(以下の報告をお送りしようと思っている矢先に、ひどい雷雨があり、教職員寮のつながっているサーバーがダウンしました。一週間以上も復旧されず、インターネットやメールの送受信が一切できなくなりました。そのため、2週間目に書いたこの近況に、それ以降の経験も多少加えてご報告いたします。) 蘇州へ着いて2週間過ぎました。授業も始まり、あっという間に、こちらでの日本語教師の生活が始まりました。何事も最初の体験が強烈で、あれがこれがと書きたいことがたくさんありますが、とりあえず、整理の意味で、いくつか近況をご報告します。ただ、何分まだまだ伝聞や推測が多く、おいおいこちらの生活に慣れてくるにしたがって、実はあれはこうだったと訂正が入ると思いますが、まずは、ご容赦願います。 1.蘇州大学について 大学のホームページにキャンパス紹介のきれいな写真がのっていましたが、実は、州立大学です。出発は、1900年創立の東呉大学を核として、蘇州のいくつかの大学を合併し、大きな総合大学になったようです。大学の本部校区の真ん中に東呉大学の門と、時計台やレンガ造りの瀟洒な校舎が残されており、何でも日本の関西学院と同じ英国人の設計士による建築だそうで、今でも使われています。学生数は約3万人といわれ、校区(キャンパス)も一番広い本部の他に、工学部のある北校区、19階の凌雲楼が自慢の東校区、医学部のある南校区と蘇州市の北西の郊外にある西校区から成ります。400メートルの陸上トラックがそれぞれの校区にあるといった贅沢な広さです。それぞれの校区では、古い校舎や寄宿舎をどんどん壊して、新しい建物を建設中です。中国の大学は、全寮制が建前ですから、キャンパスの中には、学生や教員を収容するアパート群が目に付きます。マンションと見まごう白いきれいなビルから、戦前からあるような分厚い石造りのビルまで、日本の団地のように続いています。古い建物は、空調も無く、6,7人の共同部屋ですが、新しくなるにつれ、4,5人で共同とゆったりし、空調も完備されているようです。もちろん、家賃に格差があり、おそらく倍以上の家賃を払わなければ、贅沢はできないようです。(年間1000元から2000元程度と聞きましたが)ただ、安全上の配慮から、部屋の中での炊事はいっさい禁止で、近くの食堂から大きな魔法瓶にお湯をいっぱいにして持ち帰るのが、学生たちの朝の日課のです。部屋には、TVやPCは置いても良いようですが。まだ残暑が厳しい蘇州ですので、これらの寄宿舎の前を通ると、洗濯物の花盛りです。女子寮の前では、こちらが目をそらすことになります。また、キャンパスの中には、これらの生活を支えるため、銀行、郵便局、スーパーから、コンビニや喫茶店までいろいろあります。そのため、SARSの時には、校門が閉鎖され、構内での生活が強制されたようです。 中国も試験社会のようで、大学へ入るのは、日本と同じ統一試験を受けて、その点数で希望する大学へ入ります。また、大学の中でも、学部によって点差があり、蘇州大学で最も高いのは法学部、医学部で、わが外国語学院は中ほどとのことです。日本と同じように、入学するのが難しく、卒業はそれ程でもないとのことです。中国の大学総合ランキングでは、私立も入れると1000とも2000とも言われる中から、現在、蘇州大学は、50位から上で30位に迫ろうという勢いのようです。(最近のHPに1位清家大学、2位北京大学、3位復胆大学とありましたが。) 大学の経営はどこでも厳しいようで、蘇州大学でも、宿舎の東呉飯店のようなホテルを経営したり、また、私立大学と合弁で、蘇州大学文正学院という大学を作って多角化しています。文正学院は、当然、蘇州大学より入学は楽ですが、その代わり学費が2倍も3倍もかかり、中流以上の子弟が多いとのことで、約6000人の学生が在籍しています。教授陣とカリキュラムは全て蘇州大学が提供します。大学としては財源であり、学生は、蘇州大学卒業の資格が手に入ります。実は、この文正学院でも授業をすることになりました。蘇州の郊外にあり、大学の専用バスで通います。 追:蘇州大学の学費は年間5000元と聞きました。諸経費や教科書代その他を入れるともっと行くようで、なおかつ、年々高くなっているようです。大卒初任給が地域格差はありますが、月給1500〜2000元といわれますので、家計に占める教育費の割合は非常に割高です。少し前まで戸籍制度があり、ちゃんとした大学の卒業生以外は、地方からの上海や北京といった都会での就業は制限されていたようです。(私の入国時は15円/元でした。) 2.授業について 一週間前に大学を歩いたときは、夏休みでキャンパスに学生の姿がほとんど見えなかったのですが、学期の始まる前日には、さすがに、学生でいっぱいとなりました。教科書の配布場所などは長蛇の列です。くそ暑い寄宿舎にはぎりぎりに戻るのでしょう。こちらでは、1ヶ月軍事教練がある1年生を除いて、9月1日より、すぐに授業が始まります。 三つのクラスを持つこととなりました。外国語学院本科の2年生と、文正学院の2年生2クラスです。日本の外国語学部と同じように、本科は29名中、男性が2名、文正学院も35、36名中、男性がそれぞれ6名と圧倒的に女性クラスです。大学で生活しているせいか、こちらの学生はみな簡素な服装で、日本の女子大生より若く見えます。今でも、女子高の先生になった気分です。クラスごとに班長が決められていて、学生と大学、教師との橋渡しをやります。本科では、授業が終わると「起立!」と号令がかかります。こちらでは、長幼の序か、教師への礼儀がやかましいせいか、教室で会えば、笑顔で挨拶が返ってきます。 