南京情況その4 (2008年1月)

 新年おめでとうございます。南京は暮の30日に寒波が訪れ、気温も−46℃と冷え込み、おかげで、凛とした元旦を迎えました。今年は政府の指導で、29日の土曜日が31日の振替出勤日となり、30日から1日まで3連休となりました。でも、こちらは27日からの春節が本番ですので、爆竹や花火の音に悩まされることもなく、静かな新年となりました。

 連休の間、新街口、夫子廟、湖南路などの繁華街を歩いてみましたが、人出は多いのですが、普段の休日並みで、大晦日や元旦の賑わいではありませんでした。かえって、夜になると冷え込むせいか、人出がまばらになったほどです。

 昨年の暮、南京で鳥インフルエンザ騒動がありました。南京市の親子が感染し、始めに発病した息子が死亡、後で発病した父親は助かりました。噂によると、なんでも夫子廟のレストランで江南名物乞食鶏を食べたところ、よく蒸されていなかったので感染したとのことです。

 領事館や日本人会から注意メールが何回も送られてきました。そうこうしている内に、日本の空港では、南京からの入国者に対して特別検疫を行うと言う知らせが入りました。暮れも押し迫ってきた頃で、そろそろ年明けに帰国を考えていた時期でしたので、万一風邪でも引いて熱を出すと、空港で隔離されて帰宅もできないのではとまじめに心配しました。幸い、徹底調査の結果、感染者は2名だけで、他に広がる気配はないという南京政府の終息宣言があり、それに続いて、30日に空港での特別検疫体制が解除との知らせが届きました。日本でも報道されたようで、息子に続いて父親が発病したため、一時は、世界で初の人から感染する新種ウィルスだと騒がれました。 

 原因についての詳細な発表を知らないため、なんとも腑に落ちません。おそらくレストランで家族皆で食事をしていたのに、何で感染者が2人だけなのか、また、夫子廟は日本の浅草といった繁華街で、いつも人でごったがえしており、件のレストランでも大勢の人が食事をしていたはずなのに、なぜこれ以上広がらなかったのか不思議です。

 この間、南京市内は別に普段と変わった様子も無く、肉屋やレストランの店先には籠の中に生きた鶏が入れられたままで、別にお客が避ける風もありません。そもそも南京の名物は南京ダックです。北京と違って南京は塩茹でですが、ちょっとした宴会では、前菜に必ず出てきます。わけが分からぬまま騒動は終わりました。

 さて、今学期は授業の進捗が順調でした。おかげで、早く期末試験も実施できました。比較的余裕ができたので、クリスマスや年末に、私の部屋に学生達を呼んでパーティーを行いました。他の日本人の先生方の話を聞くと、海苔巻きやいなり寿司など、手作りの日本料理で学生をもてなすようですが、料理が出来ないのをいい事に、学生達に飲み物は用意するから、食べ物持参で集まるように指示を出しました。クリスマスの25日には、4年生有志、年末の29日には、2年生全員に声をかけてみました。

 4年生達は何度か来ているので手馴れたもので、材料を買ってきて、私の部屋の台所でさっと料理をして楽しみ、終わってから皆でカラオケに行って騒ぎました。2年生は人数が多かったので、昼の部は女子、夜の部は男子と2回に分けて行いました。私の期待では、スナックやサンドイッチなどを持ち込んで、手軽にやろうと思ったのですが、結局、2年生達も、材料を準備してきて、料理を作りました。狭い台所ですが、学生が何人も入り込んで、大騒ぎで作ります。もちろん私と同じように料理を作れない学生もいて、彼等はリビングで私と世間話をしたり、テレビを見たりしながら、料理ができるのをひたすら待って、食べるのに徹します。男子学生の中にも必ず、けっこう器用に料理を作る学生がいて、感心します。父親が料理を作る家庭は日本の家庭より多いのではないでしょうか。

 彼等は皆、先月の情況でお話した1980年以降に生まれた「80後」世代ですが、好き勝手にやりたい放題なわけではなく、最後には、あれだけ散らかした台所をピカピカになるまできちんと後片付けをして帰りましす。

 「80後」については、先月、ある先生から、学生から要望があったので帰省を延期して特別授業を行ったのに、参加したのは最初だけ、すぐにほとんど欠席で、授業ができなくなったという学生への不満をいただきました。今回ももう少し「80後」を話題にします。あるブログで「Noといえる中国人」ということが話題になりました。日本から見ると意外に思えますが、中国人には少し外人コンプレックスがあって、なかなかNoと言えないと中国のブロガーが書いていました。「80後」の世代ではこうしたコンプレックスがどんどん少なくなってきているでしょう。それでも、先の例では、さすがに年配の外国人の先生には遠慮があって「No」とは言えなかったのではないでしょうか。ただ、根底には熱さが少し無くなっているようにも思えます。先生が特別に授業をしてくれることに対して、感激して懸命に勉強するより、何となく自分のプライベートの都合を優先させてしまう、でも「No」とはっきり言えなくて、自分一人休んでも他の人が何とかするだろうぐらいに考えて休んでしまう、このあたりが真相ではないでしょうか。

 「80後」の世代は、妙に人に優しいところがあって、他人を傷つけるのをとても嫌う、でも、同時に自分のやりたいことを優先させる勝手な面も持っているようです。何だか、今の日本の若い世代といろいろな面を共有しているように思えます。

 先日、授業の中で、学生に現代中国文化というテーマで作文を書かせてみました。その中で何人かが「80後」をテーマに書いてきました。学生達は、「80後」の短所を、親に甘やかされて我慢が出来ない、ユニークな性格でわがまま、インターネットに夢中で学業を疎かにすると書いています。反面、長所はものおじせず、開放的で、自分の個性を大事にすることだそうで、「できない」と言わず「僕を信じる」と言うそうです。

以下はその中の「80後」を書いた一節です。

 「・・80後で一番注目されたのは、『超級女声』や『加油!好男児』などのタレント発掘番組に登場した若者達だろう。彼等を見れば、80後の一団が持つ活力が分かる。平凡な生き方に満足せず、幾重もの審査を潜り抜けて、舞台で自分達のタレントを発揮しようと努力した。個性に富んだ服装やユニークな演技はいずれも彼等が特別な存在であることを表現している。彼等は戦争や政治の動乱を体験したことが無いだけに、自由奔放な心を持って、素晴らしい人生を謳歌しようとしているのではないだろうか。」