蘭州近況その34−チベット紀行 (2014年10月)


チベット(西蔵)への旅行

 これまでチベットへの個人旅行が禁止されていました。それがこの夏旅行社の友人から解禁になったと知らされ、さっそく念願のチベット旅行にチャレンジしようと思いました。8月末に相談すると、旅行許可書などの手続きに20日間ほどかかるそうなので、10月の国慶節の連休に行くことにしました。友人と相談して、行きも帰りも鉄道を使い、2日から56日の旅程を組みました。個人旅行といっても、許可書の申請やラサでの観光は全てチベットの旅行社を経由するので、団体旅行と同じでした。ホテル代1740元、ガイド2000元、参観料605元、許可書200元で計4545元を旅行社に支払い、さらに往復の鉄道切符が1646元で、旅行費用は全部で6191元(約11万円)になりました。その他に、ガイドさんも含めた食費やラサでの交通費が必要ですが、一人ですので、車のチャーターをやめて移動はタクシーを使うことにしました。

 

青蔵鉄道

 チベット旅行では青蔵鉄道が有名です。青海省と西蔵自治区(チベット)を通るので、こう呼びます。中国語では青蔵鉄路となります。青海省の省都西寧からチベット自治区の省都ラサまで、およそ2000kmを走ります。これまで、西寧から青海省の中央部にあるゴルムド(格尓木)までは開通していましたが、新たに、ゴルムドとラサ間の路線を難工事の末に完成させ、20067月より運行を始めました。西寧からゴルムドまで900km、ゴルムドからタングラ峠(唐古拉)まで600km、タングラ峠からラサまで500kmの路線ですが、このうちゴルムドからラサまでの1100kmは海抜4000m以上の高所を走る高原列車です。路線の最高地点は青海とチベットの省境にあるタングラ峠で、5072mの高度があります。
 この鉄道はチベットと中国本土を結ぶ唯一の路線で、経済路線としても観光路線としても期待されましたが、20083月にラサで騒乱が発生し、外国人のチベット入境が禁止されました。2008年は北京オリンピックの年で、世界の各処でオリンピックの聖火リレーが抗議にさらされました。それ以降、しばらくしてから外国人のチベット旅行が解禁になりましたが、省政府指定の旅行社による団体旅行しか許されませんでした。それが、ガイドを帯同することが条件とはいえ、個人旅行が許可されるようになりました。

 

中国の寝台列車

 列車の出発は1210分でしたので、駅前で昼食を済ませ、450分前に蘭州駅の待合室へ向かいました。待合室の入口は他の路線とは別にあり、入る時に切符の他に身分証明書の提示を求められました。定刻になり、プラットフォームから列車に乗り込む際には、パスポートの他に旅行許可書もチェックされました。現在、西寧始発の快速列車は毎日、蘭州始発は2日に1本ですが、他にも北京、上海、広州、成都や重慶などからも走っていますので、ラサへ向かう列車は1日に数本になります。車両は硬座、軟座、硬臥、軟臥などが連結され、全部で156輌編成にもなります。軟臥車(グリーン寝台車)はコンパートメントで仕切られており、各室は左右に上下2段のベッドがついています。窓側の壁にはベッド毎に液晶モニターや読書灯などがありますが、普通の列車と異なり、その脇に酸素マスクの吸入孔がありました。ベッドの幅もゆったりしており、定員4名には十分な広さです。ただ、荷物を置くスペースが少なく、ショルダーバックはベッドの上に置き、キャリーバッグは下段ベッドの下に入れました。上段ベッドの通路側の天井の奥に荷物用のスペースがありましたが、重い荷物の出し入れには不便です。また、上段ベッドへ上がる梯子がなく、入口の壁にはめられた肘掛のようなフックを引きだして、それに足をかけて上がるのですが、慣れないとたいへんです。指定された席に行くと、既に、部屋には中国人の若い親子が3人座っていました。列車が走り始めると、車掌が来て切符と引き換えに「換車票」というカードをくれました。降車駅が近づくとまた車掌が来てカードと引き換えに切符を返してくれます。理由はよく分かりませんが、乗車確認とセキュリティのためなのでしょうか。そのあとで、車掌が車内用のスリッパを配ってくれました。

 蘭州を出て、2時間半で西寧へ着きました。西寧が青蔵鉄道の起点になっているせいか、たくさんの団体客が乗車して来ました。期せずして、日本人の団体も乗り合わせ、私のコンパートメントにも日本人の夫婦の方が入ってきました。既に中国人の親子が3人いるので、どうなるのかと思いましたが、どうも、その父親は別の車両で、また幼稚園児の女の子は母親の同伴ということでした。結局、一室6人となり少々窮屈になりました。

