南京情況その6 (2008年4月)


 南京は今が春たけなわです。時折雨が降ると20℃を下回り、肌寒い日が続きますが、晴れると、日中は2425℃になり、汗ばむほどです。迎春花、桜(八重桜系)、木蓮やこぶしなどが終わって、現在は、桐の花や菜の花、ツツジなどがきれいです。

 先日、いつもスクールバスで行き来する南京長江大橋を歩いて渡ってみようと、天気のよい日に出かけました。アプローチから計ると、全長4.6km、長江の架橋部分では1.6kmになります。1層目が鉄道、2層目が車と二層構造になっているため、アプローチが長くとってあります。ゆっくり歩いてちょうど1時間ほどで渡り終えました。大橋の真ん中で眼下の長江をのぞくと、川面からかなりの高さがあり、また、車の振動で橋が小刻みに揺れていて、足がすくむ思いでした。市街側から渡ると、対岸は浦口区で、その北側に六合区と続きます。長江の東岸沿いには300棟以上に及ぶ大団地が造成中で、10階建て以上のマンション群が整然と並んでいる様子はなかなか壮観でした。大橋の車道は全部で4車線あり、しっきりなしに車が通るため、排気ガスが酷くて、さすがに帰りは路線バスで戻りました。

 また、昨日は、浦口区の西岸沿いの様子が知りたくて、サイクリングに出かけました。市街側の中山埠頭から、フェリーで浦口埠頭へ渡り、キャンパスのある浦口開発区まで行きました。フェリーを降りると、すぐ前に南京北駅が建っています。大橋ができる以前は、ここで鉄道の乗客はフェリーに乗り換え、対岸の南京西駅まで渡り、そこからまた鉄道に乗って、蘇州や上海へ向かったようです。駅はだいぶくたびれていましたが、なかなか立派な建物で、往時の賑わいをうかがわせます。駅の周りは浦口の中心地だったようですが、対岸の近代的な南京市街と比べると、発展から取り残されたような古びた田舎町でした。浦口の近辺は、長江からの湖沼が点在する農村地帯が続きます。1時間ほど自転車をこぐと浦口経済開発区に着きました。広々とした造成地にりっぱな舗装道路がどこまでもまっすぐと続き、所々にこれもゆったり敷地をとった工場や研究所が点在しています。工場は薬品系の会社が集中していました。現在、この開発区のために、長江の下をくぐるトンネル工事が行われており、23年後には開通するそうです。南京ではこうした開発区が各郊外区にそれぞれあります。南京の市街から車で30分も飛ばせば、こうした広々とした農地や造成地などが見られるのですから、つくづくうらやましくなります。

 前回も書きましたが、テレビでは毎日世界を走る聖火リレーの様子を特番しています。今日からいよいよ日本のようですが、平穏で終わればと思っています。パリやロンドンでは、チベット派のデモ一色でしたが、最近では、中国派のデモがだいぶ巻き返しているようです。チベットの騒乱を報じた西側の報道にミスが多く、それらを中国政府より先に、西側に居る中国の留学生達が見つけ、瞬く間に、偏向報道への批判キャンペーンがインターネット上に広がって行きました。これらキャンペーンに煽られた形で、中国国内ではフランス系のスーパー、カルフールへの不買運動へと広がり、北京や武漢では大規模なデモに発展しました。インターネットの情報には全て規制がかけられず、中国国内でもけっこう西側の情報に敏感です。最近、こうしたネット上のキャンペーンが政府の思惑を超えて突っ走るので、何かと問題になります。南京でもカルフールは何件かありますが、何事も無く営業しています。2005年の反日暴動の時もそうでしたが、南京ではあまり過激なデモや騒ぎを見たことがありません。

