連休が過ぎるとすぐに夏日になると思いましたが、この2,3日は湿りがちで、温度も20度前後と涼しげな気候が続きます。蘇州、上海の中国の東シナ海沿岸部(中国では東中国海といいます。)も日本と同じ時期に梅雨に入るようですが、このまま梅雨入りになるのではといささか心配になります。 さて、5月の連休ですが、今年は1,2日が土日、3,4,5日が休日、6,7日が振替え休日で、ちょうど一週間の休みとなりました。折角の休日ですので、できるだけ出歩くことにいたしました。まず4月30日から2泊3日で、江蘇省教育委員会の外国人オフィスの主催による南通市への視察旅行に参加しました。南通市は、蘇州、上海と長江(揚子江)をはさんで、対岸の北側にあります。まだ長江を見たことがないので楽しみにしていました。蘇州大学の外人教師、日本人、オーストラリア人、ロシア人、韓国人と、外事オフィスの中国人の計10名で、大学のバスで南通へ向かいました。蘇州から高速へ乗って北へ向かい、常熟市で降りて、さらに北へ張家港市まで2時間程走りました。生憎の雨で視界が悪く、張家港市の郊外で突然渋滞に入ったと思ったら、そこがフェリー乗り場でした。フェリーは両側が空いた巨大な塵取りといったような無愛想なもので、バスを含めて、50台程度の車を詰め込みます。二階に運転する船員用のデッキがある程度で、乗客用の休憩室などは見当たりません。乗客は、車に乗ったままでいたり、甲板の淵でたばこを吸ったり、デッキで景色を眺めたり、てんでにしています。ほとんどゆれずに茶色い水の上をかなり高速に走りました。対岸は全く見えず、時折、フェリー同士ですれ違いながら、30分程で対岸へ着きました。この辺りは、あと東へ100kmほど下ると上海から黄海への出口となります。長江の中で川幅が最も広いところなのでしょう。ちょうど東京湾の一番広いところを渡ったような感じでした。常時、7,8台のフェリーが運航しており、また、さらに東側にも同じような航路があり、結構な交通量となります。また、あと数年すると橋が架かるらしく、常熟側の河岸では工事が行われていました。 対岸へ渡るとすぐに南通市で、30分ほどで宿泊する南通大飯店へ着きました。ここで江蘇省の他の都市から来た教師達と合流し、総勢200名近くとなりました。アメリカ、ヨーロッパと人種は多様ですが、ほとんどが英語教師です。それでも四分の一程度が日本人でしたので、日本語教師も結構な数となります。南通では、4台の大型バスを連ねて、江蘇省南通中学校、如皋(ジョコウ)市特殊学校を視察しました。南通中学は、市内の中心部にある、南通でも1,2を争う進学校で、中学、高校合わせて6000名の大型中学です。なかなかりっぱな校舎や図書館を持ち、大会議室でDVDによる学校紹介をするといった意欲的な学校です。構内ツアーで中学校の英会話の授業をのぞきました。生徒全員がデビッド、ジム、ナンシーなどのミドルネームを持っており、流暢に話す中国人の先生が矢継ぎ早にテッド、ジェーンなどと話しかけると、即座に応答があり、なかなかたっしゃなものでした。授業が終ると、今度はこちらが生徒に取り囲まれて、どんどん英語で話しかけられます。聞いてみると、小学校から英語を習っており、7,8年のキャリアがあるようです。授業の後、体育館に案内されると、今度は高校生が待ち構えており、「交流」と称して、バレーボールやバドミントン、卓球の相手をしてくれます。最後は、学生食堂での学生たちとの夕食でした。夕食はなんと全員参加の手作り餃子パーティーとなりました。バドミントンの相手をしてくれた女子生徒が、餃子の作り方の手ほどきから、飲み物や料理のサービスまで、付きっ切りで世話を焼いてくれました。おそらく外国人と交流するという課題があったのでしょうが、帰りには手土産までくれるという歓待ぶりです。それにしても、彼女たちの英会話はなかなかなもので、先ほどの中学生よりもさらに流暢に話しかけてきますので、こちらもたじたじです。最近の中国では、小学校でもネイティブスピーカーを教師に採用し、英語教育に力を入れているとTVなどで聞いていましたが、ここではそれが実感できました。 南通市は、歴史的には蘇州より新しいようですが、そのせいか、太い幹線道路がどこまでも続きます。郊外は長江デルタに必ず見られる経済開発区で、幹線道路の脇に整地された工場用地が並びます。しかし、まだ建物はまばらで、空き地が目立ちます。そんな中、高速バスを1時間ほど飛ばして、如皋市へ着きました。郊外の近代的な様相が、やや薄汚れて密集したアパート群に変わったと思ったら、如皋市でした。その市内の如皋市特殊学校を訪問しました。 この学校は目や耳の肢体不自由児が中心のようです。南通中学とは打って変わって、学校自体もこじんまりしており、その小さな講堂で、生徒達の歌や踊りや剣舞などが披露されました。最初は特殊教育の専門家でもない我々が見てもと、なんとなく落ち着きませんでしたが、そのうち、生徒達が今まで見たこともないたくさんの外人の前で演技を披露することは、彼らにとってとても晴れがましいことなのだと気付きました。その証拠に、帰りには、付近の物見高い住民がたくさん押しかけて混雑の中を、沿道に一列に整列して、バスにいつまでも手を振ってくれている彼らの得意そうな顔が印象的でした。