 西寧を出て1時間ほどすると南側に青海湖が見えて来ました。湖がやや遠方で、また、あいにく曇っていたので、それほど景観はよくありませんでした。周囲は牧草地帯で、やや褐色の平原が広がり、ヤクや羊が放牧されています。しばらくして、車掌が食堂車の予約を取りに来ました。どうもテーブル毎のセットメニューのようで、67皿でスープが付いて1300元だそうです。一人では受け付けてくれませんでした。ちょうど日本人の団体の方がいたので、そこに加えてもらうことにしました。6時半に食堂車へ出かけ、周りの景観を楽しみながら夕食を食べました。味はまあまあでした。

西寧の次の停車駅デリンハ(徳令哈)には20時過ぎに着きました。すでに辺りは暗くなり始めました。デリンハを過ぎてから、早めにベッドへもぐりこみましたが、酒が効いたせいかよく眠れました。それでも0時頃ゴルムドへ停車したことは覚えています。

 

高原を走る

 朝の5時頃目が覚め、トイレへ行きましたが、なんとなくフラフラしました。寝直して7時に起きると、辺りは明るくなり始めていました。頭が重く、あまり気分がすぐれません。7時半に食堂車へ行って、団体の方々とセットの朝食を食べながら皆さんの様子を聞いてみると、どうも軽い頭痛は誰でもなるようです。頭痛のせいで起きるのも嫌だという人も何人かいて、車掌に酸素マスクを頼んでいましたが、車掌はマスクの使用を勧めません。多少頭痛はしても、病気ではないから我慢していればそのうち治るそうです。安易に酸素マスクを使うと、ラサへ着いてからも頭痛が長引いてやっかいだと説明していました。

 辺りの景観は褐色の平原が続きます。どの辺りを走っているのか分かりませんでしたが、朝食をとっている時に、最高点のタングラ峠を通過したようです。大きな標識があるわけではないので気づきませんでした。それからしばらくして、大きな湖の側を列車が通りました。幸い天気も良く、湖の青さがまぶしく見えました。ツォナ湖(錯那湖)といい、海抜4650mにある淡水湖で、チベット族の聖なる湖の一つだそうです。

 ツォナ湖を過ぎてから辺りの景観が変ってきました。雪を被った数千メートルの山々が見えるようになりました。山々は、峻険な岩肌でそそり立つというより、穏やかな丸みを帯びてゆったりと続きます。地図を見ると、山々はニェンチェンタンラ山脈(念青唐古拉)といい、最高峰はニェンチェンタンラ峰7162mでした。青い空と白い山々、褐色の草原にゆったりと草を食むヤクの群れといった景観が続きます。場所によっては褐色の草原が雪で覆われ真白な雪原が続くところもありました。さまざまな雪山が連なり、ラサへ着くまでの数時間、少しも飽きずに車窓にはりついて、たくさん写真をとりました。

 

ラサ(拉薩)に到着

 13時15分頃、ほぼ定刻にラサに着きました。駅はまだ新しく、大きな駅でした。改札を出る時、中国人は切符と身分証明書で済みましたが、外国人は駅の外にある公安の検査所へ連れて行かれ、パスポートと旅行許可書のチェックを受けました。検査所から出て、ガイドを探しましたが、見つかりません。電話をすると出口にいるとのことですが、見当たりません。何度か電話でやりとりして、ようやく分かりました。駅前の広い広場も立ち入り禁止になっていて、出迎えの人達は広場の外の出口で待っていました。ガイドは愛称を陽子さんというチベットの娘さんでした。

 駅から乗り合いタクシーでホテルへ向かいました。タクシーがキチュ川(ラサ河)を渡る時、東前方にポタラ宮が見えました。ホテルはラサ市街の西側にあり、あまり駅から遠くありませんでした。名前をラサ・ホテルといい、以前はホリデーインだったそうで、ラサでも老舗のホテルでした。チェックインを済ませてから、旅行予定を陽子さんと相談しました。予定では、午後は高地に慣れるためにホテルで休養し、夜、夕食にアテンドしてくれるとのことです。昼食を食べ損ねたので、彼女に頼んで、近くのチベット食堂へ案内してもらい、ヤクのミルクとシャパレという肉餅、トゥクパといううどんで腹ごしらえをしました。その後、近くを散策してから、ホテルで休養しました。頭痛はありませんが、まだ急ぎ足で歩いたりするとふらつきます。

