武漢近況その12 (2009年12月〜2010年1月)


日本経済と社会を講義する

 2010年は静かに明けました。上海や香港では新暦の新年にも派手に花火を打ち上げ、年明けの華やかさがありますが、武漢では昨年と同じようにいたって平静でした。宿舎の周りでは0時をまわっても数えるほどしか花火の音が聞こえません。大晦日は少し暖かな良い天気でしたが、元旦は生憎の小雨で、こちらも期末試験の採点に追われました。

 今学期は3科目7クラスと授業が多く、そのうち5クラスが1時限目でした。そのため、月曜から金曜まで毎日8時から授業があり、冬場は暗いうちに起きて、7時半に家を出るという規則正しい生活を送ることになりました。科目は、3年生の作文、文学、4年生の日本経済と社会でしたが、この経済と社会は初めて担当する科目でした。大学からは好きにやって良いと言われたため、あえて教科書を使わず、最新のトピックスをインターネットから拾って授業を組み立てました。GDP、世界金融危機、東アジア共同体、戦後生活史、高齢社会、少子化、ワークライフバランスとなかなか意欲的なテーマを取り上げたため、毎回準備に丸1日以上かかりました。クラスは1266人の合同クラスですが、今学期は不景気の影響で中国でも就活が早く始まり、出席者は平均すると20名もおりませんでした。おかげで学生と対話しながら、ゆっくりと講義を進めました。

 ところで、後半の高齢社会を準備しながら、改めて、日本の高齢化の深刻さが分かりました。日本は2007年に超高齢社会に入り、現在、65歳以上の高齢者の割合は22%を超えているでしょう。これは日本人が5人集まるとそのうち1人以上が高齢者だということになります。日本で平日の昼間に街を歩くと、見かけるのは同世代かそれ以上の年配者で、若者が多い中国の街頭とは異なり、ずいぶん違和感を覚えましたが、まさに、これが実態なのだと悟りました。23年後には我々団塊の世代が高齢者に入りますから、すぐに高齢者人口のピークを向かえることになるでしょう。

 高齢社会の講義で、日本では老人世帯が増えており、介護保険が必要と話したところ、学生達から、なぜ日本の子供達は親と同居しないのかと反論があがりました。まだ学生達にとっては、社会へ出てそれなりの収入を得たら、親と同居し、親に楽をさせたいという思いが常識のようです。学生達の親への思いを考えると、これからの中国はさらに都市化がすすみ、やがては日本と同じように老人世帯が増えることになるとは、あまり強く言えませんでした。

 

曹操の墓が見つかる?

 昨年は、三国志の赤壁の戦いをテーマにした映画「レッドクリフ」が人気でしたが、年末に面白いニュースが流れました。中国中央テレビ(CCTV)のニュースで、河南省安陽市で発掘中の古墳の出土品から、この古墳が魏の武帝曹操の墓であることが判明したと放送されました。既に、河南省やその周辺では、曹操の墓と言われるものがいくつかあるようですが、武帝ではなく魏王と書いた出土品から本物の墓である可能性が高いそうです。さらに、棺にあった頭部の人骨が60歳代の男性であることが分かり、曹操の遺骨ではないかと放送されました。

 しかし、その23日後に、インターネットのニュースや同じCCTVのニュースで、発見された出土品では証拠不足であり、さらには、偽造品の疑いもあると、多くの学者から反論があがっていると、前回の放送を否定する内容が放送されました。安陽市は河南省の北側にあり、同省の洛陽、開封と並ぶ古都として有名です。人民網の記事では、観光開発を当て込んだ市当局の勇み足ではないかと書かれていました。

 河南省のすぐ南にある湖北省は三国志ゆかりの地で、北にある襄樊市(じょうはん)は、孔明が寓居し、劉備が三顧の礼を尽くした所として有名です。また、以前の近況でも紹介しましたが、省の南には関羽の荊州やレッドクリフの赤壁があります。当時、武漢は夏口といわれ、呉の領地で、周瑜が水軍の訓練をした所だそうです。そんな縁から、このニュースを興味深く見守っていましたが、どうやら本物ではなさそうで、いささかがっかりしています。
 

二つの長江大橋を渡る

 今学期の期末試験は暮れの28日、30日に行いました。作文、文学、経済と社会、全て記述問題にしましたので、試験問題の作成は楽でしたが、採点がたいへんでした。文学ではもっとも時間を使った川端康成の「伊豆の踊子」から全て出題しました。下田から東京へ帰る船中で主人公はぽろぽろと涙をながし、すがすがしさを感じたのはなぜか、といった難問を出してみました。3年生、4年生、全部で130名近くの答案を読み、点数を付けるのに4日間かかりました。さらに、評価報告書や評価結果をパソコンから入力したりと、今学期の作業が終わったのは年明けの6日になりました。

 今年の冬休みは旅行をせずに、直接日本へ戻ることにしました。上海へ出るのに飛行機は使わず、動車(新幹線)で行くことにしました。武昌駅を840分に発車し、長江大橋を渡り、漢陽、漢口を回って、長江の北側から安徽省の省都合肥へ向かいます。武漢の長江大橋は2層構造で、上が車、下を列車が走ります。武漢にいる間何遍もこの橋を渡りましたが、列車で渡るのは初めてです。気のせいか、下層を渡るため、川面がいつもより近く感じました。漢口を過ぎてしばらく走ると、小さな丘陵が続くでこぼこした田園地帯が続きます。合肥へ着くまでに、麻城北、金寨、六安と3つの駅に停車しましたが、どれもまわりは冬の荒涼とした田園で、付近に人家もあまり見えません。なんだか日本の新幹線開業時の岐阜羽島駅を思い出しました。武昌を経って2時間半、高層ビルが見え始めるようになり、合肥に着きました。合肥を過ぎると駅弁を売りにきます。白米のご飯と野菜、中華のおかずが二品ついて23元でした。合肥から1時間ほどで南京に着きました。南京の手前で、南京の長江大橋を渡ります。橋の様式は武漢と全く同じで、これも列車は下層を渡ります。この橋は南京に居るとき、学生のいるキャンパスの行き来に毎日渡っていましたが、やはり、列車で渡るのは初めてです。獅子山の上に立つなつかしい閲江楼を前方に見つつ、橋を渡りました。武昌から南京まで3時間半かかりました。南京から上海までは2時間30分でした。合計すると武昌から上海までおよそ840km6時間かかりました。

 2009年の漢字は「新」だそうですが、今年の年明けはとても静かに感じます。民主党の政権運営はまだ地に着かず、政治資金問題でやかましいですが、平穏で、かつ、新しさが感じられる年になって欲しいものです。