南京近況その14 (2007年4月)


 4月ももうわずかになりました。今年は暖冬で明けましたが、4月に入って、時々20℃を下回るような気温に戻ったり、思いのほか春が長く続きます。街路樹のプラタナスに若葉が茂るとあっという間に蒸し暑くなるいつもの南京とは少し違うようです。

 3月の梅やコブシ、木蓮などに続いて、授業に余裕のあるのをいいことに、花を追って南京を歩きました。莫愁湖公園に海棠祭りの垂幕が下がっていたので、入って見ました。莫愁湖は市内の西側にあり、周囲が23kmの小さな湖ですが、周りを高層マンションが取り囲み、都心のオアシスといった風情です。湖を取り巻くように海棠が植えられていましたが、私が行った時には、まだ五部咲きといったほどでした。海棠にはピンクの他に赤や白い花があるのを初めて知りました。4月の始めには南京でも桜が見られます。こちらの桜は小ぶりな八重桜が多いのですが、それでも南京市政府の前の大通りに小さな染井吉野が何本も咲いているのを見つけました。また、この時期には公園やアパートの中庭などにあざやかな黄梅、こちらでは迎春花がよく見られます。そして、楽しみにしていた菜の花です。学生達に中国では菜の花がきれいだといってもなかなか分かってもらえません。あれは食用油をとる油菜ですといった程度で、鑑賞する花には入らないようですが、何といっても広い畑に一面に咲く菜の花はみごとです。今年は、長江の北側、六合区へ行ってみましたが、開発が進み年々農地が削られるのが残念です。それでも、田圃や畑、小川の土手に黄色い絨毯を敷いたように咲いています。田圃の畔には、牛が23頭のんびりと草を食んでいて、古びた農家の門前には56羽の鶏が走り回っていました。桜が終わる頃には桐の花が咲きました。日本の街中であまり桐の花を見た記憶が無いのですが、こちらでは、空き地や中庭によく大ぶりの桐の木が植えられています。枝の先々に小さな藤色の花が円錐形に集まって、これを円錐花序というようですが、空へ向かって咲いています。あまり枝を刈らないせいか、桐は3階、4階の高さにまで伸びて、それが藤色の花で覆われるので、1本でもなかなか見応えがあります。そろそろ5月ですが、今盛りなのはツツジです。舗道脇の植え込みなどで濃いピンクのツツジが群れを成して咲いています。そういえば、アパートの出入口の脇にあやめが咲いていました。最近は気候が不順で、妙な時期に暑くなったり、寒くなったりしますが、それでも時期が来ると植物はちゃんと葉を茂らせ、花を咲かせます。その律儀さにとても感心しています。

 花を追っかけながら、南京でまだ行ったことの無い行楽地をまめに廻りました。大学のある浦口区に珍珠泉という公園があります。大学からも公園の辺りの山の上に長城のようなものが見えるので、前から気になっていました。長江を渡って西へ向かい、大学へ行く途中を北に折れると、珍珠泉があります。いまでもこんこんと湧き出る泉を中心とした遊園地でしたが、園内の山の尾根に長城がありました。遊園地の目玉として北京の八達嶺の一部を忠実に再現したもので、「南京長城」と銘銘されていました。100mほどの小さな尾根ですが、長城の上からは春霞の中にうっすらと長江が見えました。

 昨年の10月、南京の北の湯山という温泉へ行ったことを書きましたが、今度はその手前にある陽山碑材という遺跡を見に行きました。明の3代、永楽帝が初代の太祖を讃えるために作ろうとした碑石の造りかけがあるところです。碑石の頭の部分でも高さ10m、幅20m、厚さ10m、胴体の部分は横にしたままですが、長さ75m、幅10m、厚さ45mといった巨大さです。少し離れたところに台座もありましたが、全部併せて組み立てれば、高さが100m以上にはなろうという世界最大の碑石だそうです。完成しなかった理由は、永楽帝が都を北京に移したため南京に関心が無くなったためか、あるいは、あまりに碑石が巨大で組み立てる技術がなかったためのいずれかだそうです。陽山の一帯は、昔、明の都を作ったときの採石場だったところで、今では草生した丘陵地帯なのですが、碑材の入り口は明の時代村といったテーマパークになっており、高い入場料を取られたのが癪でした。

