武漢近況その15 (2010年5月)


卒論答弁が終わる

 5月は忙しく過ごしました。卒論の締め切りが510日、卒論答弁が21日に行われました。今年は、指導学生が9名、テーマは江戸時代の陽明学、神道、平安女流文学、芥川龍之介、川端康成、中島敦、猫伝説、宮崎駿、ワークライフバランスと様々でした。指導のために、儒学入門、神道、地獄変、雪国などの本を何回か読みました。陽明学は、中国から伝わった陽明学が日本的な変容を経て明治維新の思想的なバックボーンの一つになっていく過程での特徴を論じたもので、幸い、優秀論文の一つになりました。神道では、八百万の神様の特性をまとめた論文でしたが、結論の一つに神道は現世の幸せを求める宗教であるという指摘が出てきました。なるほど、神道は死後を論じる仏教やキリスト教と違って、あまり死後の世界を論じません。日本人の現実主義的な性格のせいでしょうか。川端は、彼の女性観を論じたもので、雪国を何回も読みましたが、よく分かりません。叙情的な美しさを持った小説ですが、よく読むとなぞだらけで難しい小説でした。苦しんだあげく、私は、川端の描く日本女性美は清らかさと健気さにあると結論づけ、学生はそれをそのまま論文にまとめました。

 昨年末の開題報告の頃は学生達も大学に居り、いろいろ連絡もとれたのですが、23月に入ると学生達とぱったり連絡が取れなくなりました。ほとんどが企業実習で、蘇州や深セン、アモイなどの企業の寮に寝泊まりして、卒論の進捗もほとんど進みません。初稿、2稿、3稿と論文を読み、コメントをしていきますが、遅々として思うように進みません。結局、5月を過ぎてからどっと論文が寄せられ、こちらは毎日論文と格闘する羽目になりました。ずっとパソコンで論文を読み続けたため、これまで右目だけだった飛蚊症の蚊が左目にも飛び始め、慌てさせられました。

 21日の答弁には、さすがに学生達も実習先から休暇を取って戻ってきました。論文で落ちると学位がもらえないので、学生達も必死です。こちらも日本語の覚束ない23の学生には答弁の演習まで指導して、サービスしました。そのかいがあってか、指導した学生は全員無事に答弁に合格しました。こちらも肩の荷を下ろしてホッとしています。

 

パジャマで歩く

5月からいよいよ上海万博が始まりました。日本の新聞報道では、思ったより来場者が少ないと報じていますが、酷い混乱もなく順調なようです。学生達に言わせると、78月は夏休みで混雑するので、今が一番よい時期だとのことです。幸い、今年は涼しい日が続き万博見物には快適なようです。

オリンピックと同じように、世界中から見物客が訪れるため、上海当局は市民のマナー向上に必死です。随分前に、パジャマ姿で街を歩くことを条例で禁止すると報道がありました。近況の読者からも中国ではパジャマで外を歩くのかと驚きの声が寄せられました。確かに、私も中国へ来た当座はびっくりしました。3040代の女性がよく目立ちます。街を歩いているとよく見かけるので、始めは病院の近くかと思いましたが、そうではありませんでした。学生達も寮の近くでは、浴場が別棟にあるため、たまに、入浴から帰る女子学生がパジャマで歩いているのを見ることがあります。どうもパジャマは寝室での着衣というより、室内着の一種と見られているようです。

 こうした中国の人々のマナーはいつもこちらに駐在する日本人の格好な話題になります。南京にいた時、駐在員の奥様方が集まると、列に並ばない、どこへでも平気でゴミを捨てる、そこらに痰やつばを吐く、手鼻をかむといった話題でよく盛り上がりました。きっと異国での緊張した生活の息抜きに良いのでしょう。しかし、話していて意外な事実に気づきました。30 40代の日本の女性達が、昔日本でもこうだったことを知らないことです。どうも日本人は昔からこんなことをしないと思い込んでいるようです。日本でも5060年代では、街中にゴミが散らかり、大人達はよく痰やつばを道端に吐いていました。大人達が時々、日本の街はゴミだらけだけれど、一歩家の中に入ると塵一つ無く清潔だと自慢していたことを今でも覚えています。こうしたマナーは民族的な性格でもなんでもなく、単に東洋の習慣ではいい加減にされてきただけなのでしょう。きっとあと数年すると、中国でもこうしたマナー違反は姿を消すのではないでしょうか。

 

