南京近況その7 (2006年5月)


 5月の連休も終わり、学生達の顔もだいぶ落ち着いてきたように見えます。連休中、南京では比較的天気に恵まれ、後半に1日だけ雨が降りましたが、後は穏やかな日々が続きました。連休以降も夏日にはならず、相変わらず過ごしやすい天候が続いています。

皆様は連休をどう過ごされましたか。連休初日の日曜日、人を迎えに南京の北にある中央門のバス・ターミナルへ行きましたが、たいへんな人出で、ターミナルの中へ入るのもやっとの思いでした。やはりこの時期、団体ツアーは別として、外国人の個人旅行は難しいものがあります。そんな訳で、この連休は遠出をせずに、近場でゆっくり過ごすことにいたしました。

南京の地図を見ると、南京郊外の東と西にそれぞれ温泉の文字が見えます。東は湯山温泉、西は湯泉温泉、または、老山温泉とあります。日頃から湯船に渇望しているので、今回は温泉に行くことに決めました。西の湯泉温泉は大学の江浦キャンパス近くにある老山森林公園のさらに奥にあります。市内から路線バスに乗り、大学の前を通って、終点の江浦ターミナルで乗り換え、さらに40分ほどバスに乗ると湯泉鎮に着きます。日本のように温泉街があるわけではなく、小さな町の中のホテルと、さらに奥に新しく出来たリゾート・ホテルの2件に、温泉がありました。温泉客で賑わうといった風情はありません。リゾート・ホテルに行って見ましたが、なだらかな丘陵地帯に、ゴルフ場も備えた広々とした施設です。日本の温泉ホテルと同じような大浴場があり、日帰りの入浴料は78元と高額です。別に露天風呂もあるというので見せてもらいましたが、こちらは洋風のコテッジの庭にプールのようなタイル張りの温泉で、なんとなく味気ないものでした。大浴場は、沸かし湯のようで、湯量が少ないせいか、日本のように滔々と浴槽からお湯が溢れていないのが物足りませんが、施設は清潔で、久しぶりに温泉を堪能しました。連休の初めにもかかわらず、あまり混んでおらず、ゆったりすることが出来ました。まだまだ、こちらでは都心から2時間もかけて、温泉に浸かりに来るといった趣向は流行らないようです。

連休の後半には、江蘇省でまだ行ったことのない塩城に行くことにしました。塩城市は南京の東北約300kmにあり、人口800万人弱、江蘇省の市の中でも最も広く、面積は岩手県ほどあります。黄海に面し、太平洋西岸では最大の干潟があり、丹頂鶴の飛来地として有名です。南京から高速バスで長江を渡り、揚州、泰州を抜けて3時間程行くと塩城へ着きます。まず、塩城のバス・ターミナルで帰りの切符を買い、また、5元で市街地図を買って、予約したホテルの場所を調べました。幸い瀛州賓館はターミナルのすぐ側で、表通りに出て眺めると、すぐに見つかりました。今回は、前もってクラスの塩城出身の学生に来ることを知らせておきましたので、ホテルから電話をすると、父親の知人が運転する車で迎えに来てくれました。ホテルのフロントであれこれ相談して、野生動物保護区へ連れて行ってもらうことにしました。地図で見ると近く見えたのですが、塩城の市内から、黄海沿岸へ向けて車を飛ばして2時間もかかりました。途中、市街を抜けると、山は無く、周り一面の水田が続きます。遠く地平線まで延びる水田にはなんとも感動しました。江蘇省の南通市、塩城市、連雲港市と黄海の海岸沿いは平坦で、干潟も多く、延々と沃土が広がります。人口7000万人の江蘇省のほぼ真中にこれほど広大な耕地と草原があるのですからうらやましい限りです。あまり人家も見えない水田の中をしばらく車を飛ばすと、次第に、水田が雑草の茂る原野に変わり、木々の林の中に国家級自然保護区麋鹿園がありました。原野に生息する野生の鹿を集めたサファリ・パークのようなところでした。鹿は見たところ、日本の鹿をやや大きくして、斑点模様をとった感じでしたが、ここでは、麋鹿(milu)、別名を馬、牛、鹿、驢馬に有らずで四不像と言うようです。ただ、電動カーで園内を一周しても、野生の鹿は数頭ずつ固まって遠方で餌を食べているのが見えた程度で、実物はよく分かりません。まわりは、保護区としての手付かずの原野や干潟ですので、そこここに鴫や千鳥もいて、その度にガイドが説明をするのですが、中国語で、学生には理解できても、それを日本語にすると、「珍しい鳥です。」にしかならないので、これもよく分かりませんでした。それでも、ただただ水田と原野の広さに圧倒されて戻りました。翌日は塩城の市街を一人で散策しました。南京から地方の都市へでると、密集した高い建物が少なく、全体にゆったりとした趣があるので、ほっとします。塩城も同様で、狭くて曲がった道のある密集した古い市街は街の中心のほんの一握りで、その周囲を太くて真新しい舗装道路が何本となく井桁に交差して、どこまでもまっすぐに伸びています。道路沿いに、真新しいマンションや、オフィスビル、また、少し遠くへ行くと、経済開発区があり、大工場が続きますが、蘇州や無錫に比べると、日系企業も少なく、閑散としています。それでも、面白いことに市街のホテルの案内やレストランのメニューには韓国語が添えられていました。思えば、隣の山東省の青島も含めて、黄海を渡ると、向こうは韓国なのですね。珍しく小雨がぱらついてきたので、午後の3時に、満席のバスで南京へもどりました。