 夕食はチベット料理が食べたくて、陽子さんに旧市街のレストランへ連れて行ってもらいました。驚いたことに、最近ラサのレストランではネパールやインド料理が流行っており、ネパール人のコックが多いそうです。ネパール料理もカレーが中心で、中華料理よりは洋風になります。そのせいか、西洋人の観光客で満員でした。ヤクの肉炒めと野菜炒め、インド風のナンを頼み、ラサ・ビールと青?酒を飲みました。青?酒は蘭州でもよく飲む青?白酒とは違い、白くて、韓国のマッカリを薄くしたような酒でした。観光の初日はネパール風チベット料理で終わりました。

 

憧れのポタラ宮

 820分にホテルを出て、9時前にポタラ宮の観光客入口に並びました。この時間、既にたくさんの巡礼者たちがポタラ宮の周りを回っています。お経を唱えながら右回りに歩くことをコルラというそうです。現在、ポタラ宮の観光は全て予約制です。旅行社を通じて事前に観光を申し込むと、その前日に回答があるそうです。私の参観は9時になりました。さらに、その参観も時間制で、ゲートを入って2時間、宮殿内部の参観は1時間と決められており、超過するとガイドに罰則があるそうです。入口では所持品のX線検査があり、液体の持ち込みも禁止されていました。

 ポタラ宮のあるマルポリ(赤い丘)は7世紀の頃ソンツェンガンポ王の宮殿があったといわれますが、現在の宮殿は1695年にダライ・ラマ5世によって建てられました。ダライ・ラマ5世は権勢があったようで、この時からダライ・ラマは宗教と政治の両方の指導者となりました。ポタラ宮の上層部は白宮と紅宮に分かれ、白宮はダライ・ラマの政治的な執務室や居住空間で、紅宮は宗教儀礼の場所になります。丘も含めて高さは100m、東西に370m、部屋数が1000室以上だそうです。

 ポタラ宮の中を陽子さんの案内で見て歩きましたが、内部はまるで宝物殿でした。特に、紅宮には仏堂としての祈祷の場もありますが、それぞれの層に薬師如来、釈迦如来、阿弥陀如来の金銅像、ふんだんに黄金を使った5世から13世までのダライ・ラマの霊塔、チベットや仏教の由来を描いた極彩色の仏画、その他、さまざまな仏塔や仏像などが所狭しと置かれ、祭られていました。一般にチベット寺院は採光に乏しく、ほの暗い空間にたくさんの仏像や仏画が安置されています。ポタラ宮も同様でしたが、金色の装飾が多いためか、バターの燈明に照らされ、まばゆく輝いていました。これまで長い歴史の中でさまざまな騒乱があったことでしょうが、よく守られてきたものです。

 所定時間の内になんとか参観を終えました。紅宮から外へ出ると、丘の上からラサ市内が一望できました。周囲を山々に囲まれていますが、圧迫感はなく、北西の方向には広々とした湿地帯が広がっていました。ラサは高度3650mにあり、市内人口は約28万人だそうです。ここからではヒマラヤ山脈を見ることができませんが、ポタラ宮が市の真ん中にあることがよく分かります。

 

ジョカン(大昭寺)からパルコル(八角街)へ

 ポタラ宮を出て、東南に12km歩くと、ジョカン寺へ着きます。ジョカン寺はラサで最も古い寺院で、7世紀にソンツェンガンポ王を弔うために、王妃のティツンと文成公主が建立したといわれます。ソンツェンガンポは初めてチベットを統一した吐蕃国王で、ネパールからティツンを、唐から文成公主を王妃に迎え、チベットに仏教を導入し、チベット文字を作ったといわれます。

 寺院は三層の建物で、門前では多くの信者が五体投地をしており、また、巡礼者や参拝者が長い列を作っています。この長い行列は本尊の脇に控える僧侶からご利益(りやく)やご加護を授かるために、延々とならんでいるようです。私たちはその間を通り抜けるように参観しましたが、仏様や如来の周りは信者たちで溢れ、落ち着いて見て回るというわけにはいきませんでした。

