蘇州近況その2 (2003年10月)


10月の国慶節(第54回中華人民共和国創立記念日)が終わった頃から、だいぶ涼しくなり、今では、朝晩にセーターが欠かせなくなりました。この何日かは、秋晴れの日が続き、日本のように抜けるような晴天はありませんが、さわやかなよい天気が続きます。町の料理屋の水槽は、今まで川海老が泳いでいたのですが、どこでも蟹に入れ替えられてきました。こちらでは、11月が蟹の季節です。日本で有名な上海蟹は、蘇州の人にいわせると、こちらが本場ということになります。事実、正真正銘の上海蟹は陽澄湖(ようちょうこ)でとれたものをいい、陽澄湖は蘇州市のすぐ隣で、蘇州の行政範囲となります。一説によると、陽澄湖産の蟹は甲羅に刻印が押してあり、高値で上海へ出荷されるとのことです。蘇州の料理屋でも陽澄湖産とは書いてありますが、この辺りは、太湖を始め、様々な湖が点在する湖沼地帯で、おそらくそのどこでも蟹の養殖をしているでしょうから、いったいどこでとれた蟹か誰もわからないのではないかと思います。先日、ためしに料理屋でゆで蟹を注文してみました。腹から割って、味噌をすすり、実をしゃぶるのですが、もともと小振りな蟹ですので、食べるところはいくらもありません。値段は一匹40元(600円)で、こちらでは、豪華な料理の一皿分に当たります。

 さて、教師生活も2ヶ月が終わろうとしています。今回は、あまり述べられなかった蘇州市の近辺の様子からご報告いたします。

蘇州市は日本でいう政令指定都市的な位置づけで、市の中に、市轄区や“県級”市を含みます。そのため、狭い意味での蘇州市は人口210万程度ですが、行政区域としての蘇州市は昆山市、常熟市、などの五つの市を含んで、人口が580万の大都市となります。旧市街は、大昔は城壁が在ったといわれますが、50m前後の大きな運河で、縦5km、横3kmの長方形に囲まれた中にあります。蘇州大学はこのうちのやや東南にあり、東校区は運河の外に広がっています。また、最初に開発が進んだ日本企業の多い蘇州新区はこの運河の外の西側に太湖の方へ広がり、現在シンガポール資本で開発中の工業園区は運河の外の東側に昆山市の方まで広がります。旧市街の中は、超高層ビルの建設が制限され、外側の新区や園区にこうしたビルがいくつも建てられています。街の中心に高層ビルが無いことが、蘇州に落ち着いた雰囲気をもたらし、有名な庭園からも無粋な景色を見ることがありません。新区、園区の工業開発区の成功のせいか、蘇州市は財政的に豊かなようで、猛烈な勢いで工業区の整備や市街の改装に取り組んでいます。蘇州を有名にしているのは、運河と庭園ですが、運河の方は前回も書いた懸命な浄化作業と共に、運河沿いの古い白壁の民家を壊して、真新しい白壁や公園風の護岸に改修しています。夜になると所々でライトアップされて、美しくはありますが、何となくやり過ぎではと心配しています。

新区には日本企業が多く進出しており、日本式のクラブや飲み屋が連なる通りまであります。広い敷地には工場、大きな通りにはオフィスビル、さらに、それらに勤務する人達のマンション街が並びます。こちらのマンションは一棟で売っているのは皆無で、広めの敷地に十棟、二十棟と建ったマンションを立派な塀で囲み、アーチ型の門をしつらえ、門の上には、名城花園とか、金龍花園などと書いた飾り看板が掲げられ、入り口にはいつも何人かの守衛がいるといった按配です。完成した新区と違い、現在、園区が開発中で、こうしたマンションの建設があちこちで見られます。こちらの人に言わせると、この園区のマンションは買いだそうで、天井に近づいた上海のマンションと違って、今は1u4000元程度で、これが、数年で倍近くなるとささやかれています。園区にも既に富士通を始め、いくつかの企業が進出していますが、驚いたことに、昆山市の方では、日本や欧米企業以上に、多くの台湾の電子機器メーカーが進出しています。(私の使っている教科書には既に台湾省と書いてありました。)

