南京近況その1 (2005年9月)


 今日18日は中秋節(十五夜)ですが、南側のアパートに遮られ、部屋から月がよく見えません。10時ごろになって、そのアパートの上にちょこんと満月が顔を出しました。南京へ来て三週間が経ちました。今年の南京は涼しい日が多く、晴れても強烈な日差しが少ないようです。南京の夏の暑さは中国の三大かまどと(他に武漢、重慶)言われるほど有名ですが、天気図でも、常に上海より気温が12度低い日が続いています。

 8月の最後の金曜日に東京を発ちました。東京から南京への直行便が無いため、上海で降りて、あとはバスか鉄道に乗り継ぎます。最初の赴任のため、大学の方に車で浦東空港まで迎えに来ていただきました。空港の混雑でゲートを出たのが夜の7時過ぎ、近くで軽く食事をして、高速に入ったのが8時頃でした。上海の市街で多少渋滞はありましたが、快調に飛ばして、ちょうど午前0時に南京へ着きました。上海から西へ、蘇州、無錫、常州を経由して、南京までおよそ300kmの距離があります。幸い、管理人のおばさんも待っていてくれて、宿舎のアパートへ無事に入ることができました。

 宿舎は、一般の人々が居住している(民間の?)アパート10号棟でした。暗くて薄汚れた共用階段を上がった2階の東の角部屋で、ドアを開けると、中はきれいに掃除されていました。6畳の書斎とベッドルームが二つ、12畳のリビングに台所、バス・トイレがついています。リビングの一方が外に張り出されてサンテラス風に、また、書斎の横に2畳ほど窓で囲まれた物干し場があります。よく中国のアパートの12階の窓には盗難避けに鉄格子がはまっていますが、この部屋も窓は全て鉄格子が付いています。バスは残念ながらバス・タブがなく、仕切りの付いた狭いシャワー・ルームになっていました。広さは全部で60u以上あり、蘇州と比べると随分と広くなりました。おかげで、翌日から食器、洗剤、掃除道具など生活用品の買出しで忙しくなりました。

 宿舎は、南京工業大学のすぐ裏にあります。中国のアパート、マンションは敷地を全て塀で囲って、入り口に守衛がいます。私のいる10号棟は敷地の奥の突き当たりにあり、その先はもう大学のグラウンドなのですが、塀で囲ってあるため、大学に行くにはわざわざ逆方向の入り口に戻って大きく迂回することになります。この辺りは市街の中程で、南京市の真ん中にある明の時代に時刻を知らせた鼓楼からやや北寄りになります。周辺は、南京師範大学や南京大学なども近く、市民のアパート群が建ち並び、少々騒がしい文教・住宅街といったところです。宿舎から南へ20分ほど歩くと、湖南路、山西路といった大きな繁華街があり、デパート、飲食店、スーパーなどが軒を並べています。

 南京工業大学は、2001年に南京化工大学と南京建築工程学院が合併して出来た大学で、それぞれ化学と建築では由緒があるようですが、総合大学を目指して、外国語学部も設立され、日本語科は2003年から始まりました。そのため、日本語科の学生は3年生2クラスと2年生1クラスの945名で、教師も中国人の先生が5名、日本人の教師が私の1名と少数です。(体制が整わず、残念ながら今年の1年生は募集しなかったようです。)キャンパスは、市内の宿舎にある本部校区と、長江を渡った郊外にある江浦校区の主に2箇所に分かます。そのため、授業は毎日本部の前からスクール・バスにのって通うことになります。1時間目は820分に始まりますので、始発は7時半、以降2時間おきにバスが走ります。赴任して最初の授業が830日にありましたが、定刻に出たバスは、南京長江大橋の手前で大渋滞となり、教室の着いたのは850分と大遅刻になりました。もっとも学生は慣れたもので、全員おとなしく教室で待っていてくれました。長江(揚子江)は市街の北側を東西に流れていますが、ここに架かる橋は三つあり、西から第三大橋(建設中)、大橋、第二大橋と続きます。真ん中の長江大橋が一番古く、上に車、下に鉄道が通る構造です。橋桁の高さは優に56階のビルを超すほどですので、長いアプローチを入れると全長は45kmになるでしょう。江浦校区へは、この橋を渡ってさらに西へ10kmほど幹線道路を下ります。初日ほどの混雑はまだありませんが、それでも通勤時間帯には渋滞が続き、校舎へたどり着くのが一苦労です。