ジョカン寺は旧市街の中心にあり、寺院の周りをさまざまな商店が取り巻き、コルラで周りを回る人や買物客でとてもにぎわっています。この辺り一帯をパルコル(八角街)といいラサの昔からの繁華街です。商店の脇の路地をちょっと入ると、ユースホステルや民宿もたくさんあり、2008年の騒乱以前には、多くの外国人バックパッカーのメッカの一つとしてにぎわっていたようです。陽子さんの案内で、昼食をその民宿の一つでとりました。狭い中庭にテラス風にテーブルや椅子が並べらており、そこでネパール風チキン・カレーを食べましたが、久しぶりに本格カレーが食べられてご機嫌でした。

 

ノルブリンカ、チベット博物館、そして、セラ寺

 3日目は8時半過ぎに出発、ノルブリンカ宮はホテルのすぐ南にあるため、歩いて行きました。この宮殿は18世紀中頃、ダライ・ラマ7世によって建てられ、歴代ダライ・ラマの夏の離宮として使われてきました。宮殿といっても、ポタラ宮のように丘の上にそびえるのではなく、緑に囲まれた平らな広い敷地に低層階の建物が点在していました。どの建物にも必ず仏堂があり、中央にダライ・ラマの玉座が置かれています。ダライ・ラマ14世が使っていた建物は鉢植えの花々できれいに飾られ、2階の応接間や執務室などは使われていた状態のままで保存されていました。特に、洋風の洗面所はタイル張りで、洋風のバスタブや便座があり、おもしろく思いました。1959年、25歳のダライ・ラマ14世はここからインドへ亡命したそうです。

 チベット博物館はノルブリンカ宮と道路をはさんだ東側にありました。ちょうどチベットの文化博覧会が開催中で、いろいろな物産の展示即売会が行われていました。キャッチフレーズに「人間聖地、天上西蔵」とあったのが印象的でした。いろいろな文物を参観した中で、私にはタンカ(唐?)と呼ばれる仏画の掛軸がもっとも印象的でした。大きさは大小さまざまで、絵筆で画いたものから、刺繍やパッチワークで作られたものもあります。画題は曼荼羅、諸仏、聖者などいろいろで、独特の彩色で描かれており、まさに精緻で華麗な民族文化だと思いました。昔から、チベットの家庭ではさまざまなタンカが部屋毎に飾られ、敬われてきたのではないでしょうか。他には、時局のせいか、唐から嫁いできた文成公主の展示が目立ちました。公主は中華文化とチベット文化の融合を担ったと大きく紹介されていました。

 博物館の近くで昼食をとってから、乗り合いバスでラサの北外れにあるセラ寺へ向かいました。セラ寺はチベット仏教の最大の宗派であるゲルク派の6大寺院の一つで、15世紀前半に建てられました。往時には5000人を超える学僧がいたそうで、現在でも中庭で僧侶たちの問答が行われているそうです。因みに、6大寺院の内、ガンデン寺、デプン寺、セラ寺の3つがラサに、タシルンポ寺がチベット第2の都市シガツェ(日喀則)に、タール寺が西寧、ラブラン寺が甘粛省の夏河にあります。セラ寺でも多数の巡礼や信者が仏様のご利益にあずかろうと長い列を作って並んでいて、その間をぬうように参観しました。ここは河口慧海や多田等観が学んだ寺として有名で、仏堂の一角に河口慧海を記念するコーナーがあり、写真が飾られていました。

 

チベット大学を訪ねる

 セラ寺で今回の観光予定は全て終わりました。一人のためあまり時間がかからなかったようです。そこで、陽子さんにお願いして、チベット大学を見学することにしました。チベット大学はセラ寺とは反対のラサの南西にあり、タクシーで行きました。実は、陽子さんに会った時、若いのになかなか日本語が上手なので、どこで習ったのかたずねると、彼女はチベット大学日本語科卒業でした。チベット大学には日本人教師の他にも、留学生が2,3人おり、留学生とも交流したそうです。日本から遥か遠く、高地にあるラサですが、そこにも日本人がいて、日本語を教えています。それを聞いてとてもうれしくなりました。

 チベット大学では、陽子さんと親しい日本人のK先生の案内で留学生楼を訪ね、留学生のYさんともお会いしました。皆さんチベット語の学習に余念が無いようです。校内を少し歩いてから、K先生と陽子さんと3人で旧市街の喫茶店へ向かいました。K先生もまだ若いお嬢さんで、先学期チベット大学の大学院を卒業しましたが、大学側から誘いがあったため、今学期から教員として日本語を教えるそうです。まだまだチベットで生活していたいそうです。

