先月の28日に武漢へ到着しました。前日は上海浦東空港の側のモーテルに1泊し、10時45分の東方航空に乗り、2時間弱で着きました。武漢天河空港では、中国人の先生と宿舎の管理人に出迎えてもらいました。 途中で昼食をとったので、宿舎へは2時間ほどかかりました。宿舎は大学の北側に隣接している私営学生アパートの一角にあります。学生アパートは8階建ての建物が16棟も並ぶ大規模なもので、その西側に、柵で囲まれた12階建ての4棟が大学の教員宿舎でした。私の部屋は9階の東南向きの2LDKで、6,70uほどの広さがあります。部屋は奇麗に掃除されていましたが、物入れが少ないのと、備品がほとんどないのが難点でした。ベランダへ出ると、通りを隔てた学生アパートが目の前にそびえており、パンツ一つで武漢の暑さを凌いでいる男子学生の姿が飛び込んできました。 武漢は湖北省の省都で、北の北京、東の上海、南の広州、西の重慶から、多少の長短はありますが、およそ1,000kmほど離れた、まさに中国の真ん中にあります。湖北省の面積は18.6万kuで、8万kuの北海道の2倍以上、人口は約6,000万人になります。武漢は湖北省の東側にあり、武漢三鎮で有名な武昌、漢口、漢陽が合わさって武漢市となりました。人口は781万人、600万人の南京より少し大きく、緯度はほぼ日本の屋久島と同じだそうです。大学は長江の東南にある武昌にあり、長江大橋の側にそびえる黄鶴楼から、バスで小1時間ほど南へ下った所にあります。大きな都城湖として有名な東湖の南に、南湖があり、その東岸が大学です。大学から見れば、キャンパスの中に湖があります。この南湖は、南京の市内にあった玄武湖の2倍以上の大きさで、湖の周りを、民族大学の他に、武漢理工大学、華中農業大学、中南財経法政大学、武漢科技学院が取り囲み、ちょっとした文教地区といえます。大学の東側を南北に幅の広い民族大道という幹線道路が走り、その両脇に、大学や職業学院、専門学校、あるいは、延々と続くアパートやマンション群が連なります。大きな会社や工場はなさそうです。 中南民族大学は国立で、現在中国に、9つある民族大学の一つです。それらは、中央民族大学(北京)、中南民族大学(武漢)、西南民族大学(成都)、西北民族大学(蘭州)、西北第二民族学院(銀川)、大連民族大学(大連)、広西民族大学(南寧)、青海民族学院(西寧)、雲南民族大学(昆明)となり、少数民族の研究と教育を目的に作られています。湖北省だけをとってみると、少数民族の人口は53民族合計で258万人、省人口の4.4%を占めており、このうち200万人弱が、西南部にある恩施土家族苗族自治州にいるそうです。 中南民族大学は1951年に設立され、当初は民族学や社会学を中心とした民族学院でしたが、2002年に総合大学になりました。ですから、外国語学部の日本語科はまだ新しい学科です。全校で教師がおよそ1,700人、学生が20,000人ほどになります。 大学のシンボルは湖畔に建つ双頭の図書館ですが、他に、民族博物館や回族用の民族食堂があります。博物館は改修中で入れませんが、学生と一緒に清真食堂という民族食道へ行ってみました。昨年旅行した新疆のウィグル料理を期待したのですが、豚肉や、ラードを使わない普通の中華料理でしたので、少しがっかりしました。 新学期は1日から始まりました。今学期は3年生と4年生を担当することになりました。3年生の文学、作文、4年生の新聞報道ですが、各学年とも2クラスあり、また、文学は週2回ですので、合計16コマを担当します。南京の時のおよそ倍に増えました。3年生は大学でもいよいよ高学年になったことで、意欲や真剣さが伝わってきましたが、4年生は授業数も少なく、もうじき就職活動も始まることで、何となく心ここにあらずといった様子でした。学生の出身地は地元の湖北の他に、湖南、重慶、河南、貴州、広西、山東など、湖北に近い省の学生が多いようですが、遼寧省や江蘇、淅江省などの学生もおり、ほぼ全国に及んでいます。自己紹介で民族を書かせてみたところ、全部で15民族、そのうち漢族が55%、あとは、回族11%、土家族8%、苗族7%などが主なところになります。