季節に逆らうような寒波が過ぎたあとで、こちらはだいぶ暖かくなりました。運河沿いの柳は枝一杯に薄緑の新芽を吹き出して川面に揺らいでいます。そろそろ桜の咲く頃が近づいてきました。大学には染井吉野はないようですが、何本かの桜があるので、今から楽しみにしています。先日、外事弁公室に頼んで車をチャーターしてもらい、日本の先生方と太湖に梅を見に出かけました。太湖は琵琶湖の三倍ほどの大きな湖で、蘇州や無錫の江蘇省と隣の浙江省へまたがっています。蘇州から西へ40kmほど、車で約1時間のところにあります。蘇州側に東山、西山という景勝地があり、共にお茶、蜜柑、梅の産地としても有名です。西山へは、ちょうど瀬戸内海のしまなみ海道のように、いくつかの島をまたいだ長い橋でつながっています。あこがれの中国の梅を求めて、そこの林屋梅園へ行きました。熱海の梅園のように庭の中に梅がたくさんあるというよりは、梅畑に散策用の通路をつけて梅園にしたようなところです。時期的にはもう遅かったのですが、それでも白梅を中心に、まだまだいろいろな梅が咲いていました。梅園の真ん中に小高い丘があり、その展望塔から当たりを眺めると、辺りは梅園の梅と隣の梅畑の梅が連なり、やや遠目の太湖の風景と合わせて、なかなかすばらしい眺めでした。盛りに来れば梅の海なのでしょうね。それでもかなりな頻度で中国の観光バスが止まって、団体が降りてきます。日本では、琵琶湖にしろ、浜名湖にしろ、ヨットやボートのレジャー施設が軒を並べてうるさいのでしょうが、まだ中国の観光は名所旧跡めぐりが主流です。湖岸(海岸に近いのですが)にシートを敷いて家族でピクニックというより、観光バスの団体で、西山や東山の梅園や、庭園、名刹を忙しく回るといったふうでした。もっともあと2,3年もすると、この当たりはすっかりレジャー施設の開発や別荘の販売で賑やかになるのではと思います。梅園の後は、こちらも東山まで足を伸ばして、湖畔のレストランで太湖名物の白魚料理を堪能しました。西山、東山共になかなか大きな島ですが、小高い山と緑に囲まれて、気候も温暖なため、以前は中国要人の別荘地としてもてはやされたようです。なによりも、湖の水の色が中国らしくなくというか、青かったのには感激でした。 さて、これも先日ですが、担当しているクラスの学生3人が日本へ留学するため、その歓送会が開かれました。場所は蘇州の銀座というか、上海南京路のような観前街という蘇州で一番の繁華街にあるピザ屋でした。食べ放題、飲み放題で一人20元という安さです。大学に閉じ込められている学生も、休日にはこうした繁華街へ繰り出して、いろいろ評判の店や安い店など詳しいようです。歓送会では、日頃教室ではおとなしい学生が代わる代わるに、ビールやコーラで乾杯を求めてきたり、私との記念写真で大騒ぎです。(中国式の飲み方はいちいち皆でグラスを持って乾杯をしながら飲みます。)大勢の女子学生に囲まれ、教室では見られぬ素顔が見られて、なかなか楽しいパーティーでした。ところで、蘇州大学に限りませんが、日本語専攻の学生の日本への留学熱は盛んです。担当クラス25名のうち、4月に3人、9月に3人といった頻度です。この中の一人二人は全額大学負担の公費留学生ですが、大多数は自分でも渡航費や留学費用の一部を負担する半ば私費留学生となります。蘇州大学は日本の多くの大学と提携しており、留学先は、今回でも北陸大、群馬女子大、京都産業大と多様です。留学期間は一年がほとんどでが、提携のために単位が認められ、一年後に帰国すると3年へ進級できます。留学には、成績の良い学生から推薦されますが、半私費留学のため、結局、かなり多額の費用が負担できる家庭の学生が選ばれることになります。日中の物価の格差を考えると親の負担は馬鹿にならないでしょう。蘇州大学だけでも姉妹校の文正学院を含めると、毎年20人を越える学生が留学しており、上海や北京の大学を含めれば、日本の大学には随分な中国の留学生が居ることになります。