 ネパール風喫茶店ではミルクティーとビールで歓談していましたが、5時を過ぎたため、夕食をとることにしました。チベット料理のモモとサンバを食べました。モモはチベット風餃子で、普通の餃子よりやや大きめです。具材はいろいろあるようですが、ヤク肉とチーズを選びました。サンバは麦焦がしともいい、チベットの主食の裸麦です。粉のまま出て来て、これを茶やバターにつけて手で丸めて食べます。あまり癖がなく、食べやすかったです。チベットでは野菜や果物があまり取れず、値段も高いといいます。主な産物は裸麦やそば類のようで、ラサではジャガイモもうまいそうです。昔は野菜を補うため、バター茶をよく飲んだそうです。ポタラ宮の前の出店でバター茶を飲んでみましたが、少ししつこい程度で、しょっぱいミルクティーを飲んでいるような感じでした。

 日が暮れてから一人でホテルへ戻りました。路線バスを使いましたが、途中ポタラ宮の前を通りました。夜になるとポタラ宮はライトアップされます。なかなか幻想的ですばらしい眺めでした。3日間と短い期間でしたが、ラサを十分に楽しむことができました。

 

さらばチベット

 4日目は10時の列車でしたので、8時半過ぎに陽子さんに送ってもらい、駅へ向かいました。列車はT224重慶行き特別快速列車でした。蘭州へは翌日の12時15分到着で、26時間15分かかります。帰りも行きと同様に車窓からニェンチェンタンラの山々の景観を楽しみました。ここ2,3日好天が続いたせいか、行きはところどころに真白な雪原が見られましたが、それらがすっかり融けて褐色の草原に変っていました。帰りは高地に慣れたようで頭痛に悩まされることもありませんでした。念願のチベットを十分に楽しむことができました。機会があればまた来てみたいと思います。

 

チベット雑感

 以下では、雑感として、旅行で思ったことを補足してみたいと思います。

 青蔵鉄道は景観がすばらしく、軟臥車を使ったため乗り心地も問題ありませんでした。ただ、24時間の列車の旅は疲れます。各車両には洋風、中華風のトイレがありますが、走り始めるとすぐ水浸しになり、難儀をしました。線路は単線ですので、たびたび駅で止まって待ち合わせを行います。それが走行時間を長くするようですが、仕方がありません。運がよければ、沿線にガゼルや野生のヤクも見られるようですが今回は見れませんでした。因みに、路線図で蘭州−上海を調べてみると走行距離が2185qとありました。蘭州からラサへ行く方(2188km)が長いのです。改めて中国の広さを実感します。まさに地理からいえば蘭州が中国の中心になります。高地に慣れるためにも、遠路はるばる来たという実感に浸るためにも列車を使った方が良いかもしれません。

 ラサは広大な中国の諸都市と比べると、こぢんまりとした地方都市といった感じを受けました。ポタラ宮の東側が旧市街でチベット族が多く、西側が新市街で漢族が増えているようです。市内の主要な観光地を回るにもタクシーでそれほど時間がかかりません。ただ、ラサのタクシーには困りました。全て他の乗客と一緒の乗り合いタクシーです。そのため値段も運転手によってバラバラです。ホテルからよく食事に出かけた旧市街まで、10元の時もあり、20元を取られたこともありました。これでは外国人は使い難いことでしょう。ラサは富士山と同じような高度にありますが、気候は思ったより温暖でした。気温は蘭州とほぼ同じですが、少し寒暖の差が激しいようです。雪はあまり降らず、降っても紫外線のためかすぐ融けるようです。きっと、紫外線が強いことでしょう。街は思ったより清潔で、住みやすそうでした。しかし、時節柄、観光地や公園ではどこでもX線検査が行われており、荷物をチェックされました。

 チベットの面積は123万kuで日本のおよそ4倍ですが、その大半が4000m以上の高地になります。現在、チベット人はおよそ600万人といわれます。チベット自治区に250万人、四川、青海、甘粛、雲南省に250万人、ブータン、ネパール、インド、その他でおよそ100万人だそうです。地理ではラサはブータンやネパールのすぐ近くにあります。ラサから青海省のタングラ峠まで500kmですが、ブータンへは南へ200kmほど、ネパールへは西南へおよそ300kmほどでしょう。因みに、チョモランマ(エベレスト)はそのネパールとの国境沿いにあります。今回はラサの観光で終わりましたが、また機会を見つけて、チベットの他の地域や、ネパールとの国境の方へ足を延ばして、ヒマラヤ山脈の雄姿を眺めてみたいものです。