科目は、本科では、月曜と火曜に汎読と日本事情、文正では、水曜と金曜に2クラス続けて、会話を持ちます。汎読は、精読という日本の読解に対する簡略版で、簡単な随想から新聞のコラムなどを読んで解説する授業。日本事情は、日本の中/高校生の地理、社会、歴史が合わさったもの。会話は、もらった教科書を見ると実は、日本でいう聴解で、様々な会話をテープで聞かせて解説をする授業でした。教科書はいずれも中国の大学の中国人の先生が書いたもので、内容がいささか古く、日光の観光ガイドがあると思えば、「亭主元気で留守がよい」のコラムがアンバランスに載っています。授業を始めると、皆一生懸命聞いており、分からないところや質問はあるかと聞けば、いいえと答えがかえります。また、指名して、教科書を読ませてみると案外スラスラ読み下します。これは楽だと安心していると、しばらくしてこちらの言うことがあまり通じておらず、また、複雑な質問を日本語でしゃべれないことが分かりました。どうも日本人の英語と同じで、読む、書く、聞く、話すの順で得意なようです。それからは、徹底的に黒板やホワイトボードに意味や文例、他の表現を書きまくり、何とか分からせようと頑張りますが、新米教師の悲しさで、ついつい余計な表現を使って混乱させてしまいます。時々、英単語で説明するとそちらの方が理解が早く、なんだか悔しい思いをしています。 初回の授業で、アンケートをとり、何のために日本語を習うのか聞いてみたのですが、日本へ留学したい、日本の文化に興味がある、日本の企業に勤めたいがほとんどでした。蘇州の郊外に沢山日本企業が進出しています。大学の日本語科の主任がおっしゃるには、日本語科の卒業生は、売手市場とのことです。 追: 今日、9月10日はTeacher’s Dayだそうで、学生から贈り物をもらいました。女性の先生はバラの花をもらっておりました。また、この日は、新入生(1年生)の入学式の前日で、大学のキャンパスでは、大きな荷物を抱えた親に付き添われて、指定の寮へ向かうどこかあどけない新入生の姿があちこちで見られました。ところが、12日からは、軍事教練の始まりで、軍服やカーキ色の戦闘服に身を固めた1年生が、教官の号令で大学のあちこちを行進するようになりました。学園紛争世代としては、大学の中で軍服を見るとドキリとしますが、こちらの人は、甘やかされた一人っ子が何とか一人前になるのにちょうど良いといった程度で眺めています。 3.日本人の先生方について 蘇州大学・外国語学院・日本語系は、副教授の主任の先生を筆頭に、中国人の教師の方が30名(その内、数名が日本へ留学中です。)、われわれ日本人教師は5名の陣容です。これで、本科の1年から4年までの授業と、文正学院の日本語系、他学部の第二外国語としての日本語授業、夜間や短大的な専科の授業を担当します。日本人教師の担当は、汎読、会話(会話、聴解)、日本事情、作文、日本文学史などとなります。私以外の方々は、シドニー大学の名誉研究員の資格を持たれた70才の女性の文学博士の方が1名、都立高校や大阪の高校で30年以上の国語の教員のキャリアを持たれた60代の方が2名、企業のご出身ですが、中国に滞在されて中国語に堪能な60代の方が1名と多彩な顔ぶれです。さらに、同じ教員宿舎に住む、既に企業をリタイヤされて悠々自適に語学留学をされている70台の方が2名いらっしゃいます。1名の方を除いては、皆さん単身赴任で、50才になって自炊はきついなどといっていられぬ環境にあります。(洗濯は始めましたが、食事はまだ外へ出かけて頑張っております。) 4.蘇州について少々 こちらに着いて、生活の準備(スーパーに生活用品を求めて日参しました。)や授業の準備とあわただしかったため、あまり蘇州を見ておりません。気温も着いた当初は35度を超え、時々、雷雨をともなう土砂降りで、中国の中でも高温地域でしたが、ようやく今日あたりから涼しくなり始めました。ただ、湿気が多いようです。こちらの教員の方に言わせると、蘇州は上海のように大きすぎず、気候も人も温順で、治安もよいので暮らしやすいということです。確かに、着いた直後にバスを乗り継いで市内を回った時は、広くて広大なところと思いましたが、この土曜日に貸自転車で市内をまわると、大きな運河で囲まれた旧市街は、東南の隅にある東呉飯店から、北西の隅にある蘇州駅まで30分たらずで行けました。自転車さえあれば、寒山寺も蘇州四大名園の拙政園、留園、獅子林、滄浪亭も日帰りで回れそうです。ただ、車と電動自転車と人力自転車の間を気をつけて渡る必要がありますが。旧市街を囲む運河の他にも、街の中には小さな運河が結構あります。ただそれらは、生活用水の垂れ流しで、路地裏に行くと、痰壷や肥壷のようなものを洗っている風景も目にします。そうした運河をわりあい頻繁に、「河道保浩」と書かれた櫓こぎの清掃船が行きかい、ゴミを掬い上げていますが、ドロンとしてあまり流れない川の水にはさして効果が無いようです。 次に機会があれば、日本企業の進出が著しい新区、園区の様子や、世界遺産に「蘇州の古典園林」として登録された有名庭園など報告できればと思いますが。 追:11日は中秋節だそうで、中国では、競って月餅を買い求めるようです。私も中国人の先生から月餅をいただきました。また、宿舎の屋上から、中秋の名月を外国語学院の先生方と眺めました。蘇州の旧市街は高層ビルが少なく、広い夜空に、なかなか見事な月と火星が見え、ビールと白酒(パイジュウ)で盛り上がりました。 Ref.メールに担当クラスの一つの写真を添付いたします。 |