身近に戻りますと、宿舎である東呉飯店は、大学の東南の端にあり、十全街という通りに面しています。十全街の辺りは、蘇州飯店、竹輝飯店といった3星、4星クラスのホテルが4,5件あり、バー、マッサージ屋、料理屋、土産物屋などがならぶ繁華街の一つです。おかげで、湖南、広東、四川、蘭州、新疆とさまざまな料理屋が並び、昨日はあっち、今日はこっちと、飽きずに外食を続けています。ただ、中国語が皆目分からず、菜単(メニュー)の中から、適当に選んで注文するので、当たり外れが結構あります。ややりっぱな料屋に行くと、一皿20元位からで、点心の炒飯や餃子が10元程度、ビールが大瓶で10元となります。大衆的な料理屋では、この半値とさらに安くなります。肉と野菜の二皿を頼んで、ビールを飲んで、飯(ファン)と頼むと小振りな茶碗にはいった大盛りご飯を無料でくれて、勘定が30元を超えません。どの店もけっこう人手は豊富で、これで遣り繰りできるのか、こちらが心配になります。料理屋からの帰りに、果物屋に寄って、葡萄、梨、りんごなど旬のものを買って帰りますが、輸入物さえ選ばなければ、これもいくつか買って5元程度です。

 中国人の先生方や、我々日本人教師のところへ訪ねてくる卒業生、学生など、少しずつ中国の皆さんとの付合いが始まりました。最初に驚いたのは、中国の人達の若干古風な対応です。手土産持参で訪ねてこられて、これは「お口に合うか分かりませんが」などと挨拶されてしまいました。一緒にでかけると、学生ですら、タクシー代やこちらのバス代まで払ってくれようとします。食事の時もうかうかしていると支払いを済まされてしまします。もともと割勘という風習があまりないところに、お客さんには金を使わせるなという意識もはたらいているようです。また、学生たちと料理屋へでかけ、地元の人達が食べているうまそうな料理を注文してもらおうと、なんでも好きなものを頼んでくれと言うのですが、遠慮されて、結局こちらがいつもの定番を頼むことになります。

 ところで、これら卒業生達から聞き出したのですが、日系企業の給与は、欧米系より高くはないが、地元や台湾系の企業より高めで、人気があるようです。給与は、普通の大卒で20002500元程度、日本語科の卒業生は通訳的な職務もあって、それより高めで3000元、また、エンジニアはさらに高く4000元まで行くようです。また、40前後の部長職で、会社によって格差はあるでしょうが、1万から2万元以上とのことです。地元では、車を買って、園区のマンションに住むのがステータス・シンボルですが、車はまだまだ高価で、20万元から、30万元もするようです。(日本より高値です。)卒業生は、園区のマンションとまではいかなくとも、蘇州の市内にアパートを借りれば、家賃が1000元はしますので、結局大学時代とあまり変わらず、何人かの友人と部屋をシェアすることになります。これら日系企業での昇給の仕組みは分かりませんが、日本語と日本文学以外知らない卒業生にとって、幹部を目指して昇進を重ねるのは厳しいでしょう。物の値段にくどいようですが、輸入品を除けば、ほとんどが日本の十分の一で、それで日本とさして変わらぬ生活ができるのですから、経済学は分かりませんが、いったいこの日本との不均衡は将来どうなるのか危うさを感じます。(こちらの日本人の中では、ドルとの固定相場である元がいつ切り上がるのか、大きな関心事の一つです。)

