南京情況その3 (2007年12月)


 12月に入って、南京はすっかり冬の気配です。気温も10℃前後と低くなり、朝夕は冷え込みます。幸い、このところ好天が続き、風もないので、日中はおだやかな陽気になります。そのせいか、朝夕、南京長江大橋を渡る時、遠方が霞んで、東側の長江第二橋や、西側の長江第三橋が見えません。清冽な冬の晴天とはなかなかいかないようです。

 今期の授業も一段落してきました。会話は既に授業を終えて、現在は一人ずつ口答試験を行っています。日本概況も来週が最終授業になります。なんとか期末試験問題の作成も終わり、印刷をお願いしています。後は、試験の日程が決まれば、冬休みの予定が立てられます。学生達も、2日に日本語能力試験が終わり、受験した学生達は悲喜こもごもですが、ともかく懸案が終わってホットしているようです。ただ、相変わらず4年生達は就職の追い込みに、忙しくしています。

 中国で日本語を教えて5年目になりますが、最初に教えた2年生達はもう卒業して1年半経ちました。彼等は1983年から84年生まれでした。現在教えている2年生は87年から88年の生まれになります。教えた学生はみな80年代の生まれです。中国ではこの世代を「80後」と呼びます。「80後」世代は、改革解放後に、また、一人っ子政策が始まってから生まれた世代で、現代の中国では何かと話題になります。

 曰く、わがままで自己中心的、贅宅にもなれていて、人間関係の構築に不器用で、精神的受容力に乏しいそうです。しかし、物怖じせず、行動力にすぐれ、何事にもチャレンジ精神が旺盛とのことです。モノ不足や飢餓とも無縁で、おっとりして、どことなく透明感の漂う彼等は、少しでもチャンスがあれば浮き上がろうと、遮二無二がんばる現代中国の大人達から見ると、だいぶ異質に思えるらしく、何かと新聞やテレビで話題を提供しています。ちょうど日本の団塊の世代や団塊ジュニアといった感じです。

 確かに、授業で教えていて、日本に居る時に聞いたガリ勉ぶりはありません。こちらが指示をしたり、宿題を出したりすると、きちんとやってくるのですが、自分からとことん調べたり、関連分野をどんどん広げるような意欲もあまり見られません。受講態度は、多少の私語はあるものの、概ねまじめで、おとなしく聞いています。自己中心的と言われるほど、身勝手ではなく、教師への応対は丁寧です。学生達は全員寮住まいですが、孤立したり、いじめられている学生も見当たりません。仲良しグループはありますが、グループや島を作って対立している気配もありません。周りから、呆れられたり、驚かれている「80後」の特徴とは何なのでしょう。今回は、一人の学生を通して、見てみたいと思います。

 L君は1986年生まれで、四川省広安市の出身です。家では、両親と姉の4人暮らしで、特別に裕福でもなく、貧しくも無いようです。冬と夏の休みのたびに実家と大学を往復しますが、広安から省都の成都に出るまで1日近く、成都から南京まで列車で30数時間かかります。他の学生もそうですが、遠いからといって、飛行機や寝台車に乗るわけではなく、普通の座席に座って通います。そのため、5月のゴールデンウィークや10月の国慶節の連休には、四川の実家には戻りません。

 授業へはまじめに出席し、めったに休みません。席は、男性達が後ろの方に座るのに対して、いつも女性達に交じって一番前に座ります。性格は明るく、時々面白いことを言って、クラスを笑わせます。授業中の反応も活発で、教師にとってはありがたい存在です。クラス委員ではありませんが、よくクラスの面倒をみています。また、パソコンやDVD等の機器の操作にも明るく、これらを使う時には重宝しています。

 こちらが授業を終えて昼食に行くときは、いつも付き合ってくれます。体格は中肉中背でやや痩せ型ですが、大食いで、ライスは大盛りです。小遣いが足りなくなると、野菜とライスだけで我慢しています。また、時々、他のクラスメートと一緒に私の部屋へ遊びに来てくれて、料理を作ってくれます。得意は、四川料理の麻婆豆腐や回鍋肉などで、辛いものが大好きです。

 おそらくクラスの中では、私と一番多く話しているのですが、残念ながら、日本語はあまりうまくならず、クラスで中位ぐらいです。趣味は、映画やドラマの鑑賞、音楽、スポーツだと言っています。映画では、以前、馮小剛監督の「天下無賊」が最高だと話してくれました。スポーツは他の男性達に言わせると、あまりうまくないようです。授業が終わると、クラスメートとよく図書館へ行きます。図書館にあるパソコンで、映画やドラマをダウンロードしたり、それらを鑑賞しているのでしょう。6時ごろに夕食を済ませると、クラスメート達と校舎の教室で9時ぐらいまで自習をするのが日課です。

 ガールフレンドはいるようですが、江西省の大学に通っているとのことで、普段は全く会えません。服装はおしゃれとはいえませんが、服を買うときは安いスーパーなどで買わずに、市内の夫子廟(浅草と渋谷を合わせたような繁華街)まで買いに行くようです。そのためか、時々、土曜日曜にわざわざ市内まで出かけてアルバイトをしています。

 一時は教師になるという夢も持っていたようですが、現在、江蘇省や浙江省などの会社を中心に就職活動をしています。卒業後は、四川省へは戻らないそうです。

 以上が、私が親しくしているL君のプロフィールです。おそらく、他の学生も彼と似たり寄ったりの学生生活を送っていることでしょう。「80後」と周りから身構えられるような特異さはありません。いいにつけ、悪いにつけ、あまりガツガツしたところが無く、ほどほどに遊んで、ほどほどに勉強しています。むしろ、日本の平均的な学生達の有り様にとても近いように思えます。ただ、現在、高度成長の只中にある中国社会にとって、こうした「普通さ」が異様に映るのかもしれません。日本では、急成長を続ける中国の人達の「熱さ」やパッションが、時として脅威の目でみられますが、これら「80後」の世代が社会へ乗り出してくるに従って、中国社会の様相もどんどん変わってくるのではないでしょうか。