蘇州近況その9 (2004年6月)


先週の終わりに二、三日真夏日が続いたのですが、それから、雨が降ったりやんだりとはっきりしません。これで蘇州も梅雨入りなのでしょうが、ただ、雨が降り続くわけではなく、気温もそれ程高くはないので、過ごしやすい日々となっています。

さて、今学期の期末試験もなんとか終了し、最後の科目の成績を先ほど大学事務へ提出してきました。試験では、本科は問題ありませんでしたが、専科は日本のように二人ほど授業で見ない顔が受けに来ていました。学期の初めに、成績は出席と学期中の試験で6割、期末試験が4割と言ってありますので、期末試験だけではなかなか及第点にはならないのですが。前にも書きましたが、高卒で社会に出た既卒者の短大に当たる専科では、カンニングが盛んです。普段のテストでは、カンニングというより、お互いに見せ合ったり、顔を回して、あちこち覘きまわったりと忙しいものでした。その結果は、留学組みの周辺に座っている学生たちの点数が、皆同じようにりっぱな点数となりました。これではあまり個人の成績にならないので、期末試験では学籍番号順に座る場所をこちらから指定しました。座席の指示をするため、朝、試験時間よりだいぶ早めに出ると、もう学生たちはだいぶ集まっておりました。こちらから座席の指示を出したとたん大騒ぎとなりました。何人かの学生はなんと机を持って移動を始めました。何故机を持って移動するのかと白々しく問い質しましたが、この光景には思わず笑ってしまいました。試験が始まり、しばらくは静かなものでした。私以外にも大学院生の監督官が付いて、さらに、机もだいぶ間を置いて座らせています。荷物は前の空いた席に置かせてありますので、怪しげなそぶりもなく一生懸命問題と取り組んでいます。試験は1時間半ですが、少なめにしてありますので、半分もかからないでしょう。そのちょうど半分、45分が過ぎた当たりから妙にざわつき始めました。一通り最後まで書き終えた学生が分らなかったところを埋めようと周囲をキョロキョロはじめました。妙に感心したのは、できる学生も書き終ったのになかなか答案用紙を提出して教室を出て行きません。答案を机の角にずらしたり、持ち上げてチェックするように動かします。覘く方は、少しでも監督官が他所を見ているとどうどうと後ろや横を覗き込みます。再三、後ろを見るなと注意しましたが、ほとんど時間の終わりまで、いたちごっこでした。これまで、予習、復習はもちろん授業態度も真剣な本科の学生を中国の学生一般と考えてきましたが、専科の学生は、授業中も騒がしく、学生のイメージをだいぶ修正させられました。これは、本人たちの自覚ももちろんですが、能力の有無に係らず無理やり詰め込もうとする大学の方針にも問題がありそうです。専科の学生の半分近くが授業のレベルについていけず、当人たちもどこかでその意欲を失ってしまっているようです。気の毒なのは、こちらの大学(蘇州大学?)ではほとんどの科目が必修科目で、日本のようにいくつかの選択科目は落としても卒業に差し支えないというようにはなっていないようです。もともと大学センター試験の成績で大きく差のある専科の学生に、本科の4年分の内容を、レベルは下げているにせよ、2年か3年間で教えることは無理なようです。これは大学も認識しており、専科の制度の見直しを検討中と聞きました。

