巡礼宿で何をしよう。
近くには店もレストランも、家さえもない。 立ち寄った、地元のボランティアのおじさんに教えてもらった場所に行ってみよう。
600メートル先にレストラン、さらに400メートル先に、よろずや兼Barがあるという。
おじさんはBarに行くことをを勧めてくれた。 ギタと二人、宿を出る前に下の大部屋をのぞくと、なんと!初日のボンベイロ(消防署)で一緒に飲んだニンチェがいるではないか!
ニンチェは、ポルトに住むリリアナと一緒に歩いていた。
三日間、ポルトに滞在した後、一緒に歩き始めた。
二人は去年、セビリア旅行で出会って
「来年は『ポルトガルの道』を歩くから、あなたもポルトから一緒に歩きましょう」
と約束をした。 なかなかその手の約束は叶わないものだ。
リリアナは、シャワーの後で合流すると言い、ギタとニンチェと三人で、1キロの道を歩いてbarに行く。
まずはビールで乾杯!
ニンチェとギタは、ぎこちない英語で話す。
「ドイツ語でしゃべってもいいよ、」
ニンチェは、こういうことには気を使う。
笑いながら、二人はドイツ語で話し始めた。
そのうち、ドイツのカーメンとオオカミもやってきて、となりのテーブルに座った。
そしてリリアナも登場した。
リリアナは、ニンチェとは全く違うタイプで、控えめで、理知的だった。
巡礼とか、歩くとか、そんな世界とは無縁だったリリアナ。
半信半疑のまま、ポルトから歩き始めた。
「初めて歩いて、どんな感じ?」
「まだ自分の家の近くを歩いているわけだから、実感がないわ。普段は車かバスを使うから、歩くなんて考えたこともなかったの。家族や友人に話しても、理解されないの。なんで歩くのか?頭がおかしいんじゃないかって。実は私もまだよくわからないの。」
純真で素朴なリリアナに対し、世の中に慣れているニンチェは、まるで別の世界で生きているように見えた。
あとでギタはニンチェのことを
「たまに飲むには楽しいけれど、いつも一緒だと、テンションが高いから疲れるわ。」
私もこの頃は同じ意見だった。
ニンチェは、シャワーを浴びに巡礼宿へ一旦戻った。
なかなか帰ってこないと思っていたら、手前のレストランで、いろいろな人に呼び止められていた。
「あなたを知っているスペイン人のグループに会ったわよ!」
「あの四人組ね!」
「そう、でも今はもう一人増えて『五人組』よ。」
あ〜〜〜〜〜、あの四人組と、とうとう一緒になったのだ。
あの四人組は、たった数分のふれあいだったけれど、この道に足りない何かを持っていた。
「それから、アイリッシュの二人もいたわよ。」
彼らもここへ来たのだ。
ここで食事もしようということになり、となりのカーメンとオオカミのテーブルを合わせて、賑やかな宴になった。
「明日はスペインに入るわ!ばんざ〜い!」
結局ここに、6時間も長居してしまった。
10時になって、あわてて1kmの道を帰る。
この日は、とうとう四人組と会えなかった。
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ボン・ジェスズ教会がある高台まで
ケーブルカーで登ります