南京近況その15 (2007年5月)


 南京は30℃を超える夏日になりました。もっとも、まだカラッとしていて、悪名高いムッとするような暑さではありません。また、時折雨が降ると、気温が下がって過ごし易くなります。昨年は空梅雨ぎみで、あまりジトジトした経験はありませんが、これから梅雨を迎え次第に蒸してくることでしょう。

 話は少し前になりますが、GWには武漢へ旅行に行きました。武漢は南京から長江を西へ遡って二日?、ちょうど華中、中国のほぼ真ん中にあります。殷時代の遺跡もありますが、古くから長江の水運の要として栄え、近代では、辛亥革命の発端となった武昌蜂起、また、日本軍に攻められた南京の国民政府が首都をここに移し、再度、日本軍に攻められて、重慶へ移って行ったことでも有名です。武漢という名前は、長江を挟んだ2大都市、武昌、漢陽を併せて、明時代から呼ばれるようになり、さらに、新たに商業都市として興った漢口を加えて中華民国時代に正式な名称になりました。戦前・戦中派の方々には、武漢三鎮の名前で有名なようです。湖北省の省都で、人口は850万人以上にもなります。

 武漢は南京からおよそ800kmほど西になりますが、鉄道は南京からの直行便が少なく、新幹線もありません。バスでは夜行が多く、8時間とのことでしたので、飛行機で行くことにしました。

 南京から1時間もかからずに武漢に着きました。上空から武漢を見ると長江を中に、まわりが湖だらけなのに驚きました。大小100以上の湖が市内に散在しているようで、まさに湖の都です。空港は市の北側、漢口側にあり、空港バスは漢口15元、漢陽20元、武昌30元とあります。まずホテルに向かおうと、漢口までのキップを買い、行先を確認してバスに乗りました。どこで降りてよいか分からず、そのまま乗っていると、バスが長江を渡ったので、武昌まで来てしまったことが分かりました。どうも、バスは各市区をめぐる巡回バスだったようで、仕方なく終点の武昌で降りると、しっかり追加料金を取られました。

 武漢にも長江大橋があります。上が車、下が鉄道の2層式で、構造は南京と同じです。ただ、完成は1957年で、南京より10年ほど古いものでした。全長1.7km、川に架かる部分は1.1kmですので、ちょうど長江の狭まった所に架橋したようです。橋の中央から四方を見ると、長江の北側、下流方向に長江ニ橋、南側の上流に長江三橋が見えました。最初にできた大橋は橋桁の多いアーチ型で、水面からの高さが低く、大型船の航行に差し支えるようですが、それでも橋の上から下をのぞくと、車の振動で橋が小刻みに震えるせいもあり、思わず足がすくみました。

 武漢観光の初日は、武昌まで来ために、まず、有名な黄鶴楼へ行きました。長江に臨んだ蛇山という小高い丘の上に在り、長江大橋の橋塔のようにそびえているため、とてもよく目に付きます。李白の詩に歌われ、唐の時代からあるようですが、現在のものは清の時代に造られたものを再建したそうで、屋根の四隅が反り上がった5層のどっしりとした楼閣です。GW中で混雑していましたが、幸い最上階に上がり、長江と武昌市内を眺めることができました。その日は、黄鶴楼を降りてから、眼の目にある長江大橋を徒歩で渡り、対岸の漢陽の長江公園を散策して、ホテルへ向かいました。

 2日目は、やはり武昌にある東湖に出かけました。東湖は武漢にある無数の湖の中でも大きなもので、宣伝では中国最大の城中湖(都市湖)とあり、南京の玄武湖のおよそ10倍の大きさがあります。バスで長江ニ橋を渡り、東湖の北側に出て、東湖公園へ行きました。貸し自転車を借りて、広い園内を1時間ばかりめぐってから、湖の中にある沿湖路を渡って南側の磨山公園に向かいました。中国ではよく湖の中に沿道を作ります。杭州の西湖にも有名な蘇堤、白提がありますが、東湖でも2車線の車道と街路樹に沿った歩道の細長い沿道が、湖を三方に仕切るように延びています。真ん中までタクシー、後は歩いて磨山へ行きましたが、ゆうに56kmはあります。沿道の袂では、たくさんの人が長い竿を垂らして釣を楽しんでいました。磨山公園では山頂までリフトで上がり、東湖の全貌を楽しむことができました。それから、東湖の南岸にある武漢大学へ行きました。武漢大学は中国でもベスト10に入る優秀な大学ですが、日本軍が植えた桜で有名です。私の南工大も広いのですが、武漢大学の広さにも閉口しました。こんもりとした山全体が大学といった感じで、裏門から入ったため、桜園に出るまで、1時間近くも校内をうろつくことになりました。桜はもう5月ですから、すっかり緑の葉で覆われていましたが、桜園から正門にかけて、ところどころで桜の絵葉書を売っていました。