スピーチコンテストの怪

 22日の土曜日に、日経新聞他の主催で第5回全国中国日本語スピーチコンテスト華中地区予選が行われました。優勝者2名は、7月に日本で行われる決勝戦への出場資格がもらえます。このスピーチコンテストには、南京の時にも、上海で行われた華東地区予選に行ったことがあります。民族大学では構内予選を行い、代表選手を選出し、その学生に私がスピーチの指導をしてきました。当日は大学のバスを用意し、応援の学生を集めて繰り出しました。

 こうしたスピーチコンテストは地区の名門校が持ち回りで開催するのが普通です。今回も武昌にある某名門大学で行われ、湖北省、湖南省、安徽省、河南省などから26校の代表が集まりました。審査委員は地区外と地区の名門校の担当者とで構成され、委員長は遠方の吉林大学の教授が担当しました。

コンテストはテーマスピーチと即席スピーチの2回で争われます。今回のテーマは環境問題と中国文化でした。環境をテーマに選んだ学生が多く、環境を大切にしようといった平凡なスピーチの中、我が校の代表はなかなか健闘しました。公平をきすため、スピーチをする学生は大学名や氏名を言うことが禁じられ、スピーチの中でもそれらが特定される内容を言うことができません。採点はスピーチの都度行われ、スピーチが終わると採点表が回収されます。ただ、今回は得点の中間発表はありませんでした。

 8時半に始まり、午前、午後とスピーチが続き、17時に終了、結果発表は18時となりました。入賞者は優勝者2名の他1等、2等、3等と計8名になります。結果は、優勝者に開催校の代表と審査員を出している有名校の代表が選ばれました。私がスピーチを聞いた中では、いずれも湖北省以外でしたが、飛び抜けて日本語が上手だった選手が3名おりました。我が校の代表はよく頑張って、その次か次ぐらいの出来でした。この3名はやはり入賞者には選ばれましたが、優勝は出来ませんでした。残念ながら我が校の代表は選外でした。優勝者の一人は、ユーモアたっぷりのスピーチで結構笑いをとっていたのですが、内容はまあまあだと思いました。もう一人はあまり目立たず、顔を見てもどんなスピーチをしたのか思い出せず、以外な優勝でした。他の入賞者の顔ぶれを見ると結構審査員の代表校の学生が入賞しているのに気がつきました。常々、こうしたコンテストでは開催校が面子にかけて優勝者を出そうと必死になると言われますが、今回はいささか露骨でした。

 スピーチの善し悪しは、よほど僅差の場合は別として、応援の学生達にも分かります。学生達に感想を聞くと、まず不公平ですという声があがりました。我が校の主任先生も来年はもう参加しないと憤慨していました。審査委員長の教授はいかにも温厚な学者といったタイプでしたが、どうしてこういう結果になるのでしょう。どのような審査が行われたのか不思議です。このコンテストには随分費用と時間がかけられています。応援の学生達もこうしたコンテストですばらしい学生のスピーチに感動し、自分も頑張ろうと発憤するはずです。日本語学習への効果には大きなものがあるのですが、これでは逆効果になってしまいます。日本のスポンサーも再考してはどうでしょうか。

 

湖沼を散策

 湖北省は俗に千の湖の省と言われます。地図で見ても武漢の周りは湖だらけです。卒論指導の合間をぬっては、近くの湖を散策してみました。毎日行き来する南湖や、有名な東湖を除いては、幹線道路を行き来する限り、周りの湖に気がつきません。地図を見ながら意識的に行かない限りは、湖を見る機会がなさそうです。始めに、大学の南にある湯遜湖へ自転車で行きました。辺りは武昌の郊外で、別荘と呼ばれる戸建ての瀟洒な住宅や、ゴルフ場などが開発されていました。大きさは東湖よりやや大きく、武漢で一番大きな湖ではないでしょうか。

 次に漢陽の墨水湖へ行きました。漢陽十景の一つと言われ、周りには武漢動物園などがあります。しかし、漢陽の繁華街のすぐ側なため、都市化に飲み込まれて、ビルに取り囲まれているようでした。同じ漢陽では漢江の側に、以前近況にも書いた古琴台という名跡があり、その辺りは月湖という小さな湖を中心にした公園になっていました。最近、再開発されたようで、近代的なきれいな公園でしたが、行った時には、湖の水位が下がり、ちょっと干上がりそうな様子でした。

 武漢はどんどん開発され、湖もだいぶ埋め立てられているようです。おそらく半世紀前には、多くの渡り鳥や水鳥の生息地として豊富な自然環境があったのでしょうが、現在では、格別、水鳥が多いと感心することもありません。広大な中国ですが、自然環境がだんだん損なわれていくのは寂しい限りです。