 さて、今学期の授業にもしだいに油が乗ってきました。前回、正規の授業だけでは物足りないので、会話練習をやると書きましたが、始めてみると、これがなかなか楽しいものでした。木曜日、午前の2時限は1年生、午後の2時限は3年生を対象に、毎回78人ずつ交代で、テーマを決めて会話をします。これまでも3年生達とは、私の宿舎などへの行き来もあって、いろいろ付合いがありましたが、時間を限ってまじめに会話をすると、以外に学生達の本音が出てきて、思わずこちらも真剣に応対させられます。先日、3年生と「大学生」というテーマで話してみたのですが、どうも現代の中国の大学生活はあまり楽しいものではないようです。受験で雁字搦めだった高校から大学へ入ると、急に自由になって、初めは楽しくてしょうがないようですが、そのうち時間を持て余し始めて退屈するようです。都心から離れた郊外の寮生活で、気軽に街へ遊びに行くわけにもいかず、また、日本に比べて授業時間は少ないものの、専門の必修科目が多いので、あまり授業を休むこともできません。午前中は授業に出て、午後からはほとんど自由になります。日本の大学と違って、あまりサークル活動には熱心ではないようで、スポーツをしたり、異性と交際したり、パソコンに耽ったりとそれなりに楽しんではいますが、でも何となく物足りないようです。特に、3年生達はそろそろ来年の就職を意識し出して、大多数が企業への就職を考えていますが、どんな仕事をすればよいのか、将来何になりたいのか、悩み始めます。自分の能力や社会の現実がはっきりしてくるほど、これまでの漠然とした夢では立ち行かず、さりとて、といったところなのでしょう。こうした中国の学生の現状を見ると、日本の学生とほとんど変わらないように思えます。市場経済で社会が発展し、選択肢が増えてくると日本やアメリカの現実へ近づくのでしょう。

 1年生達とはまだこうした会話はできません。自己紹介をさせて、簡単な家庭環境をたずねてみました。意外なことに、兄弟のいる学生が多いのには驚きました。一人っ子はクラスで半数弱でした。学生達の郷里はほとんどが江蘇省の都市部ですから、その理由は分かりません。また、今の日本も同じかもしれませんが、母親はほとんど働いています。父親の中には自宅を離れて、北京や遠方の都市へ働きに出ている人も多く、それこそ盆と正月にしか戻らないそうです。こちらの中学・高校は寮があるところも多く、子供達は大学や高校の寮、父親は遠方のため、1人で家を守っている母親もいるようです。彼等と話していると今の中国の暮らしぶりがよく分かります。そういえば、先日同僚の中国人の先生から育児の苦労話を聞きました。この先生の所に、ちょうど昨年の今頃女の子が生まれました。先生夫婦は共働きのため、山東省の田舎から先生のお母さんが出てきて、一緒に住みながら子育てを引き受けているようです。どのくらいお母さんに手伝ってもらうのかと聞くと、何と子供が3歳を過ぎて幼稚園へ行くまでだそうです。もちろん、赤ん坊を預かってくれる施設はあるようですが、費用と安心から、自分の母親に育児を頼むようです。のんびりした田舎から騒々しい都会に出てきたお母さんは、昼間1人で子育てをしながら、早く田舎へ帰りたいと嘆いているそうです。田舎では、お父さんがこれも1人でわびしい生活を送りながら子供の成長を待っているとのことです。こちらでの孫の世話もなかなか厳しいものです。

 4月に入って、中国ではオリンピックの切符の受付が始まりました。他のオリンピックの時よりは自国の国民への割り当てを多くするそうですが、一昨年の南京での国体開会式の入場券のフィーバーを思うと、手に入れるのは至難のことでしょう。CCTVでは、いろいろな歌手によるオリンピック応援歌を頻繁に流しています。また、18日から、鉄道第6次高速化といわれますが、南京−上海間の新幹線が本格化してきました。これまで14本だったのが、25本に増えました。30分に1本の割合で、平均所要時間は2時間13分です。まだ上海へでかけていませんが、これでとても身近になりました。まだ、南京から北京への新幹線はありませんが、そのうち開通するでしょう。次第に便利になります。

 最後に、笑い話を一つ。これも同僚の中国人の女性の先生と話していた時のことです。この先生が最近犬を飼いはじめて、可愛くてしょうがないようすで、携帯の写真を見せてくれました。先生に、ある日本人から聞いた話によると、南京のスーパーでは上米10kg50元だが、ドッグフードは10kg150元もする、犬は人間より3倍も高いものを食べているとからかってみました。すると先生は真顔で、でもドッグフードをあげないと毛並みが悪くなると返されました。なんとも、最近の中国都会人の面目躍如といったところです。