 さて、今回の情況でもまた「面子」についてもう少し述べてみたいと思います。日本文化の授業の時、学生達にアンケートを書いてもらいました。内容は、面子は大切か、どういう時に面子が立ったと思うか、どういう時に面子を失ったと感じるか、何が一番大切かといったものでした。面子は大切かという問いに対して、学生達の大部分が、ケースによって大切と答えてきました。つまり、海外へ行った時、社会へ出た時、中国人として、あるいは、自分として誇りを失わず、努力するので、面子は重要だと考えているようです。どんな時に面子が立つかというと、外国人から誉められる、他人から尊敬されることが、面子を立てることだと考えています。中には、教室で難しい問題に答えられた時というのもありました。反対にどんな時に面子を失うかというと、外国人から叱られる、人前で叱られたり、笑われた時、会社で仕事がうまくできない時などとありました。また、教室で簡単な問題に答えられなかった時というのも結構ありました。何が一番大切かでは、1位が家族、2位が自分、3位が国でした。

 こちらの学生達は外国人教師の前ではあまり積極的に手を上げません。授業中の質問もあまり多くないようです。日本語で答えたり、質問して、もしうまく出来なかったらと考えると、躊躇するようです。このあたりは日本の学生とよく似ていますが、私は、中国の学生は「面子」を、日本の学生は「恥」を考えているからだと思います。結果は同じでも、面子と恥とは違うようです。恥は内向きの志向で、皆が自分をどう思うかに心を砕き、面子は外向きの志向で、皆に自分をどう見せるかに心を砕くと思います。

 中国では、面子に拘るため、同時に相手の面子をつぶさないように配慮するのが、付き合いの基本だそうです。中国の先生達は授業中学生を引き付けるために、よく学生を誉めるのだそうです。また、外国人教師に対しては、なかなか本音が出てこないで困ることがあります。こちらの大学では、学生達の教師への評判や評価は大学側が機会を作っては吸い上げているのですが、そのフィードバックを全くしてくれません。担当者に会っても、先生の授業はすばらしいとお世辞を言われるだけで、安心していると、来期の契約継続はできませんと突然言われることがよくあるようです。多少相手の面子をつぶしても、悪いところは悪いとはっきり言った方が、相手のためにもなると思っているのですが。

 一番大切なものはという質問は、誰のための面子なのかを意図して聞いてみました。選択肢は、世界、国、郷里、一族、家族、自分と上げてみましたが、前述したように、家族が圧倒的でした。この家族は、親、自分、そして、将来は子供と同居している単位での家族なようで、あまり何々家とか一族という意識は無いようです。作文の時間に「将来」というテーマを与えて、書かせてみましたが、「80後」の学生達の理想像は次のようになりました。大学を卒業して、りっぱな会社に入り、そこそこ働いてから、独立して会社を作ります。収入が安定したら、親を呼んで同居し、将来は定年で会社を辞めて、一家で海外へ旅行に行くことだそうです。大学が中堅大学のせいか、あまり、国家のためにとか、外国に負けないようにといったモーレツな姿勢は少なく、ほどほどに働いて楽しもうという意識が強いようです。現実には、大学を卒業したあと都会の会社に就職すれば、郷里の親とは別居するのが普通です。しかし、20代、30代の既婚の先生達に聞いてみると、将来は親と同居したいと皆さんが答えます。まだまだ日本より家族の絆が強いようです。やがて、日本のように嫁姑問題が大きくなり、家族の単位が夫婦を中心に細分化するのか、それとも中国はこの絆を堅持していくのか、なかなか興味深いところです。

 早いもので、もうすぐ5月です。日本では来週からGWが始まるようですが、中国では今年からGWが小型化されました。休日を分散させようという政府の方針で、例年5日あった連続休暇が3日となりました。実際には、休日は51日の労働節だけで、2日は振替え休日、3日が土曜日で3連休です。4日の日曜日は2日の振替日で出勤日となります。その代わり、今年は新たに4月の清明節、6月の端午節、9月の中秋節が休日となり、通算で1日休日が増えたことになります。江蘇省の外から来た学生達にしてみると、移動に1日、あるいはそれ以上かかるため、3日では短くて帰省できないとボヤいています。こちらは、例によって、遠出を避けて、近場でゆっくりと江南の春を楽しもうと思っています。もっとも、そろそろ南京では暑くなりそうな気配です。