武漢近況その6 (2009年4月)


武漢大学和服事件

 不順な天候が続きます。3月に一時は30℃近くあった気温も、また雨が続き、肌寒さが戻りました。今年は東京の桜も例年より遅かったのではないでしょうか。武漢では3月下旬に盛りを迎え、有名な武漢大学の桜は22日が満開でした。その武漢大学でちょっとした事件が起こりました。21日の土曜日、桜見物でにぎわう武漢大学の桜園で、中国人の母娘が和服をはおって写真を撮っていたところ、突然、一人の学生から不愉快だから出ていけと怒鳴られ、それに同調した周囲の見物客からも罵声を浴びせられ、母娘は和服を脱いで立ち去ったそうです。ちょうど、この様子が地元の新聞に写真入りで掲載され、ブログで賛否両論が戦わされました。一部の日本の新聞にも報道されたため、何人かの方から問い合わせを受けました。武漢大学の桜は占領時に日本軍が植えたものだといわれますが、現在の桜は1972年の国交回復の時に日本から寄贈され、大きくなったものがほとんどのようです。本来は、日中友好のシンボルなのでしょうが、残念ならが、一部の中国の人々にはこれ見よがしに日本を見せつけられると不快感が湧くのでしょう。

 私は学生達と29日の日曜日に武漢大学へ花見に行きました。まだ見物客でにぎわっていましたが、桜の方はすっかり散ってしまって、大部分は葉桜でした。仕方が無いので、近くにある磨山公園の桜花園へ行ってみました。桜花園は最近できた庭園のためか、桜は武漢大学のものよりだいぶ小ぶりなものが多かったのですが、まだ散らずに、咲き誇っていました。大きな池の周りにかなりの本数の桜が植えられています。園内を散策すると、写真屋が店をだしており、撮影用の華やかな貸衣裳がぶら下がっています。何気に見ると、側の桜の木の下で、若い女の子が赤い和服を着て記念撮影をしていました。先週、向うの武漢大学では大騒ぎになったのに、なんとなく肩透かしを食ったような気がしました。

 

不景気なので大学院をねらう

 景気低迷が続きます。こちらで普段生活している分には、相変わらず繁華街はにぎわっており、不景気を感じませんが、輸出関連企業は苦戦しており、また、外資系企業の撤退も続きます。学生達の就職活動はたいへんなようで、あまり良い話を聞きません。新卒者の採用は11月と3月がピークですが、日本と違い、既卒者や経験者が優遇されます。大学生の求人が買い手市場になったせいか、新卒者の初任給が下がり始めました。ひどいところは1000元を切るところも出始めたようです。町のウェイトレスやウェイターの月給が600800元ほどですから、これではあまり差がありません。広い中国ですから、自宅からの出勤は皆無でしょう。新入社員達はアパートを借りなければならず、家賃を考えると1000元では厳しくなります。

 苦戦している4年生を見ているせいか、3年生も自分達の進路について悩み始めました。就職状況がよくないため、大学院や留学の希望者が増えています。春節の休みに家族会議を開き、大学院進学を決めた学生も少なくありません。中国は日本以上に学歴社会で、学歴によって、給与や職位がはっきり分かれます。企業も文系大学院生を嫌がらないので、大学院への希望者が増えています。また、現代の中国では大学の教員は人気職種の一つです。学生に聞くと、休みが多くて、仕事が楽な割に、社会的地位が高いからだと言います。大学院への進学は、国の統一試験があり、その結果で、各大学院の個別試験が行われます。統一試験の主要科目は政治学と英語だそうで、日本語科の学生は、特に、女子学生は政治学が嫌いで、かつ、日本語の勉強のため英語を忘れてしまったとこぼしています。

 大学院の希望者が増えていても、国公立の大学が中心の中国では、教育局の審査が厳しく、むやみに大学院の増設を認めません。日本語科の大学院を持つ大学は少なく、その定員も多くありません。大学院への進学が狭き門のためか、留学熱も盛んです。欧米に比べ、日本は近くて行き易いせいか、日本の大学院の希望者は衰えません。日本では文系大学院の進学希望者が極端に少ないようですから、このままではやがて日本の文系大学院生はすべて中国人かアジア人になるかもしれません。

 

洞庭湖には水が無い

 清明節の休みに、湖南省の岳陽市へ旅行に出かけました。岳陽は岳陽楼で有名で、武漢から南西へ二百数十キロ、バスで34時間ほどのところにあり、ちょうど長江と洞庭湖の接点にあたります。

 岳陽楼は、武漢の黄鶴楼、南昌の滕王閣と並ぶ江南三大名楼の一つとされます。220年ごろ建てられたようで、その後、各時代に建て替えられ、現在では3層のやや小ぶりな楼閣でした。昔から、多くの詩人が詩を残しており、中でも杜甫の「岳陽楼に登る」は有名なようです。楼の目の前には洞庭湖が広がり、ゆったりとした眺めが楽しめます。岳陽楼の周りはきれいに整備され、洞庭湖に沿って、昔風の食べ物屋やみやげ物屋が連なります。着いたその日は半日ほどゆっくりと辺りの景観を楽しみました。

 翌朝、再び岳陽楼へでかけ、ポスターで見かけた洞庭湖の中にある君山島への遊船券を求めました。すると、すったもんだの挙句、水位が低いため船は出ておらず、車で迂回しろと言われました。幸い、バスが出ており、小一時間ほどかけて、湖の周りを大きく迂回し、君山島へ行きました。なんと、君山島は地続きとなっており、島の周りは、青々とした大草原や湿地帯でした。洞庭湖は、昔は八百里洞庭と言われ、中国一の淡水湖でしたが、近年の農業用の干拓のためか、どんどん面積を狭め、現在は、江西省のは陽湖に続いて二番目だそうです。昔から洞庭湖は長江の天然のダムの役割をはたしており、雨季には、その面積は数倍にも広がるようです。しかし、最近できた三峡ダムは洞庭湖の上流ですから、もうあまり広がることはないのかもしれません。君山島の上から洞庭湖を眺めると、島の周りは緑に囲まれ、はるか遠くに湖面が見えました。45年前の観光案内やポスターでは、青い水に囲まれた島の写真や、遊覧船の案内が載っていましたので、なんとも不思議な眺めでした。

 4月も下旬になりました。雨が続いて涼しいこの頃ですが、雨があがると武漢の暑さが照りつけることでしょう。昨年より、5月の黄金週はなくなり、1日のみ休日の3連休ですが、また学生達と辺りを歩いてみようと思っております。

は陽湖のは:番へんにおおざと