 GWは好天に恵まれましたが、武漢は、重慶、南京とともに中国3大かまどの一つで、暑さで有名です。南京ではまだサラッとしていましたが、ここはもう蒸し暑くてまいりました。この日は大分歩いたので、そのたびにビールを飲み続けることになりました。

 3日目は漢口の繁華街を歩きました。長江ニ橋から長江大橋にかけて、漢口の市街が続きます。漢口は現在でも、武漢の商業やビジネスの中心のようで、地下鉄ではなく、高架電車が走っていました。まだ出来たばかりで、駅の数もすくなく、全路線で30分足らずですが、ホテルのある北から繁華街の南まで、きれいな電車で快適に行かれました。漢口には租界がありました。第2次阿片戦争の後、漢口は開港させられて、租界ができたようです。繁華街の近くの長江沿いに、こぶりな上海の外灘のように時代物のビルヂングが並びます。この辺りにはホテルも多く、その入り口にはカフェテラスが沿道に張り出して、長江沿いの散策をするにはなかなかしゃれた感じです。

 武漢には正味2日でしたので、まだまだ見足りないという思いが残りました。南京とは違う歴史を持った大きな都会といった感じです。それにしても暑かったです。

 前回の近況では、休みの度に南京を巡り、花便りなど書きましたが、5月は一転して、大学の仕事に追いまくられることになりました。GWの前あたりから、作文やスピーチの各種コンテストの応募が始まり、学生達に原稿を書かせ、その添削に追われました。また、日本語科では、今学期初めて4年生が卒業します。先生達が手分けして学生の卒論指導をしていますが、途中から、私にも6人の学生の指導が廻ってきました。中国のどこの大学でも同じようですが、日本語科では学生達に日本語による卒論を書かせます。いくつか題名を紹介すると次のようなものがあります。

 川端康成『雪国』についての研究

 村上春樹『海辺のカフカ』の研究―矛盾の世界と曖昧な自分の存在

 『DOLLS』によって北野武を読む

 日本語の否定表現に隠れる曖昧表現

 日本語のことわざの特質 

 日本社会における『カフェ』について

 いじめや児童虐待事件から見た日本の社会問題

 日本の企業文化についての研究

 日本と中国のコミュニケーションの違い

 等々

と、文学、言語学、社会現象、日中比較と様々です。日本語の出来不出来は別として、学生達が卒論を書くに当たって最大の問題は資料です。総じて、中国の大学や公共図書館では日本研究の資料が極めて少ないようです。卒論のテーマを決める時、まず学生達に言うことは、「資料を探せ」になります。日本語で書かれた資料がベストですが、そうでなければ、中国語の資料、あるいは、インターネットで探し回ります。ですから、テーマは自分の興味より、見つけた資料に左右されることも多々あります。

 現在、4年生は卒論の追い込みに入っており、6月中頃に口頭試問があり、それまでに完成させないと学位がもらえません。すでに何回か、卒論の修正や相談をしていますが、何しろ程度はともかく、学位論文ですから、原稿用紙20枚以上はあり、読むのがたいへんです。難しい中国語の論文を翻訳したため、日本語が滅茶苦茶なもの、日本の資料の切り貼りをしたものといろいろです。問題の指摘や批判は簡単ですが、骨が折れるのは、学生達の意を汲んで論文になるようにコメントすることです。もうそろそろ6月ですので、学生達がこちらの言うように論文をまとめていけるのか、やきもきしています。

 ところで、最近、テレビなどで中国株の加熱がよく話題になります。ニュースなどで、投資家でいっぱいになった証券会社の店頭風景がよく放送されます。海外メディアでは、はっきりと中国株バブルと言い切っています。前回の近況をお送りした4月ごろ、上海総合株価指数がとうとう3000ポイントを超えたと大騒ぎをしていましたが、現在ではもう4000ポイントを超えています。去年の年末辺りから加速され、現在もどんどん上昇が続いています。中国の管理当局は警告を出し、また、ドルに対する元の変動幅を広げたり、金利を上昇させたりしていますが、どうも小出しの印象です。年率2桁で上昇する中国経済は来年のオリンピックまでは沈まないという神話にも陰りが見えそうです。バブルが弾けたときに日本への影響も心配になります。

 さて、もうすぐ6月です。梅雨に入り、じとじとと雨が続くのも憂鬱ですが、空梅雨で高温が続くよりはましでしょう。適度なお湿りがあるとよいのですが。

 うっとうしい季節になりますが、健康にはご留意ください。