 授業の方ですが、前回の報告の時には、毎回毎回の授業をいかにこなすかが悩みの種でした。生の日本語をたくさん聞いてもらうために、授業の始めに毎回「今日は日本では体育の日です。中国でも運動会はありますか。日本では・・」的な小話をしたり、文章の重要フレーズを一斉に唱和させたり、学生との応答を会話風にやりとりしたり、あれこれ何でもやってみました。こちらの学生は、朝8時の授業開始の10分前に、約8割が着席し、授業の開始を待っている熱心さです。また、学生に阿るよりは、暗記させたり、宿題を出したり、多くの内容を厳しく教える先生に人気があるようです。私の流儀として、厳しくやるより、楽しくやって成果を上げる方が好きですので、現状ではまだマイペースを貫いています。幸い、学生も時々私語やあくびはありますが、概ね熱心に聞いてくれます。だんだん授業をこなして来るに従って、何を教えればよいのかと悩み始めました。英語ほど体系だった文法や構造のない日本語の何と何を教えればすむのか、中国製のテキストの種々雑多な文章を読ませるだけでよいのかなどと、自信が持てないところに新米教師の歯がゆさがあります。当面、語学は語彙と経験と割り切って突っ走っておりますが。ただ、こちらが何を重要し、どこを勉強して欲しいのか、分かってもらうためにクイズや小テストを頻繁にすることに決めました。パソコンで問題を作り、一週間前に教務へもっていってコピーを依頼するなど、けっこう負担は大きいのですが、言い出した手前、後にも引けず、頑張っています。初めて、来週小テストをすると予告した時、休み時間に何人かの学生が寄って来て、どんなテストで、どんな問題がでるのか、どこを勉強すればよいのかと目の色を変えて問い質されました。日本以上に厳しい受験戦士の面目躍如たるものがあります。概ねこちらの学生はよく勉強します。全員が寮生活ですから、窮屈な寮の部屋より、大学の空き教室や広いキャンパスのベンチに座って、よく教科書を読んでいます。土日でもこうした学生で結構教室が埋まっています。

 ところで悩みついでにもう一つ報告しますと、言葉を教えることは、結局その国の文化を教えることになります。「お邪魔します」や「失礼します」という挨拶一つでも何故そう表現するのか、そんなことを話し始めると、ついついその奥にある日本文化ってと考えてしまいます。中国やアジアに教える日本文化が、近代的な個人主義とすれば、その本家の欧米人の教師がたくさんいます。忠とか義とか精神主義的な何かとすれば、なんとなく中国が本家のようで、こちらが言うのも口幅ったいことになります。単なる欧米のメッセンジャーでは決してないと思っているのでが、それではなんなのか難しいところです。

また、別な面では、こんなこともあります。ご承知のように、こちらでは日本のテレビやアニメが大人気です。衛星放送で見られることもあり、アニメのキャラクターが氾濫しています。大学の立看にスラムダンクのキャラクターが描いてあったり、日本語科の学生にも、真顔で卒業したら日本へアニメの勉強に行きたいなどというのがいます。日本のアニメは世界的といいますが、単に絵がきれい、描写が細かいという以上に受ける何かがあるのでしょう。こんなことは娘や、日本の大学生にでも聞けばすぐに答えてくれるかもしれませんが。学生たちと日本の話をするたびに、アニメやTVの話題がでてきます。(もっともこちらは若手の人気タレントの名前をほとんど知りませんが。)今度日本へ戻ったときアニメ論の本でもあさってみようと思っています。

そんなわけで結構忙しくしております。実は、授業の準備の合間をぬって蘇州の庭園もいくつか回りましが、その印象は機会があればまとめてみたいと思います。大学は、先週で学部ごとの運動会(スポーツ大会)が終わり、落ち着いた勉学の季節?となりそうです。郊外の文正学院の裏山では紅葉もちらほら見られるようになりました。幸い、日本の景気もやや上向き加減でホットしております。次回はもっと学生の様子でも報告できればと思いますが、コメントなり、ご指摘なりいただければ幸いです。

追: 1015日の中国有人宇宙船の成功は大騒ぎでした。胡錦涛主席は打ち上げ前に激励に訪れ、テレビも連日特別番組を放送していました。学生に「なかなか中国もたいしたものですね。」と言ったら、ありがとうございますと返されました。うれしかったのですね。

追追: このメールを送ろうとした矢先に、西北大事件という報道が舞い込みました。西安の西北大学での文化祭で日本人教師と留学生がストリップまがいの行為を行い、中国人を侮辱するものだと、市内で抗議行動が広がっているということです。まだ、こちらでは、あまり全国メディアでは取り上げておりませんが、中国メディアのインターネットには載っていました。蘇州大学にも多くの日本人留学生がおります。彼らの服装は、(私の感覚では)一部にだいぶラフなものがおり、ひと目で日本人(場合によっては韓国人)と分かります。そうした服装は、例のアニメやTV文化に代表される日本の先進性を示すものかもしれませんが、西北大では、その優越感からか、日本では許される(誰も文句を言わない?)悪ふざけをしたのだと思います。何となく、日本のアニメやTV文化の底の薄さ、危うさを感じてしますのですが、考えすぎであれば、幸いです。