武漢近況その16 (2010年6月)


期末試験顛末

 いつものように6月に入ってから、期末試験問題の作成に入りました。とはいっても、今学期の担当科目は作文と会話で、このうち作文は論文の提出としましたから、実際には、会話のみ試験問題を作ればよいので楽でした。民族大学ではAB2種類を作り、試験ではこのABを交互に配ってやらせます。不正防止なのでしょうが、このため、あまり問題が違うと不公平になるので、同じ問題の順序をずらして作ることになります。民族大学の面白い規則です。これまでの大学では、AB2種類作るのは変わりませんが、試験ではABのどちらかを実施し、残りは追試験用でした。民族大学では追試験は行わず、落ちれば来学期再履修となります。試験問題を作るのはやむを得ないのですが、大学で使用するパソコンのワードの書式があり、その書式に沿って作って行きます。この書式が微妙で、行変えや段落変えをうかつにするとすぐ書式がずれてしまいます。書式に合わせてワードで問題を作るのがなかなか大変で、いつも同僚の先生とぼやいていました。

 期末試験は、どういう訳か今学期はいつもより1週間早い17週目に実施されました。今年は春節が遅かったので、学期が短くなったのでしょう。2年生の会話では、筆記試験だけで済ますのもおかしいので、個人面接も加えました。あらかじめ決めた「伝える、頼む、謝る」の中から、面接時にどれかを指定して会話を行い、評価していきます。15分として、2時間半、休まず学生達との会話を楽しみました。

 3年生の作文では、今学期、卒論のための論文演習を行ったので、期末試験も5000字以上の論文を提出させました。これは採点が大変でした。3年生2クラスおよそ65名の論文を読みました。また、卒論の参考になるように、採点だけではなく、論文のコメントを書いて、学生達にフィードバックしました。これは昨年も同じでしたが、今年はおもしろい論文が少なく、あまり楽しめませんでした。どういう訳か、日本人の特徴である集団主義と日本人の自殺や死生観を扱ったのもが多く出てきました。集団主義では、稲作文化による共同作業が原因と書いてありました。これには、東南アジア、中国も朝鮮半島も稲作文化ではないかとコメントしました。自殺や死生観では、無常観や武士道が原因で日本人は死が身近で、罪悪視しないと書いてありました。でも現代の日本人が無常観や武士道に強く影響を受けているとは思えないとコメントしました。きっと論文のテーマが思いつかず、他の授業で読んだ小論でも参考にしたのでしょう。

 

来学期の大学

 来学期は別の大学へ移ることにしました。蘇州を去る時に、できれば広い中国のあちこちで生活してみたいと思いました。また、あまり日本でなじみのない所がよいと思いました。発展が著しく、日本との交流も盛んな華東や沿岸地域に対して、西に行くほど、発展が遅く、日本との縁も薄くなります。知人のつてで甘粛省の蘭州大学を紹介してもらいました。幸い、こちらの問い合わせに対して、日本語科の責任者の方から歓迎のメールをもらい、行くことになりました。民族大学へは武漢を去ることを話して、後任者の求人をしてもらうようお願いしました。

 ここまでは順調でしたが、5月、6月の契約時期になっても、蘭州から具体的な通知が来ませんでした。こちらからメールで問い合わせましたが、返事がありません。すでに民族大学では後任の先生も決まりました。逆に民族大学の先生が心配してくださり、先方の責任者の先生と電話で連絡をとってくれました。遅れた理由はよく分りませんが、こちらからのメールが届かず、また、大学の方針変更があったようです。そんな訳で先方との手続きが大幅に遅れ、結局、契約は来学期、蘭州へ赴任してから行うことになりました。

 学生達には5月の半ばに断りました。この時はまだ先方と連絡がとれておらず、次の行く先がはっきり言えず、なんともしまらない話しでした。1年以上教えた3年生、4年生はともかくとして、今学期から正式に担当した2年生からブーイングをもらい、うれしいやら申し訳ないやら複雑な気持ちになりました。

 蘭州は甘粛省の省都で、東には西安のある陝西省、西には4月に地震のあった青海省があります。甘粛省の西の端に敦煌があるので、日本の観光客にはなじみ深いかもしれません。民族大学の学生達からは、気候が乾燥し黄砂があってよくないとか、民族の気質が乱暴だとか脅されて、引き留められました。確かに、東や沿岸部の方が住みやすいでしょうが、辺境の地で生活できるのもまだ元気な今のうちだと思っています。