この特殊学校は歴史が古く、もう何十年の伝統があるようです。最近でこそ中国の発展振りはめざましいですが、ほんの数年前までの中国社会の中で、こうした肢体不自由児をかかえた家庭や学校の苦労はなかなかたいへんなものがあったのではと考えさせられました。 さて、三日ぶりで蘇州へ戻ってみると、蘇州はなんだか狭くて薄汚れて見えました。でも南通のだだっ広い街中を毎日うろうろすることを思うと、このサイズがとても生活しやすいように思えます。一日休んで、今度は一人で、隣の無錫へ出かけることにいたしました。ホテルだけは、前日のうちに電話で予約をしましたが、あとはぶらりと出かけました。蘇州駅のそばに北部高速バスターミナルがあり、あまり長距離はありませんが、南京、上海、杭州など江蘇省とその近隣へ何本も直通バスが出ています。鉄道よりやや運賃は割高ですが、高速バスも市民の手軽な足として賑わっています。連休中でしたが普通の混み具合?で、無事21元で切符が買えました。バスはターミナルを出ると、すぐ高速に入り、1時間もかからず無錫のインターを下りました。 無錫は、尾形大作「無錫旅情」のヒットのせいか、日本からの中国ツアーでも有名です。歌詞の中にも、「上海蘇州と汽車に乗り太湖のほとり無錫の街へ」とあり、蘇州と同じ太湖の東岸にありますが、蘇州より市街が太湖の近くにあり、湖と運河の景観が特徴です。駅のそばの中山路が繁華街の中心で、市街に高層ビルのない蘇州と異なって、高層のデパートやホテルが何件も建ち並んでいました。ホテルにチェックインしてから、二日をかけて太湖のそばの蠡園(りえん)や亀頭渚公園、市内の錫恵公園と観光の目玉を路線バスと足でまわりました。蠡園は太湖の脇の蠡湖に面しており、湖の水を巧みに取り込んで、様々な池をめぐらせた庭園でした。亀頭渚公園は太湖に突き出た半島を公園にしたもので、70元もする異常な入場料でしたが、自家用車は全て進入禁止で、広い園内を公園の遊覧車両で移動します。近くの離れ島には大仏や仏教遺跡があり、そこへの遊覧船の料金は入場料と込みでした。翌日の錫恵公園は、市内を見下ろせる小高い山があり、ロープウエイで上がってみると、手前には、杭州、蘇州を経て、遠く北京へつながる京杭運河が、遠くには太湖が霞んで見えます。無錫の公園はどこも広々しており、連休で大混雑の割には、あまり人込みを感じさせません。このあたりも、貴族や金持ちの個人庭園が中心の蘇州とは大きな違いです。蘇州の拙政園や留園では、観光バスが何十台も止まったら庭園の中は身動き取れないでしょう。ただ残念なことに太湖は市街に近いせいか、水の色は茶色でした。有名な公園を一人でブラブラして、途中で茶館に入って、1,2時間ほど本を読みながらのんびりするという非常に贅沢な時間を過ごしました。ただ、夜になると有名レストランは何れも超満員のため、朝も夜も無錫名物の小龍包とワンタンで終わりました。無錫は蘇州以上に観光都市という趣でした。 今回のように、二日もあれば、どこでもゆっくり見て歩けそうです。蘇州の周りには、常熟、常州、鎮江、揚州などまだまだいろいろな街がたくさんあります。私の学生にも江蘇省のあちこちから来ています。これからも機会を作っては、ぶらりと出かけてみようと思います。 ところで、この近況冒頭で、ひんやりした日が続くと書き始めましたが、それから一転して、現在は真夏日が続いています。実は、冒頭を書き始めた先週の始めに、突然掲示が張り出され、担当している専科(短大)の期末日程が発表になりました。授業は5月28日で終了、期末試験が6月1日に開始、教師は期末試験問題を5月25日までに、A,B,Cの三種類作成して提出することとありました。そろそろ期末試験の準備をと予想はしていたのですが、あっさりと先をこされました。それも、授業は5月で終わりです。今期の授業時間は6月中旬までと思っていたので、授業もまだまだやり残しはたくさんあります。大慌てで、授業内容を組みなおして、また、試験問題を作り始めました。どうも専科の2年生は卒業のため、授業日程が早いようです。本来、試験の日程などは学期の始まる前に決めておいてもよさそうなものですが、こちらではおおまかな日程は決めても詳細は直前に発表されます。また、教授系はあまり関与せず、事務系が決定し、教授系と学生へ通知する仕組みです。今期は専科と本科を担当していますので、本科はまだ授業が続きますが、専科は今週で授業が終わりました。最後の挨拶で、皆さんの日本語はもう少しです。卒業しても是非日本語の勉強を続けてくださいと話しました。本科の4年生でも、日本語のレベルは実用には危ういものがありますので、2年制の専科では残念ながら日常会話でも厳しい状況です。せっかく習った日本語ですから、卒業後もこつこつ続けてくれればと、本音です。そんなわけで、書き始めた近況をこれまで中断していた次第です。その間、陽気はすっかり変わり、真夏日に入りました。いずれじとじとと雨が降ったり、また寒暖が激しく動きそうですが、習いたての中国語で、?身体好?? というのがありました。気候は変わり目で落ち着きませんが、皆様のお身体をご自愛ください。 以上 |