さて、毎回、こちらの人や学生のエピソードを書くようにしていますが、今回は少し酷い話をいたします。蘇州の時の専科(短大)の学生が卒業して、昨年の秋、蘇州の近くに新しくできた日本語学校に就職しました。そこは、もともと中学校(こちらでは、中高一貫)でしたが、地元の貿易会社と提携して、毎年、日本の会社へ研修に出かける青年に日本語を教えるため、日本語学校も併設することになり、その教師として雇われました。年齢はバラバラですが、だいたい中卒、高卒の若者のようです。6ヶ月程度日本語を勉強し、3月頃、日本企業の担当者もこちらに来て、その面接に通れば、2年間の研修に参加できます。4月に第一陣が無事日本へ研修に出かけ、やれやれとほっとしていたところ、日曜の夜、突然学校の経理から電話があり、明日から出勤する必要は無い、今後については後で連絡するとのことだそうです。訳が分からず、校長に電話すると、校長は不在で捕まりません。その週、自宅から伝手を探して、あちこち聞きまわり、真相が分かったようです。実は、校長が、日本へ行くことが決まった研修生から、正規の研修費に上乗せして、23万元の研修費をリベートとして集めており、それが貿易会社に発覚して、提携が解除になったようです。研修生達は日本へ行くと、研修先の会社から研修手当てがもらえます。仕事も結構忙しく、休日勤務や残業も多いようですが、彼等はほとんど寮から出ずに、自炊して、2年ほど頑張ると結構なお金が溜まるようです。研修生達はそれが分かるから、少々研修費が高くても校長の言うままに支払うのでしょう。犯罪になったかどうかは分かりませんが、哀れなのは、学生と教師達です。この学校も全寮制で、4月に行かれなかった学生達や、新規の学生が次回を目指して寮生活をおくっていました。それが、突然閉校、退去ですから、惨めです。授業料の返却はあったと思うのですが、以降の詳細は分かりません。件の卒業生は、勤務分の給与が支払われたので、それで良しとしたようです。私は、どこかへ訴えたらとけしかけましたが、意味がないと苦笑していました。

もう一つ。今の私の学生達には苦学生がおりません。皆、親から学費と生活費をもらっています。キャンパスや寮が郊外にあるため、アルバイトを探すのは大変なようですが、一人っ子で大事にされたためか、社会経験のためといってちょこちょこアルバイトをしています。アルバイト先は学校の掲示板に貼ってあったり、インターネットで見つけるようですが、中にはアルバイトの斡旋会社があるようです。ある学生の話ですが、その斡旋会社へ行って、手数料か、入会金か分かりませんが、4050元という学生にとってはそこそこのお金を払うと、市内の電気製品の量販店で、土日だけでもいいようですが、数日でいくらというアルバイトを紹介してもらったそうです。さっそく休日の朝早くから、市内へ出かけ、昼食も満足に食べずに頑張って、テレビ売り場の店員をやりました。勤務が終わり、寮に帰って夕食を済ませ、やれやれと休んでいると、夜になって、その量販店から電話がかかってきて、明日から来なくていいと言われたそうです。量販店は、特別セールを中止するからとか、学生の働き方が悪るいからとか、理由を少しも言わず、ただ一方的に通告するそうですが、学生も渋々それを受けてしまうようです。この話を聞いた時、なぜ量販店に文句をいって、せめて1日分の賃金をもらわないのか、あるいは、大学の教務か、斡旋会社へ苦情を言わないのかと問い詰めましたが、学生は言っても無駄だからといって笑っていました。同じような話を授業で書かせた作文の中で読んだこともあります。量販店か、斡旋会社は確信犯なのでしょう。この手の話が少なからずあって、学生たちも文句を言えば言うほど疲れるだけだと悟っているのでしょうが、なんとも、聞いているこちらが腹立たしくなる一方で、やきもきしています。

だいぶ長くなりましたので、今回はここで筆を置きます。次号をお送りするころは、6月の半ばで、期末試験の準備で四苦八苦しているか、それとも、南京の暑い梅雨が始まって、うっとうしい最中かもしれません。それまで残り少ない初夏?のさわやかな日々を楽しもうと思っております。昨年から、日本の天候はあまりぱっとしないようですが、健康にご留意ください。