中国で日本語を教える

                                          2006年11月25日

今何をしている

 現在、中国南京市の南京工業大学で日本語教師をしています。こちらの大学は9月が新学年となるため、昨年の9月に赴任し、ちょうど1年と数ヶ月目になりました。対象は外国語学部日本語学科の学生たちで、主に3年生1クラス30人弱、4年生2クラス60人強を相手に、聴解、作文、日本概況と、日本語能力試験の勉強会を担当しています。語学系の学部のせいか、どのクラスも67割が女子学生で、まるで女子大の先生のようです。住まいは大学が用意した南京市街の民間アパートで暮らしており、授業の時には、毎朝スクールバスで郊外のキャンパスへ通います。


教師になった経緯は

 56年前に、蘇州大学で教師をしていた会社の先輩からの便りや近況を読むうちに、自分でも中国で日本語教師をしてみたくなりました。仕事の傍ら、休日には日本語教育専門学校に一年ほど通って学びました。縁があったせいか、その先輩の跡を継ぐことになり、30年以上勤めた日本アイ・ビー・エムを早期退社し、20039月に蘇州大学へ赴任しました。蘇州大学では2年間教え、その後、20059月から南京へ移り、現在の大学で教えています。


                                     
中国の大学の様子は

 156年前、中国では大学は全て国立か公立でした。全寮制で、学費、食費は無料の代わりに、卒業後の就職は大学が指定するという少数エリートの養成機関だったようです。改革・解放後、経済発展を担う人材を育成するために、私立を含め、高等専門学校、大学が多数設立されました。それにつれ、学費も年々うなぎのぼりに上昇し、現在、公立文系大学で、寮の費用を入れて、年間6000元〜7000元(115円相当)、私立文系大学では2万〜3万元に及びます。3万元といえば、地方都市での親の平均年収にあたります。
 中国では単科系大学は「学院」の名称を使い、総合大学のみ「大学」の名称が許されています。そのため、大学と名がつくところはいずれも規模が大きく、学生、院生、教師を含めると2万〜3万人に達します。現在でも、全寮制が原則です。そのため、キャンパスは広く、学生や教師が住む住居棟が団地のように作られ、生活のための商店、スーパー、銀行などが建ち並び、まるで一つの都市のような観があります。最近では、こちらの大学も、日本の大学と同じように狭い都心から離れ、郊外の広大な敷地に公園のように奇麗なキャンパスを造ることが流行しています。


大学生の様子は

 大学の数や就学率が高まるにつれ、今の中国の学生には、村や町、一族を代表して勉強するといった悲壮感はもうありません。郊外での寮生活で、日本のように気軽に都心へ遊びに行くといったことはできませんが、ゲームやパソコンで徹夜をして授業をサボるといったこともめずらしくなくなりました。
 中国でも全国統一試験の配点で希望大学への入学が決まります。予備校が少ない代わりに、高校が厳しく、授業の他に、早朝や深夜近くまで教室での自習や特別授業が強制されます。反面、大学では専攻科目が中心で、日本と異なり選択科目の数が少ないため、授業時間は多くありません。
 学生たちに日本語科入学の動機を聞いてみると、統一試験の結果というのもありますが、就職に有利だから、日本のテレビや漫画、音楽が好きだから、将来日本へ行きたいからというのが圧倒的です。事実、数でははるかに多い英語科の学生がすでに就職では飽和状態なのに比べ、日本語科の学生はまだ売り手市場です。さらに、海外の大学との提携も盛んで、毎年各大学から数名以上の学生が日本各地の大学へ間留学しています。



