蘇州近況その5 (2004年2月)


 天気予報で北京の気温が零度を上回ると共に、蘇州の気温も暖かくなり始めました。まだ、朝夕は寒いのですが、晴れた日の日中は15度を越すようになりました。冬休みで蘇州を離れてからちょうど一月ぶりで戻ったことになります。久しぶりの蘇州は、こちらが慣れてきたせいもあり、喧騒の中にも落ち着いた風情でした。ただ、残念ながら道路工事はまだ続いたままで、宿舎の前の十全街では相変わらずあちこち掘り返されておりました。この通りは蘇州でも名うての商店街なのですが、店の前を延々と掘り返されて、お客は店先の狭い路肩を伝って歩くか、盛土の脇をうまく避けながら渡るかしなければ店へ入れません。当然、店の売り上げは上がったりでしょうが、諦めているのか、慣れっこになっているのか、店の人達はいつも通りに店先に座って通りを眺めていたり、時折お客に声を掛けたりしています。今週は久しぶりに雨が降りました。いつもは掘り出された土の上を車や自転車が通るたびに砂埃にかすむのですが、今度は水を吸った埃がどろどろとなり、靴やズボンを汚さずに歩くのが大変です。日本に比べて、こちらの土はとても細かいようです。

 新学期が始まりました。大学は米国と同じ2学期制のため、今月から第2学期となり、7月に学年末、卒業となります。昨年担当した科目のどれとどれが継続で、新たに担当するのがどれなのか、よく知らされないまま休暇に入り、休暇中もメールで催促していたのですが、結局、新学期の担当科目を知らされたのは、授業の始まる前日でした。その日の午後、日本語科の主任、副主任の先生、一部の中国人の先生と我々日本人の教師が集まり、主任の先生から担当科目と時間割の発表がありました。私の担当は、驚いたことに、12コマ在った担当授業の内、継続は2コマのみ、あと8コマが新規で、幸い2コマ少なくなりました。継続は本科2年生の講読で、後は、専科2年生の日本文学の選読と作文、同じ専科の夜間1年生の購読に決まりました。夜間はやや送れて始まるようです。専科はちょうど日本の短大と同じ2年制ですが、一度就職した社会人を受け入れる「脱産班」と一定の条件で本科へ編入できる「昇本班」の二つあるようです。この専科は、昨年担当した提携校の文正学院と同じように、よく言えば大学の社会的使命を拡大するため、悪く言えば、大学の経営を安定させるための仕組みのようです。さて、前日に担当が決まりましたが、当然、新科目の教科書も満足に準備されておりません。総じて、中国では、日本のように段取りや入念な下準備があまりなされず、いきなりの本番が多いようです。しかし、表面的であろうがなかろうが、決められたことを徹底することには厳しく、やむを得ず病気で休講した場合は、補講をしてでも既定回数の授業を消化することが求められます。

 継続クラスでの初回では、学生からなんとなく、たっぷり休んだのでさあやるぞといった新鮮なやる気が伝わりました。教科書は脇に置いて、一人一人冬休みをどう過ごしたのかスピーチをさせました。大晦日(121日)は家族で外食、正月は家で正月料理(お団子や餃子)を作って皆で食べたがほとんどでした。久しぶりに故郷に帰り、中学や高校の友達と会ったり、TVを見たりと家でのんびりした学生が多いようです。例外は、体育会の学生が試合で遠征していましたというのと、台湾の学生が家族で東北へ旅行して初めてスキーをやりましたというのがありました。これから中国でも正月に旅行する家庭が増えてくるかもしれません。ところで、初めて担当する専科(脱産班)のクラスでは、ちょっと唖然とさせられました。始業のベルが鳴ってからあたふた入ってくる、こちらと眼を合わせても会釈もしない、後ろの方でものを食べたり飲んだりしているといった風で、一瞬日本の大学ではないかと疑った程でした。全員に自己紹介させると、日本でいう高専のような職業学校を卒業してから入ってきたものや、23年会社に勤めてから入ってきたものが多く、全部で35名、そのうち男子が6名、平均223才といった構成です。中に、会社から日本へ一年間研修に派遣された学生が3名居りました。全寮制が原則の本科と比べ、寮に居るのは三分の一程度で、後は、市内の家やアパートからの通いです。日本語のレベルも、日本経験組みを筆頭に、かなり話せるものから、これで一年半も勉強したのか疑わしいものまで雑多で、全体的には本科の2年生よりやや落ちるといったところと思いました。しかし、専科は2年で終るため、本科が3年から始める作文や文学史も教えるようです。作文はともかく、文学史―日本文学選読の教科書を見て、また唖然です。二葉亭から、藤村、鴎外、漱石、芥川、川端などお歴々の抜粋が並んでいます。現代の日本小説も読んだことがない学生にやや古色蒼然に近いこれらの作品の何を読ませるのか、未だにどう料理したらよいのか迷っております。

 前回に、蘇州で多い店は料理屋と床屋と書きましたが、それに負けない多さが果物屋です。店頭に果物を置いた雑貨屋も含めると料理屋に引けを取りません。年末はみかんとザボン、金柑などでしたが、今は苺と砂糖黍(きび)が旬のようです。苺は一斤(500g45元で小粒なものだと30粒ほどにもなります。砂糖黍は2メートル程の茎が店頭に並べてあり、客が買うと、鉈のようなもので器用に皮を剥いで小さく切ってくれます。黒紫の皮がむかれて、真っ白な肌が現われるのはなかなか瑞々しくてきれいなものです。ガブリと噛んで、ほんのり甘い汁をすすり、芯を吐き出します。朝昼晩と食事の後にはなるべく旬の果物をたっぷり食べるよう贅沢をしています。ところで、食べ物の話題を報告したところで、例の鳥インフルエンザですが、今回日本の皆様から随分ご心配をいただきました。しかし、中国語が分からないせいで、中国の人の切迫感がよく分りません。TVのニュースで時々流れたり、人民日報のインターネットサイトでは、SARSと鳥インフルエンザ(こちらでは禽流感といいますが)のコーナーがあり、15の省で確認されたと載っていました。15省の中に、上海市はありましたが、江蘇省はまだ入っておりません。蘇州では何故かマクドナルドよりケンタッキーが圧倒的に多いのですが、どの店も繁盛しています。ただ、大学の近くの市場では、昨年までは、生きた鶏が置かれて、客から注文があるとその場で潰して羽を毟って渡していましたが、今は店が閉ざされていました。どうも生きたままの販売は禁止されたようです。

 さて、日本も同じでしょうが、これから一日ごとに暖かくなりそうです。学生に蘇州の梅の名所を聞いて案内してもらおうとか、あるいは、多くの古典庭園も風情があるのではとか、何となく華やいだ気分になりそうです。次回では、そんな様子が報告できればと思います。

追: メールの故障で、近況を送れないうちに一週間以上たってしまいました。その間、夜間専科の授業も始まりました。夜間の授業は18:45-20:45とやや長めです。学生は23名ですが、昼間会社へ勤めている人達が圧倒的で、年齢も223才から始まり、りっぱなおじさん、おばさんも居りました。日本語の学習歴は、2年以上が平均で、なかには5年を超える人も何人かおり、レベルは昼間のクラスより高いようです。勤務の都合で遅刻は多いようですが、さすがに社会人のせいか、皆さん熱心です。昼間のクラスには少なかったこちらへの質問もちらほらあり、いきなり「先生の授業方針を説明してください。」には参りました。なんだか、昨年、文正学院で見せた山田洋次の映画「学校」を思わせるようなクラスで面白そうです。