今年の南京はいつになく長梅雨となりました。6月の一時、真夏日になったこともありましたが、それ以外は、曇天か、時折小雨がちらつき、涼しい日が続きます。5月の地震以降、中国全土でも雨が多く、広州や福州など南部では洪水騒ぎも起こっています。また、蘇州や無錫の近くにある太湖では、水位が危険水域に達したと連日報道されています。 南京での仕事もほぼ終わりになりました。4年生の卒論答弁も6月14日に無事に終わり、22日には卒業式がありました。14日の答弁終了後、学生達に呼び出され、市内の火鍋屋で打ち上げ会を行いました。卒論の重圧から解放されたせいか、学生達は飲み放題のビールですっかり出来上がり、あちこちで酔いつぶれる学生が何人も出る始末でした。22日は、外国語学院の卒業式に呼ばれて、列席してきました。英語学科4クラス、ドイツ語科2クラス、日本語科1クラス、総勢200人ほどの卒業式でした。私も教授用の真っ赤なガウンと角帽をかぶり、教授陣の一員として雛壇の奥に座らせてもらいました。国歌斉唱、学院長挨拶、卒業生代表の答辞など式次第は日本と変わりません。学生達は、黒いガウンを羽織り角帽をかぶって、卒業証書を先生方から手渡されて行きました。ちょうど私が南京へ来て、初めて教えた学生達が巣立ったことになります。 1年生、2年生とは、それぞれ期末試験が終わった後で、大学の食堂で送別パーティーを行いました。1年生達とは半年でしたが、来学期なぜ他の大学へ行くのかと聞かれたときには少々答えに窮しました。こちらでは個別の乾杯が流儀ですから、学生一人一人とビールを酌み交わしました。飲めない女子学生も杯を合わせてから、ぐっと飲み干してくれました。2年生のパーティーでは、終わった時にはスクールバスが出てしまったため、大学の外の路線バスの停留場までクラス全員で送ってもらいました。この時はカラリと晴れて、暮れなずんだ大学の正門を眺めつつ、学生達に手を振りながら、バスで帰りました。 日本語科の先生達には、一度外事弁公室の所長に案内された湖南路の高級レストランをこちらが予約して、謝恩パーティーを行いました。幸い、学院長や副学院長も都合をつけて出席してくださいました。こちらは高級白酒での乾杯で、みっともないことに、ホストの方がすっかり酔っ払ってしまい、何とか支払は済ませたようですが、最後には、先生方に送られて自宅へ戻りました。 南京にはちょうど3年弱居たことになります。当初は分かりませんでしたが、南京に住んで他の都市へ行き来してみると、南京が案外緑の多い都市であることに気が付きます。西から北へゆったりと長江が流れ、東に栖霞山や紫金山、南に、雨花台、牛首山などの小高い山々が連なります。市街の幹線道路では、たくましく延びた街路樹のプラタナスが6月の今頃は大きな葉を茂らせて、夏の暑さを和らげます。 北側の長江大橋の脇には、獅子山景区があり、その山の頂に建つ閲江楼からは、長江と南京の市街がよく見渡せます。また、獅子山を下りて、長江へ沿って少し西へ進むと、中山埠頭があり、今でも庶民の足として小型のフェリーが往来しています。逆に、東へ進むと、南京駅へ出ることになります。新しい南京駅はちょうど私が赴任した頃に出来上がりました。駅前の道路を全て地下へ移し、駅前広場を延長して玄武湖公園とつなげてあります。そのため、列車から降りて駅の外へ出ると、目の前に大きな玄武湖が広がります。玄武湖の西岸に沿って高層ビルが建ち並び、一目で南京市街の様相が見渡せます。 玄武湖は周囲がちょうど10km足らずで、宿舎からも近く、格好の散策コースでした。湖を巡る遊歩道が作られていて、よく自転車で行っては1時間ほどかけてゆっくりと周りました。玄武湖の南岸には紫金山がそびえています。山頂が二つある双子山で、低い方の山頂に天文台があります。標高は500mもありませんから、歩いても1時間半ほどで山頂に登れます。山頂から、玄武湖と反対の方へ下ると、鐘山風景区です。広々とした山麓に、霊谷寺、中山陵、明孝陵、梅花山、中山植物園などが点在し、高く伸びたプラタナスや照葉樹林が生い茂り、森林浴に最適でした。 南京の郊外、東側には湯山温泉、西側、私の大学のさらに奥の山側に老山温泉があり、古びた温泉ホテルから、最近出来た休暇村のスパランドと設備がそろっています。 