南京情況その7 (2008年5月)


 南京は今喪の中にあります。19日から21日まで、全国哀悼日と決められ、公共機関では半旗が掲げられ、公共施設での娯楽は禁止となっています。聖火もこの期間は休止です。私の部屋のテレビはケーブルテレビで、普段は450チャンネルありますが、現在は全て、震災報道の単一チャンネルしか放映されていません。アナウンサーも全て黒いスーツとネクタイで放送しています。

 学生が言っていましたが、今年は災厄の多い年だそうです。年初の大雪による災害、チベットでの騒乱、聖火への妨害、手足口病の流行、そして、四川でのぶん川大地震です。12日の1428分に四川省ぶん川県を震源地とする地震が発生しました。四川から千数百キロ離れた北京や上海でも震度23の揺れがあったようですが、南京では何も感じませんでした。ちょうどその時、1年生たちと会話の練習をしていたのですが、私も学生も地震に気付きませんでした。夕方、授業を終えて帰宅し、テレビを点けて初めて地震を知りました。後で新聞で知りましたが、南京でも繁華街の高層ビルでは揺れがあったようで、一部の居住者はビルの外へ避難したようです。私の学生に四川出身者が何人か居りますが、幸い、彼らの家族は皆無事でした。

 ぶん川は、四川省の成都から北へ100kmほど行った山間の地方都市のようです。古代の水利施設で有名な観光地の都江堰の奥になります。すぐ近くにはパンダの自然保護区である臥龍があり、少数民族のチベット族やチャン族の山間の居住地だそうで、チベット騒乱の時にも騒ぎがあった地域のようです。地震直後の土砂崩れや山崩れで、完全に孤立してしまい、テレビで震源地の映像が映し出されたのは、確か、地震発生から34日あとになったほどです。おそらく、未だに孤立している部落などもあるのではないでしょうか。

 地震発生後の、中国政府、また、中国の人々の反応はとてもすばやいものがありました。その日の夕方には、もう温家宝首相は四川へ向かう機上におり、テレビはその実況を皮切りに、以降、24時間、地震報道を流し続けました。そして、全国各省から、軍隊、警察、消防、医療などの支援隊が組織され、現地へ向かいました。市民(人民)たちも、翌日には各種団体やボランティアたちが街頭に募金箱を持って立ち始め、さらに、街角の献血車には長蛇の列ができました。ちょうど少し前に聖火をめぐって燃え上がった愛国意識が、そのまま地震へ向かったようで、「衆志成城、抗震救災」(力を合わせて震災に立ち向かおう)や「一方有難、八方支援」(どこかに困難があればまわりで助けよう)のスローガンのもとに支援の輪が広がって行きました。

 また、18日の夜にテレビで「愛の奉献」というチャリティー番組が行われ、この番組に寄せられた献金は15億元を超えたそうです。こうした献金では、名前と金額が発表されるため、著名人の間では、ちょっとした献金競争が起こっているほどです。献金の方法も直接献金箱へ入れる方式から、携帯で献金サイトに電話をし、金額を入れると、電話料金に加算されるなどいろいろな方法が取られています。

 放映された被災地の模様を見て驚くのは、倒壊というより、まるで爆撃にでもあったように一面に広がる瓦礫の山です。痛ましいことに、今回は、授業中の学校が全壊したケースが多かったようです。中国、特に、地方都市では、低層住宅はほとんど鉄筋を入れず、ブロックを漆喰で固めたようなもろい建物が多いため、今度のような強度の地震にはひとたまりもなかったのでしょう。既に、新聞等でも耐震構造の見直しについて論議が広がっています。

 テレビといえば、連日被災地の模様が中継されていましたが、ほとんどが、支援や救出場面の実況でした。瓦礫の中から生存者が手をふっており、周りの救援隊が瓦礫を除けたり、救出口を掘ったりする模様が長時間放映され、困難な救出活動の末、生存者が助け出されると、思わず周りから拍手や歓声が上がる場面がよく映し出されていました。今回の地震では残念ながら生存者より、圧倒的な数の死傷者がいるはずですが、こうした犠牲者が累々と安置されている様子はほとんど報道されませんでした。震災時に、日本のメディアでは、真っ先に死傷者の氏名を報道し、安否を気遣う家族などに情報の提供が行われますが、こちらのメディアでそうした報道は行わないようです。

 メディア報道の相違といえば、こちらでは、地震の対策本部やその最高責任者に対する直接報道が無いことです。震災直後、温家宝首相が、5日後には、胡錦濤主席が現地を訪れ、被災地を巡り、被災者を励ましたり、また、直接救援の指示を行う場面が詳細に報道されました。特に、温家宝首相は、震災直後に現地に入り、被災地の最前線に出向いて5日間も陣頭指揮を行いました。さすがに、その表情には、被害の大きさと救援状況のもどかしさで、疲労と焦燥感が隠せませんでしたが、現地の対策本部の模様は報道されませんでした。公式には四川省の広報部門が適宜情報発表と記者会見を行い、この模様が放送されるのみでした。

 現地では未だに余震が続いているようです。多くのダムでは亀裂が入り危険な状況にあります。さらに、山崩れでできた堰止湖の水が溢れそうだとのことです。山間の僻地では、救助隊に付き添われて、住民達の都市への逃避行がはじまりました。まだ道路が無いため、思い思いに荷物を背負い、山道を延々と何時間もかけて徒歩で避難しています。今回の地震は、21日現在で、死者4万人以上、負傷者27万人、行方不明者がまだ3万人以上に及ぶもようです。全国追悼日の期間中、夜になるとあちこちの広場に人々が集まり、キャンドルをかざして犠牲者の追悼を行い、最後に、「四川加油!中国加油!」(四川頑張れ、中国頑張れ)とシュプレヒコールで締めくくっています。

 地震の少し前に、ミャンマーをサイクロンが襲い、ぶん川大地震を上回る被害を出しましたが、軍事政権の対応が閉鎖的で、国際的な支援も空回りしているようです。それに比べると、今回の中国政府、そして、中国の人々の対応にはすばらしいものがあったと思っています。

追: 今回の地震で、日本にいる多くの方々から、お見舞いの連絡をいだきました。おかげさまで、こちらはいつもと変わらずに元気にしております。図らずも、こうした災害に遭遇して、国家とは、国民とは何かを改めて感じさせられることになりました。

追追: ちょうど情況の報告時期に地震がありましたので、今回は、地震に関する報告のみにさせていただきました。ところで、もう5月の末になりました。来学期の大学との契約は、縁があって、武漢にある中南民族大学と行いました。南京工業大学での授業は今期限りとなりました。従って、南京で生活するのも1ヶ月と少々と思っております。


(注) ぶん川: ぶんはさんずいに文