武漢近況その7 (2009年5月)


卒業論文の指導

 今年の武漢は涼しい天気が続きます。例年ですと、5月も下旬の今頃は30℃を超える暑さが続いているようですが、まだ、30℃を超えたのはほんのわずかです。暑くないのはよいのですが、湿っぽくてうっとうしいのがこまります。

 5月は忙しい月となりました。副教授待遇に祭り上げられて、何と10人の学生の卒論指導をすることになりました。男子学生が4人、女子学生が6人になります。学生達のテーマは、それぞれ、中国語における日本語からの借用語、日本の飲酒文化、オタク、日本人と三国志、太宰治、日本人の縮小意識、非言語コミュニケーションの中日比較、宮崎駿論、少子化問題、現代女性の職業観といったもので、分野も内容も様々です。

 昨年末にテーマの選定が終わり、初稿提出が3月末、最終稿が4月末で、卒論答弁が521日に行われました。後期学期の4年生は授業がないため、ほとんどが大学におりません。就職活動や企業実習で郷里に帰ったり、北京や上海などの大都市へ散らばっています。そんなわけで、3月末の初稿の提出が3割、4月末の終稿の提出が4割、全員の提出が終わったのが5月半ばになりました。学生によっては、会って相談してもこちらの意向が十分に伝わり難いので、まず、論文をメールで送らせ、それにコメントを付けて返すやり方で指導しました。学生の論文とはいえ、卒業論文ですから、平均でもA420頁前後、精読して、コメントすると半日程度かかります。それが、恐れていた通り、締め切り間際にどっと送られてきました。コメントを書いてはダメを出して、平均すると初稿から数えて45回論文をやりとりしたことになります。

 5月の頭は中国でも労働節で連休です。当初は、終稿の締め切りも終わるので、近場を旅行するつもりで、列車の切符も買い、ホテルも予約していました。ところが、4月末で終わったのが4割ですから、慌てて旅行をキャンセルして、卒論指導に備えました。しかし、連休中に送られてきた論文はわずかに12篇で、拍子抜けしてしまいました。問い質したわけではありませんが、締め切りも過ぎているのに、彼等はいったい何をしていたのでしょう。

 卒論答弁もたいへんでした。4年生は全員で65名、答弁は二つのグループに分けて行いました。それでも1グループ30名強ですから、事前に配布された彼等の卒論を全て読み、当日は67時間続けて答弁を行いました。授業が無いせいか、だいぶ日本語を忘れた学生もおり、メモを読み上げるだけで答弁になりません。それでも、卒論の単位が取れなければ学位がもらえませんから、彼等も必死でした。何はともあれ、卒論指導が何とか終わりホッとしています。

 

「南京!南京!」が封切られる

 4月の末に話題の陸川監督の「南京!南京!」が武漢でも封切られました。普段、インターネットでしか映画を見ない学生達も、わざわざ35元の学割切符を買って見に行きました。南京を描いた映画では、初めて日本兵を主人公の一人としたことも話題をさらいました。映画としては、占領された南京で最後まで抵抗を続ける兵士達や、同胞を救うため進んで犠牲になる市民達、また、殺戮に罪悪感を覚え苦悩する日本兵など、極限状態の中でのヒューマニズムを描いた作品でしたが、処刑や殺戮、レイプシーンなどが、モノクロ画面で克明かつ、リアルに描かれており、なんとも衝撃的な映画でした。

 日本語科の学生達は、多かれ少なかれ、「何で日本語なんかやるの。」とか「小売国奴じゃないの。」などと他学部の学生から揶揄された経験を持っています。こうした映画が流行る中で、学生達への影響や、また彼等自身の気持ちがとても気になりました。学生達の顔色をそれとなく伺っていましたが、教室で接する限りでは普段と変わらず、屈託なげなので、少し安心しました。

何人かの学生に感想を聞いてみましたが、そう容易くは日本語で表現できないようです。ただ、その中の一人が ”Be Strong Enough!” と言い放ちました。映画を見て、さすがに日本人が憎い、日本人が悪いという感じは持たなかったが、ただ、こうした惨劇は二度と起こしてはいけない、そのためには、一人一人が強くなり、国を強くしていかなければいけないと固く思ったそうです。これに賛同する学生も何人かいましたので、中国の人達の反応の一つなのでしょう。私自身は、日本人に対する感情は別にして、こうした映画を見ると、戦争の悲惨さ、残酷さを痛感して、二度と戦争を起こすまいという反戦意識を抱くだろうと思っていたのですが、反応の違いに少し戸惑いました。