この盛況を見るにつけ、はたしてその結果は中国のため、日本のために良いことなのか、少し不安になります。物価が高いため、ろくに物も食べないでアルバイトに精を出したり、日本の学生に相手にされずに寂しく過ごしたのではと心配です。幸い、今まで留学から帰った学生と話してみると、他の学生よりはるかに進歩した日本語で、日本の街はきれいでした、日本の温泉はすばらしいとか、中には、日本の食べ物はおいしい、納豆が好きですなどと言う者までいて、ホットしています。日本に居る時は気が付きませんでしたが、日本も否応も無くアジアの一員として、その交流の只中にあることが実感されます。 最後に、身近な中国事情として鉄道について報告します。ちょうど太湖に行く前日に、元日本IBMの人に会いに上海へ出かけました。時間に確実なのと手軽さから鉄道で行くことにしました。中国では最近急速に高速道路が整備され、北と南にあるバス・ターミナルから頻繁に高速バスが出ています。上海まで料金は30元程度で、すいていれば1時間強で着きますが、市内での交通渋滞が激しく時間が確定できません。それに対して、列車は特急で45分、普通で1時間20分、特急指定で22元、急行指定で15元と割安です。1週間前に宿舎のホテルのフロントで予約を入れました。当日売りもありますが、駅はいつも人手でごったがえしており、整然と並ぶのが苦手な中国の人々の間で押し合いながら切符を買うのは中国に慣れた日本人でも大変なようです。駅に行くと、まず大勢の人を掻き分け、切符を見せて構内に入ります。蘇州駅でも、大きな待合室が東西二つあり、その中に、列車番号と行き先の書かれた看板がいくつも掲げられています。(上海駅では待合室が五つ六つ在ったような気がします。)自分の乗る列車の看板の下で改札が開くのを待つことになりますが、なんとなく飛行機の搭乗ゲートのような様相です。大きなトランクを抱えた家族連れから、帰省の学生やネクタイのビジネスマンなどが長いベンチに腰掛けて、てんでんに待っています。定刻になると改札があき、プラットフォームで列車を待ちますが、列車が着くと入り口に群がって我先に乗り込むことになります。往きは特急の軟座(一等?)で白いカバーの付いたリクライニングシートでした。駅弁を探して見ましたが、今の中国では、カップ麺が流行のようです。列車の端に給湯器の付いたものから、車内販売でやかんを持った売り子が回ってきて湯を入れてくれます。列車に乗ると旅行気分になるのか、乗客はすぐに飲み食いを始めます。こちらの人は向日葵やかぼちゃの種、木の実を良く食べます。殻を口先で割って上手に実を食べるのですが、その殻をそのまま座席の下に捨てるので、列車が上海に着くころには床が殻だらけとなっています。蘇州から上海までの車窓からは、もうのどかな田園風景は見られず、まばらに続く農家やアパートや工場の中を走ります。上海に近づくとあたりの建物が急に密集して、都会らしくなり、もうじき到着とすぐ分ります。蘇州駅でも同じですが、駅の出口は入口と離れた別のところに作られており、改札を出ると、その周りをたくさんの人が取り囲んでいます。出迎えの人や旅館の客引き、白タクの運ちゃん、地図を持った有料道案内など様々です。飛行機はまだ高価なため、遠距離でも鉄道を使うようで、まだまだ鉄道は庶民の足として定着しています。上海から南京まで3時間、北京までがだいたい14時間程度ですが、東北の長春や北西のウルムチなど長距離列車も随分本数があるため、鉄道の駅は24時間頻繁に列車が発着しています。延々と貨車を連ねた貨物列車も結構走っており、こうした中国の鉄道の様子を旧国鉄の人が見れば感涙するのではないでしょうか。そのうち寝台車を使って中国の各地を旅行してみたいものです。 追: 先日、中国の日本語の先生たちと食事をしていたら、北京―上海の新幹線はフランスが勝ったとうわさをしていました。まだ正式な報道を見ていないのですが、本当ならば残念なことです。 |