蘇州近況その13 (2005年1月)


 あけましておめでとうございます。今年は、スマトラ沖地震と津波でたいへんな幕開けになりました。暮に地震が起きた頃には、タイとインドネシアで津波があったと細々と報道されていたのが、時間が経つに連れて、被害がインド、スリランカ、アフリカまで広がり、痛ましい大惨事となりました。日本の報道は分からないのですが、中国の報道はこの手の海外の出来事には敏感です。連日CCTVの全国ネットで各地の被害状況を細かく報道するとともに、素早く政府の支援計画を発表し、これも連日テレビで放送しています。日本のマスコミや政府の対応を見るにつけ、中国の対応は非常に政治的な反応が早くスピーディーに感じます。何とはなしに、覇権という言葉は物騒かもしれませんが、アジアでのイニシアチブという点で、いつも中国に遅れをとるようで心配です。ともあれ、知人からの連絡では、日本IBMの社員の方のご家族も災害に遭われたと伺いました。痛ましいことです。

 昨年は、暖冬と油断していましたが、ちょうどクリスマスが終わった辺りから冷え込んで、最後の週には、雪の中の期末試験となりました。日本の九州と同じような緯度になる蘇州では、雪が降ることが珍しく、まして、薄っすらとですが積もったことはあまり無いようです。試験中のため、雪景色の古典園林散策とは行きませんでしたが、大学の構内を歩いてみると、学生達は大騒ぎで、広い芝生の庭のあちこちで雪だるま(中国では、雪人)を作ってはしゃいでいます。また、雪の校庭や校舎を背景に記念写真をとるカップルもたくさん見られました。ただ、試験をするにはやっかいで、こちらの使っている西区の教室は古い建物が多く、暖房が一切ありません。窓の隙間から冷たい風や雪が吹き込み、学生達は手を擦りながら、必死に答案に向かうことになりました。

 ビジネスの世界は分かりませんが、大学の年末年始はいたってあっさりとしたものです。学期の最後の授業が年末か、年明けの7日まで続き、我々外国人教師の期末試験は、正規の試験の前に行われます。ですから、私の課目の試験は、暮も押し迫った282930日となりました。例によって、こうした日程が決まるのがぎりぎりで、指導の先生が、日程と試験問題の作成要綱を持って見えたのが12月の半ば、それから必死に問題を作り始め、また、担当授業の締めくくりとおおわらわでした。学生達も12月は、日本語や英語の検定試験が続き、年末年始には期末試験が始まるため、また、こちらの正月の春節を控えているせいもあり、あまり年が改まるという意識は薄いようです。

 ところで、こちらのクリスマスですが、十全街の店の窓にはサンタクロースやトナカイのシールが張られて、それらしい雰囲気はあるのですが、街のどこを歩いてもジングルベルの音楽を聞くことがありません。イブはどうするのと学生に聞いて見ましたが、もちろん男朋友とデートという学生もいましたが、日本のように、この日のためにといった高揚感がありません。上海は別かもしれませんが、まだまだ蘇州の、それも大学では静かなものです。その日の夕食の帰りに、大学の西門の側に旧東呉大学の付属施設として建てられた古い大きな教会があるのですが、その脇を通ると大分賑やかなので、中に入ってみると、クリスマスの演芸会?が開かれていました。広い礼拝堂は満員で、信者ではなさそうな学生や近所の人たちも大分混じっていて、賛美歌や信者による寸劇などで随分と盛り上がっていました。

 さて、30日に降った雪は、大晦日には止みましたが、気温は零下となりました。この日は、朝から、学生達が新年祝賀のカードを届けに来たので一緒に食事をしたり、また、別の学生が翻訳のアルバイトの訳語を教えてくれとひょっこり訪ねてきたりで、忙しかったのですが、夜になると静かになりました。同僚の先生といつもより少し豪華な料理屋で食事をした後、11時近くに、大晦日のカウントダウンを期待して、近くの公園へ出かけました。途中タクシーの運転手からは、寒山寺ではないのかと念を押されました。蘇州の西の外れにある寒山寺では、大晦日には日本からの観光客がたくさん押しかけて、普段の20倍も高くなる入場料を払って、名高い除夜の鐘を突いているようです。附近は、深夜にも係わらず交通渋滞で、車も進めない程になるので、そこは敬遠して、市街の南西に当たる盤門へ行きました。盤門は、昔運河から城壁で囲まれた蘇州に入る水門の跡を公園にしたところで、元の時代に再建された水門と城壁、また、中には春秋戦国時代に起源を持つ瑞光寺と、運河に連なる池を巡らせた庭園があります。入場料は普段と同じ25元で、門票には、「聴鐘声迎新年」とあり、大型新年音楽会と銘打ってありました。しかし、深夜になってさらに気温が下がったせいか、入場者はまばらです。庭園の真ん中に仮設舞台があり、そこで、歌謡ショウが行われていました。寒風の中、歌手達もダウンジャケットを着て、鼻を赤くして熱唱していますが、観客も少なくあまり盛り上がりません。同僚の先生と園内を一巡した後、寒いので満員の茶店へ入って待っていると、1145分ごろ花火が上がりました。あまり大型の花火はありませんが、それでも10分間ほど続けて打ち上げられ、それで終わりでした。午前0時には観客全員でカウントダウンのようなものがあるのかと思っていたのですが、花火が終わると、観客はそくさくと寺の鐘を撞いて帰って行きました。何だか肩透かしを食ったようですが、外へでてみると、凛とした冷気の中にライトアップされた7層の瑞光塔がそびえ、ちょうど東の空に上がった下弦の月に照らされている様子が鮮烈でした。帰りもタクシーを拾いましたが、市内のあちこちで微かに新年の花火が上がる音が聞こえる他、街は静かで、あまり普段と変わりが無いようです。

 年明けの三が日は採点に追われました。及第点は60点以上で、それ以下だと学生は試験料を払っての追試験となります。残念ながら、あまり出席しなかった12名の学生を落としましたが、それ以外は適度な配分となりました。昨日、期末試験結果と総合成績を教務へ提出して、今学期の仕事が全て終わりました。先々学期や先学期では、何をどう教えるかでもたつきましたが、今学期は逆に、あれもこれも教えようと、少々詰め込み過ぎたようです。学生たちとも大分個人的な繋がりが出てきました。ちょうど私の娘達より少し下の年頃で、食事をしたり、一緒に話していると、とても可愛いものです。今年の春節は、昨年よりだいぶ遅めで、29日から5日間ほど続きます。学生達は、122日に学期が終了して、それから冬休みに入ります。春節をどう過ごすのか、学生たちに聞くと、家族皆で食事をして、また、親戚などへ相互にあいさつ回りをするようです。どの家もだいぶ前からおせち料理?の準備で忙しいようです。料理は誰が作るのか聞いてみると、案外父親と答える学生が多くいます。また、女子学生に料理作りを手伝うかと聞くと、これも何もしないと答える学生も少なくありません。この当たりが、現代中国なのかと、妙に感心してしまいました。

この三が日が静かなのと比べると、春節では、各家でも爆竹を鳴らし、だいぶ賑やかになるようです。機会があればこちらの春節を是非体験してみたいのですが、ちょうど手ごろな切符が手に入ったため、明日から蘇州を発つことにしました。機会を見つけては、現代中国の様相を見てやろうと思っていますので、今回は、深セン、広州を巡って帰るつもりです。春節が遅いせいか、来学期は228日から始まります。それまで、また、日本でゆっくりと充電をするつもりです。今学期も長々とお付合いをありがとうございました。また、次回もよろしくお願いいたします。皆様の今年のご活躍をお祈りいたします。