日本語の教え方は

 中国語も日本語も漢字を使うせいか、中国の学生は日本語を簡単にできると思うようです。確かに、取っ付きはいいのですが、やがて、文法、発音、読み方の違いで四季八苦しています。特に、音読み、訓読み、さらにそれらが入り混じる日本語の読み方や聞取り、また、「は」と「が」の違いに始まる助詞の使い方、動詞の能動態や受動態、時制の使い分けなどが苦手です。
 日本人教師は大学の事情で変わりますが、主に、会話、聴解、作文、日本事情、日本文学などを担当することが多くなります。一年生は別ですが、それ以外の学年では、全て日本語で教えます。こちらがつい早口になるとキョトンとしていますが、黒板に書いて説明すると78割は理解できます。
 強いためか、皆の前で恥をかくのをいやがります。教室で当てられてもいいように必死で予習したり、こちらから質問すると遠慮がちな応答しか返らず、うるさくて困るようなことはありません。


企業への就職は

 欧米系の企業や日本企業は給与や待遇などから、学生達の人気は高いようです。江南では上海から蘇州へ、さらに最近では南京の周辺まで、日本企業の進出が盛んです。これらの日本企業は、一部の技術系学生を除いて、国際協力基金が行う日本語能力試験の1級取得が入社の前提となるため、試験の時期が近づくと学生達は準備に必死です。大卒初任給は、これまで年々増加してきましたが、最近では大卒者の増加からか、2000元から3000元辺りが相場になり、横這い状態です。
 苦労して決めた就職ですが、こちらの学生や会社員の意識は欧米系です。キャリアや経験を付けると、少しでも給与の高い会社へためらいなく移ります。仕事がつまらない、給与が安いといっては簡単に仕事を辞めるので、ひどい時には、卒業後1年未満でクラスの半数以上が転職しています。企業側は、待遇や契約で歯止めをかけようと苦労しています。


                                     
南京とはどんなところ
 南京は、上海からさらに西へ、揚子江を300kmほどさかのぼったところにあり、気候もほぼ東京、大阪と同じですが、ただ、夏の暑さは重慶、武漢と並んで中国の3大かまどと言われるほど有名です。人口7000万人の江蘇省の省都で、640万人の大都市です。三国志の呉を始めてとして、宋、明、太平天国、中華民国などの都や首都となったところで、北京、西安、洛陽と並んで中国4大古都の一つと言われます。
 ただ、上海から遠いのと南京大虐殺で有名なために、これまで何となく日本企業から敬遠され、都市の規模の割には、日本人が少ないようです。南京日本商工クラブによると、会員数が230名ほどですから、在住者は1000人ほどかもしれません。しかし、最近では、郊外の江寧区の経済開発が盛んで、日本企業の進出も相次いでいるそうです。
 これまで南京に住んで、幸いに日本人ということで不愉快なことに出会ったことがありません。

中国での生活は

 最近の中国は経済発展が著しく、都市部では日本とほとんど同じ生活が送れます。宿舎はエアコン付きの2LDKで、当然、ガス、電気、水道が使えて、断水も停電もほとんどありません。ただ、習慣の違いか、浴室はシャワーだけで、浴槽が無いのが普通です。アパートは市街にありますので、近くにスーパーやコンビニも多く、何でもそろいます。物によって物価の水準は異なりますが、炒飯、ラーメンが5元程度ですので、食費は五分の一以下でしょう。割高なのは、車と住居で、普通の乗用車は10万元前後、マンションは南京でも都心部は8000元/uを超えています。車の方は日本を含め、外資系自動車会社による中国での生産が増えているため、年々安くなっていますが、不動産は横這いか上昇しています。都心の100uのマンションは価格がおよそ80万元、内装費が別なので、安く見積もっても全部で100万元以上、日本円で1500万円を超えますが、給与格差を考えると日本よりはるかに高価です。賃貸でも安いもので60u、3000元以上はかかりますから、若い独身者は23人でシェアリングをしているようです。


終わりに

 これから伸びようとしている社会の若い人たちに囲まれて、仕事が出来ることは楽しいものです。彼らの熱気にこちらまで元気にさせられます。事情が許せば、まだしばらく中国で教えていたと思っています。こちらにお出かけの折には、是非声をかけてください。



注: この文章は筆者の高中学校の同窓会HPへ掲載したものです。