 

さらば武漢

 今年は、冷春、冷夏でしたが、6月の末から例年並みに暑くなってきました。特に7月に入ってから、高温が続きます。日中で37℃近くになっているようで、おまけに、蒸しているので、風が吹いても涼しくありません。ちょっと歩くと直ぐに汗だくになります。

 暑さのせいか、今年は女性達の短パン姿が目に付きます。短い短パンから素足を出して、サンダル履きで歩いています。こちらの女性は、日本人のようにふくらはぎがあまり膨らんでいないので、足がまっすぐに見えます。時たま、太腿から細い足首へ向かってすらりと伸びた長い足の女性を見ると、民族の違いを思い知らされます。

 武漢は今期で最後なので、暇があればあちこち見て歩いています。先日、弟から中国科学院の水生生物研究所の話しを聞きました。インターネットで調べると、東湖の南岸に白鰭豚館とありましたので、散歩のついでに自転車で言ってみました。さんざ迷って、偶然に白鰭豚館へたどり着きました。現在は、観光ではなく研究施設のようですが、入り口が開いていたので入ってみました。円形の大きなプールが二つあり、一つは2mほどの白鰭豚(バイジー、揚子江河イルカ)が3頭、もう一つは、1mほどの江豚(揚子江スナメリ)が3頭泳いでいました。ちょうどスナメリのプールで餌付けをしているところでしたので、近くで見せてもらいました。揚子江河イルカはもう絶滅種で、ここに居るのは人工飼育だとインターネットには載っていましたが、よく分りません。スナメリは、頭をなぜてもらっては小魚をもらい、愛嬌がありました。

 今学期はいつもより短く、授業が終わってからすぐ期末試験が始まりました。先生方や学生達と、期末試験の合間を縫って、送別会を行いました。私が少し無理を言って武漢を離れるので、先生方へはお別れ会として私が主催しました。学生達との送別会は、全て学生に任せ、好意に甘えました。3年生はクラスごとに有志達が集まり、2年生はクラス全員で送別会を開いてくれました。こちらでは、全員で乾杯したあと、適宜、個々に乾杯し、謝辞を述べるのが礼儀です。男子とは白酒で、女子とはビールで乾杯を受けました。乾杯と言ってもこちらは一人ですからなめる程度ですが、中には頑張って乾杯する学生もいて盛り上がります。男子が少ないせいか皆あまり飲みませんが、3年生の宴会で一部の男子が盛り上がり、白酒を重ね、2次会ではトイレにこもってしまいました。応援の学生の介護で無事寮には帰ったようですが、後で聞くと、翌日病院へ行ったようです。学生達は日頃飲み慣れていないので、気をつけなければと自戒しました。

 武漢は、以前にも書きましたが、人口800万人と多く、また、武昌、漢口、漢陽と3つの大きな都市が長江、漢江を挟んでつながっているので、面積も広大です。そのため、武漢のあちこちへ気軽にでかけるには少々不便です。特に、現在は地下鉄工事の最中で、主要な幹線道路では工事が目立ちます。住まいから、武昌や漢口の繁華街、鉄道の駅などへ出かけるにはバスで行きますが、いつもバスは人でいっぱいで、おまけに道路の渋滞があるので、1時間から1時間半ほどかかります。タクシーも主要な時間帯では奪い合いになります。南京と比べると街路樹も少なく、ややほこりっぽい印象です。その代わり、市内のあちこちに湖があり、潤いを与えてくれます。武昌だけでも、東湖、南湖、沙湖、湯遜湖、西湖等と続きます。現在、武昌と漢陽の間には、長江大橋と第三橋の二つの橋がかかり、武昌と漢口の間には、第二橋、やや北に天興州大橋の二つの橋、そして、長江トンネルでつながっています。北京、上海、広州への新幹線もどんどん増えています。また、あと2年ほどで地下鉄が完成するそうですから、そうなると中国の中央部で最大の都市としてますます発展することでしょう。

 あと23日で武漢を去ります。交通の不便さや気温の暑さなどいろいろありましたが、住んでみれば、その土地その土地のおもしろさがあり、得難いものがあります。大学や学生達にも随分よくしてもらいました。きっとまたいつか武漢へ来る機会があることでしょう。その時には、武漢の変貌と発展に驚かされることと思います。