話は変わりますが、先々週の週末に同僚の先生の尽力で、昆劇の切符が手に入り、先生方と鑑賞してきました。昆劇とは、世界遺産の無形文化遺産にも登録された演劇で、京劇の原型ともいわれ、蘇州行政区の中にある昆山市が発祥のため、こう呼ばれます。現在では、歌舞伎風に言えば、荒事が中心の京劇に対して、世話物の昆劇といった位置付けのようです。出し物は湯顕祖の「牡丹亭」という古典ですが、これを台湾の白先勇という作家が現代風に書き換え、「青春版牡丹亭」として台湾で上演し、大当たりをとったものです。今回は、昆劇の中心である蘇州に敬意を称して、蘇州大学の存菊堂(構内に芝居や映画を見せる劇場があります)で、大陸での初演となりました。これも歌舞伎と同じように出し物は何段目と多くの場面で区切られて、通しでやれば三日以上かかるようです。青春版牡丹亭では全三十数景、三日間の公演でしたが、こちらの都合で、初日と三日目の鑑賞となりました。粗筋は、南安太守に美しい娘がおり、ある日、夢の中で庭園に遊び、りりしい青年に出会います。夢から覚めてもその青年が忘れられず、とうとう患って死んでしまいます。実はその青年は実在しており、偶然、娘が残した自画像を手に入れ、その美しさに魅かれて、毎日祈っていると、娘が蘇生して、めでたく結ばれるといったものです。初日に30分前に劇場へ行くと、既に一般の人たちや学生でいっぱいでした。幸い、座席は前から6列目という特等席で、すぐ横はオーケストラボックス?でした。舞台は、京劇も同じようですが、大道具はあまり使われず、それぞれの場面は背後のカーテンにつるした飾りや、衝立や椅子など小道具で表現されます。また、舞台の両横には大きな電光掲示板があり、場面の名称、台詞や歌詞などが映されます。内容がラブロマンスのためか、青春版の演出のためか、俳優の動きに合わせた銅鑼や鉦(歌舞伎の拍子木によるツケと同じ)は抑えて、二胡や琵琶、横笛などによる叙情的な伴奏が多用されていました。形式は踊りの入ったオペラといったものになります。幕が開いてしばらくは、ヒロインのやや古典的な落ち着いた顔立ちよりも、その召使役の現代的な、いかにも中国娘的なきびきびした愛らしさに惹かれましたが、舞台が進むにつれ、ヒロインの可憐さやしっとりした美しさが際立ちます。衣装も極彩色のはでなものではなく、刺繍の入った淡い色の絹服で、場面に応じて着替えます。オペラのように舞台の中央でどうどうと直立して歌うのではなく、ちょっと斜めに構えた姿勢から楚々と歌うといった様子です。舞台の後半では、ヒロインが登場しただけで、場内が一瞬、固唾を呑むというか、静まり返るほどでした。相手役の男優も長身で、優男というよりはややきりっとした顔立ちで、台詞や歌は、カウンターテナー的な裏声がほとんどとなります。庭園での邂逅や霊界に入る場面など天女たちの舞が入り、ヒロインと男優とのデュエットは、歌舞伎というより中国版の宝塚を見ているようでした。最後のカーテンコールでは、拍手が鳴り止みませんでしたので、昆劇に詳しいこちらの人たちも満足したのでしょう。この舞台は、その後、上海、北京で公演された後、来年か再来年には東京で上演されるとのことでした。

ところで、早くも6月の末となりました。近くの果物屋では、少し前では、メロンや真桑瓜が盛んに出回っていましたが、やがて、茘枝(れいし/らいちー)や山桃などに変わり、現在では西瓜と、さらに桃が出始めました。日本とは少し時期がずれるようですが、今まで出ていた小振りの固い桃から、これからは日本と同じ水蜜桃が出るようです。昨年の8月の末に来て以来、かれこれ1年近くになろうとしていますが、日本語を日本語で教えているため、また、生半可な中国語を使ってあらぬ誤解を与えるよりは、徹底して日本語で通していますので、一向に中国語を覚えません。精々テレビの天気予報でアナウンサーがしゃべる気温が聞き取れるぐらいです。せっかくすばらしい環境にいるのですから、中国語を覚えようと家庭教師をお願いすることにしました。中国の先生から優秀な学生を紹介してもらい、週21時間50元で5月からレッスンを始めてもらいました。問題はやはり発音です。日本人にはzhchshrzicisi、などが特に難解です。この歳でまたlrの区別に苦労するとは思いませんでした。また、中国語には四声というアクセントがありますが、折角読み方を覚えても四声をきちんと発音しないとまるで通じません。本人は正しく発音しているつもりでも、聞く方からは語尾が上がっていない、あるいは下がっていないと何回も注意されています。まだ2ヶ月ですので効果は分りませんが、学生の前では不様な姿は見せたくないと、予習、復習に追われていますので、その分だけ進歩はあるでしょう。まだまだ皆様をご案内する程、話せませんのでもう少しご猶予ください。もっとも、こちらに4年近く居る日本の先生も、地元の人の蘇州弁の会話は聞き取れないとのことですから、いつになったら話せるようになるのかは見当がつきません。

さて、採点も終って、あとはこれまでの整理をすれば、今学期は完了です。幸い、契約はまだですが、次年度の契約更新も決まりました。来期もまたここで授業をすることになります。来期は91日から授業開始のため、一旦日本へ戻って充電したいと思っています。この近況もいつまで続くか分りませんが、また来期から中国への驚きや感動がある限り、出来るだけ続けていきたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

追: 帰国の予定ですが、629日に蘇州を発って、北京で3日、大連で2日、観光をしてから、東京へ戻る予定です。年初の南寧を除いては、この江蘇省近郊以外、どこも中国を見ていません。まずは北京を見てみることに致しました。もし、ここを見るべきだとのご推薦やお知り合いがいらっしゃればご紹介をお願いいたします。

追2: 牡丹亭でのデュエットの写真を添付しました。写真で見ると妙に冷めた感じとなって、劇場での雰囲気が伝わらないのが残念です。