日本と同じように、南京も四季がはっきりしています。ただ、学生達に言わせると、南京では春と秋が短く、夏と冬が長いと言います。その春には梅花山の梅、また、玄武湖の櫻洲で桜、莫愁湖の海棠が有名です。紫の紫金草も市内の公園や鐘山風景区のところどころで群生しています。秋には、長江の中洲の江心洲の葡萄畑が壮観です。さらに栖霞山では毎年紅葉祭りが行われます。 3年前に蘇州から南京へ来た時には、南京の街はやや古びて、色あせた感じがしました。くすんだアパートやビル群が多かったのですが、それがどんどん建て替えられています。宿舎の南側の工事中だったマンションが完成し、平米12,000元近い値段で売り出されていました。また、表通りの新模範馬路と中山北路の交差点は、もうすぐ地下を潜る立体交差が完成します。そのすぐ脇には大型ショッピングセンターの工事がこれも完成間近になりました。 現在、南京の市街は急速に膨張しています。市街の西側、漢中門や草場門の外側と長江との間は龍江広場を中心にデパートや大型スーパーが進出し、新市街を形成しつつあります。南の郊外の江寧区では長安フォードマツダの新工場が稼動し、久しぶりに行ってみると新築マンションが建ち並ぶ新興タウンに変わっていました。大学の江浦キャンパスがある浦口区も長江大橋の対岸を長江に沿って、これもマンション群が続きます。 赴任した時に開通した地下鉄は南北線1本でしたが、来年か、再来年には東西線が開通します。また、長江の下でトンネル工事が行われており、2, 3年先には江浦キャンパスのすぐ脇の工業団地と結ばれます。そして、赴任した時にはなかった新幹線も今では南京と上海の間を1時間に1本の割で走っています。ただ、これは在来線の上を走っているため、新たに南京−上海を結ぶ新路線が発表され、南京では既に第三長江大橋のすぐ脇で架橋工事が始められました。おそらく、2, 3年後に再び南京を訪れるとすっかり様変わりしていることでしょう。 南京市街をめぐるインフラの整備は著しいものがありますが、それに対して、庶民の生活はどうなのでしょうか。新卒学生の初任給がこの3年、上がるどころか、やや下降気味なのが気になります。反面、食品を始めとして、物価が徐々に高騰してきました。3年前は4元で食べられた牛肉ラーメンは現在では6〜6.5元です。よく通った獅子橋のセルフ・サービスのレストランはほとんどのメニューが倍になりました。先日は、リッター当たり5元強だった自動車のガソリンが一斉に2割ほど上がることになり、値上げの前日にはスタンドの前に車の列ができた程です。 北京オリンピックはあと1ヶ月ほどで始まります。オリンピックへの政府の意気込みは並々ならぬものがあり、全国の会社や工場で、廃棄物、消費電力、危険物の搬送など様々な規制が課せられています。おそらく、期間中には操業出来ない工場も多数でることでしょう。また、思わぬ影響が我々外国人にも及んでいます。日本人教師のVISAは単年度が普通で、毎年学期が終わる6月ごろから、翌年の継続申請を行います。それが、今年は異常に厳しく、なかなかVISAが下りず困っている先生方も少なくないようです。私もVISAの更新のため、南京から武漢へ2回も通い、公安での面接も受けました。オリンピックは都市開催が原則ですが、かつての日本がそうだったように、国を挙げてオリンピックに取り組む姿勢がひしひしと伝わります。今年は天災や人災が続いた中国ですが、学生達の期待を思うと、何とかオリンピックを成功させてあげたいものです。 今週の金曜日から貴州の省都貴陽に観光に出かけます。その後また南京へ戻ってから、10日に帰国するつもりです。来学期はいよいよ武漢に赴任します。武漢は華中のちょうど真ん中にある大都市で、南京より人口が多いそうです。また、文京都市でもあり、赴任先の中南民族大学の近くにも、いくつもの大学や専門学校がありました。中国3大かまどの一つですから、夏冬の厳しさは南京以上でしょう。どんな出会いがあるのか、今から楽しみです。
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