民族大学なのに、漢族が過半数を占めたのには少し驚きました。少数民族の学生は入試の時に下駄をはかせてもらえるのですが、それでも漢族が多くなるようです。因みに、クラスの面前で、学生達に出身民族をたずねることは失礼にあたらないそうです。 例によって、午前中の授業が終わってから、学生たちと順番に割り勘で昼食をとることにしました。授業を行う教学楼は大学の北側、学生食堂は学生寮のある南側にあるため、昼食には学生達と南湖の湖畔を1km以上歩かなければなりません。ただ、休憩時間はたっぷりあって、11時40分に授業が終わると、午後の授業は14時10分に始まります。学生達は皆昼食が終わると、寮に帰って昼寝をしているようです。 少数を除くと、私には学生達の顔つきを見ても、漢族なのか、少数民族なのか区別がつきません。もっとも学生達に聞いても、自分の民族の言葉を話したり、書いたりはできないようです。回族の学生と食事をしていると、野菜ばかり食べている学生もいれば、平気で豚肉を食べる学生もいます。聞いてみると、母は回族だが、父は漢族で、家では母も豚肉を食べていると言っていました。寧夏省の回族や、貴州省の苗族などの本家は別として、全国に散っている少数民族はもうほとんど同化しているのではないでしょうか。 武漢に着いた当初は、秋の長雨ではないでしょうが、雨が続き、気温も涼しかったので、武漢の猛暑を覚悟して乗り込んだ身には少々当てが外れました。ただ最近は晴れた日が続き、気温も日中には35℃まで上がってきました。宿舎は幹線の民族大道から脇に500mほど入った所にあります。周りは、古アパートや学生寮が入り組んで立ち並び、学生街の裏街といった風情です。道路の両側は学生達を当て込んだ食堂、コンビニ、雑貨屋などが軒を並べ、さらに、食事時にはその道路の脇にぎっしりと軽食の屋台が店を開きます。付近の大学や職業学校の若者達がどっと繰り出して、たいへんな人出になります。屋台は麻辣湯、炒飯、焼きそば、餃子、焼き餅など豊富でおいしそうなのですが、道路を車やバイクが人をかき分けて通り抜けるので、埃が心配でしり込みしています。 相変わらず自炊ができないので、毎回、外食をしています。まわりは、屋台かそれに近い小店ばかりなので、ちゃんとドアの閉まったレストランを探して食べていまが、少々おっくうです。武漢の料理は、南京と比べると少しピリッとしていて、私には気に入っています。値段も1,2割安いようです。ですが、ご飯がパサパサで、箸でうまくつかめないのには閉口します。改めて、江南は米どころだったと見直しました。名物料理は熱乾麺と武昌魚だそうです。熱乾麺は、湯がいた麺にだし汁をかけないで、どろりとしたソース(醤)をまぶしたもので、よく学生達が朝食や昼食で食べています。武昌魚は武昌でとれた魚を蒸したり、葱を添えて軽く炒めたりした料理で、こちらはレストランで食べることになります。両方ともチャレンジしてみましたが、武昌魚は武昌で育った魚を言うようで、普通の魚料理でした。また、熱乾麺は、私にはだし汁があった方が食べやすかったです。 南京とは違って、スクールバスでキャンパスに通う必要がなくなりました。毎朝、歩いて教室に向います。寮から民族大道へ出て、大学の塀に沿って北門まで歩き、そこから、外国語学院の教学楼へ向かいます。寮から教室までだいたい20分ぐらいです。また、昼食は南にある学生食堂へ行くので、これも20分ぐらい歩きます。往復すれば1時間は軽く超えます。また、夕食は小奇麗な食堂を探して歩きますので、これも2,30分と毎日よく歩きます。おかげでよく眠れます。 さて、もうすぐ国慶節の連休となります。遠出は大変ですが、近場に出かけてみようと思います。湖北省ですと、三国志で有名な荊州や三峡ダムの宣昌、あるいは、湖南省の岳陽や長沙へも足を延ばせそうです。着任当初は、生活用品の買い出しでたいへんでしたが、それもなんとか落ち着きました。そろそろ大学から、連休中の日程が発表になるころなので、小旅行でも計画しようと思っています。
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