 江浦校区は200ヘクタール(2,000,000u)以上の広大な敷地にあり、初めて行った時にはその広さに驚かされました。丘陵地帯をうまく活用した森林公園のようなキャンパスで、その中に校舎、学生や教師の寮、グラウンドなどが点在しています。やや南北に長いキャンパスの中を校内バスが巡回しており、教師は無料、学生は5角(7円)で自由に乗り降りができます。市内からのスクール・バスも各校舎を巡回しますので、自分の授業をする校舎の前で降りることになります。初回は同僚の先生に付き添ってもらいましたが、一人で行った次の日に降りる校舎を間違えて、何回かバスを乗り継いでようやくたどり着きましたが、また遅刻となりました。授業が終われば校舎の前で待っていると、バスが廻ってきて教師を拾って市内へ戻ることになりますが、バスがいつ来るのか気が気でなくて、学生達との質疑にも落ち着きません。

 日本でも同じですが、狭い都心から郊外の広大なキャンパスに移転するのが、中国の流行のようで、上海の諸大学も宝山区や松江区などに移転しており、蘇州大学でも水郷で有名な周庄の近くに広大なキャンパスを造り、一部の学部が今学期から移転しています。郊外のキャンパスは自然環境も豊かで、なによりも校舎や寮が新しく、設備も最新ですばらしいのですが、文科系の学生にはこれでよいのか疑問になります。中国の郊外は半端ではなく、まわりは延々と畑か、荒地か、寒村の他に何も無く、都心へ出るにも交通は恐ろしく不便です。大学は原則全寮制ですから、学生達をみていると、なんだか4年間瀟洒な監獄に押し込められているように見えてきます。こちらの大学は一般に選択科目が少なく、授業はほとんど午前中で終わります。蘇州大学の日本語科の学生は、キャンパスが市内にあったため、日本人の留学生と交流したり、日本の会社で通訳や社員の中国語の家庭教師などのアルバイトをしたり、あるいは、時々生き抜きに繁華街へ買い物に出かけていました。ここでは、南京市内へ出るには、バスを乗り継いで2時間近くかかりますから、精々月に12回しか出かけないようです。江浦校区には、学生や教師が2万人近くいるそうですが、日本人は私と、先日あった日本からの交換留学生の2人しかいないようです。学生達と一緒に食事をした折に、尋ねてみましたが、学食の食事がまずいだの、空調が無いので暑くて寝られないだの文句は言いますが、だからと言って大学を辞めたいとった不満は一切有りません。今の中国では、少しでもよい職業を得るために大学の資格は大切ですから、どこの大学でも皆同じと割り切っているのでしょう。それにしても、文系、特に、語学系の学生は都会に住む方がよいのではと思っています。

 余談になりますが、こちらの学生はあまり酒を飲みません。学食でビールは売っていますが、たまにクラスの誕生日会などで飲む程度で、毎日のように寮で酒盛りをやったりはしないようです。安い酒場を飲み歩いた私の学生時代とはえらい違いです。(もっとも最近の日本の学生も昔のようには飲み歩かないのですかね。)

 今学期は、3年生の作文、日本概況、2年生の会話、聴解を担当することになりました。最初の授業での学生の印象は、おとなしいというか、クールでした。30人強のクラスで男性が2割程度、蘇州大学より多いようです。意外でしたが、省立大学の割には、四川、河北、北京、遠くは黒龍江などと江蘇省以外の学生が2割程度おります。学生達は大学統一試験の点数で入学する大学、学部を選択します。自己紹介の作文をかかせると、高校時代成績が良かったのですが入試に失敗してこの大学を選びましたという学生が23おりました。インターネットの中国大学ランキングでは、南京工業大学は90位前後でしたので、それ程レベルが低いとは思いませんが、ただ、最初から日本語を専攻しようと思って入ってくる学生はほとんどおりません。点数の範囲で大学を選ぶ時、テレビやアニメで日本語に興味を持ったのでとか、将来就職に有利だからといった理由で日本語を選ぶようです。これから学生達と長い付き合いになりますので、こちらも楽しみつつ、「あせらず欲張らず」をモットーにやっていこうと思います。

 さて、今、南京は第10回運動会の開催に向けて盛り上がっています。南京に住み始めた8月末から9月の初めの頃は、「中国人民抗日戦争及び世界反ファシズム戦争勝利60周年」のイベントが北京を中心に行われ、テレビでは連日、多くのチャンネルで抗日戦争映画が放送されていました。映画の日本軍を見るたびにうんざりしていたのですが、最近は運動会に変わりました。4年ごとに開かれる国民体育大会だそうです。今回は、江蘇省の開催で、1012日に南京のオリンピック・スタジアムで開会式が行われます。日本では南京というと、「南京大虐殺」のイメージでなんとなく敬遠されますが、今のところ快適に生活しています。今回は大学の紹介でだいぶ長くなりましたので、南京の紹介は次回にいたします。引き続きよろしくお願いいたします。