陸川監督はこの映画の日本での上映を強く希望しているようですが、今のところ、日本での上映の目処は無いようです。

 

日本語特訓ツアー

 話は変わりますが、先週、元日本IBMの先輩方5名がわざわざ武漢へ遊びに来てくださいました。南京へも来ていただいたDさんを始め、悠々自適の方から、まだ、現役で頑張られている方まで、多士済々の皆様です。今回は、中国のどこへも寄らず、武漢だけたずねてくださるので、感激です。皆様がいらっしゃる1カ月ほど前から準備を始めました。3年生達に、市内や近郊の観光のガイドを募ると、希望者が多くて困りました。考えた末、ガイドの人数を多めにして、また、日ごとにガイドを全て入れ替えることに決めました。次に困ったのはレストランです。私は学生達と一緒の学生食堂や、一人で出かける近場の安レストランしか行かないので、手頃なレストランを知りません。中国人の先生にいくつか推薦してもらって、学生達と味見に行きました。漢口を含めると、武漢の市内は広く、すばらしいレストランも多数あるのでしょうが、大学のある洪山区からはやや遠いのが不便でした。

 さて、ツアーの初日は、武漢市内をご案内しました。先輩方と私やガイドの学生を入れると10名ほどになるため、旅行社にマイクロバスを手配してもらいました。午前中は湖北省博物館を見学し、編鐘の実演を聞きました。これは、大小たくさんの並んだ鐘を打って演奏するもので、湖北省から出土された紀元前5世紀の曽侯乙(そこうおつ)墓の編鐘が博物館の目玉になっています。昼食後に、武漢のシンボル、黄鶴楼を観光し、そして、近くの埠頭からフェリーで漢口へ渡りました。漢口では、租界跡や繁華街の江漢路を散策して、ホテルへ戻りました。

 二日目は、赤壁と岳陽楼を見に出かけました。赤壁へは、武昌から湖南省へ行く高速道路にのり、80kmほどいって、赤壁インターで降ります。インターからさらに40分ほど走って、赤壁鎮という農村に三国赤壁古戦場というテーマパークがあり、ここに、赤壁石刻、周瑜塑像、孔明の拜風台などがあります。有名な赤壁石刻は、長江の岸辺の崖の上に、「赤壁」と赤く刻まれていました。文字は小ぶりで1uもないでしょう。ただ、長江の水嵩が増しており、石刻の下には立てず、脇から眺めました。

 岳陽楼へは、再び赤壁のインターへ戻り、さらに100kmほど南西へ走って、2時間ほどで着きました。先月岳陽楼へ来た時には、眼前の洞庭湖は水が無く、遠方には干上がった中州が見えたのですが、今回は冠水しており、遊覧船も動いているようです。赤壁といい、洞庭湖といい、連日の長雨で水嵩が増したのでしょうか。湖畔のレストランで遅めの昼食をとり、それから岳陽楼を見物して帰りました。朝7時に出発し、ホテルに戻ったのは夜の8時半、長いバス旅行になりました。

 三日目は、大学に来ていただき、2年生の特別授業で講演をしていただきました。5人の方々全員に、自己紹介や近況、趣味など様々な話をしていただきました。学生達からみると、学者や研究者の講演を聞く機会はありますが、日本人のビジネスマン、あるいは、OBの方々の話はとても新鮮で興味深いものがあるようです。話の内容はどこまで聞き取れたか、疑わしいものがありますが、日頃武漢ではあまり接することができない日本の方々の話をたっぷり聞けて、とても貴重な経験になったことと思います。

 三日間、ほとんど休みなく、武漢やその近郊を見ていただきました。その間、学生達が付きっきりで案内いたしましたが、逆に、彼等にとっては、丸1日、日本人と接して、話すことができました。先輩方は、市内や郊外の観光地に向かうバスの中や、食事の席で、実に丁寧に、根気よく学生達と会話していただきました。何だか、武漢観光というより、日本語特訓ツアーだったようで、恐縮しています。

 5月も下旬となりました。大学からは、期末試験問題の提出を迫られています。今学期もあと1カ月余りとなりました。そろそろ授業もまとめに入る必要がありそうです。