大草原に遊ぶ (2014年7月)



憧れの大草原  

 一昨年の7月、団体ツアーで九寨溝へ行きました。バスで蘭州の南西を下り、甘粛省の最南部、甘南チベット族自治州の碌曲(ルチュ)、郎木寺(ランムス)を過ぎると四川省へ入ります。峠を登って行くと日尓郎山隧道というトンネルに入りました。1.5qほどのやや長いこのトンネルを脱けたとたん、あたりの景観に驚きました。3000mを超える高所に地平線も見えないほどの平らな大草原が広がっていました。周りは牧草地で、牛や馬や羊がのんびりと草を食んでいます。バスがこの草原を走り抜けるのに3時間以上かかりました。九寨溝への行きと帰りにこの草原を往復しましたが、すっかりその広さ魅了されてしまいました。それ以来、いつかこの草原で過してみたいと思っていました。今学期の始め、いつも世話になっている旅行社の友人からこの高原に外国人も泊まれる四つ星ホテルがあると聞きました。それで、この夏休みはぜひそのホテルに泊まって、大草原を満喫してみようと思いました。

 

若尓盖大草原(ノルゲ/ゾルゲ)

 草原の名前は若尓盖と書きます。中国語ではルアルガイですが、チベット語ではノルゲ、あるいはゾルゲと言うようです。草原は四川省、青海省、甘粛省の3省にまたがり、面積は5.3万平方キロメートルで、高度は34003600mだそうです。北海道の面積が8.3万平方kmですから、若尓盖草原はおよそその3分の2の広さがあります。

 この草原の多くが四川省アバ・チベット族・チャン族自治州若尓盖県にあるので、そう呼ばれるのでしょう。件のホテルは、草原の真ん中にある若尓盖県城(若尓盖町)からさらに西へ数十キロはなれた唐克鎮にあり、名前を黄河第一湾大酒店といいます。

 中国の黄河は青海省のバヤンカラ山(4500m)に端を発して、四川省へ流れ、甘粛省へ北上し、また青海省へ戻り、それから蘭州へと流れていきます。中国の山間部にある草原はどこでも同じようですが、草原と同時に実は大湿原でもあります。草原の中を無数に川が流れ、池や湖がたくさんあります。草原の一部は若尓盖湿原とも呼ばれ、高原泥炭沼沢湿地として中国最大、世界有数の湿原だそうです。湿原は動植物の宝庫ですが、その昔、蒋介石に追われた紅軍が長征でこの湿原をさまよい、多大な犠牲を出したところとしても有名です。

 

草原への旅

 期末試験の採点を終え、朝一番のスクールバスでキャンパスを出発しました。蘭州南バスターミナルから9時半のバスで、甘南チベット族自治州の合作市へ向かいました。合作市は蘭州から260q以上離れた、標高2900mのチベット族の街です。合作に来るのはこれでちょうど4回目になります。一昨年九寨溝へ旅行した時、昨年1月ミラルバ仏閣と夏河のラブラン寺へ行った時、そして、昨年9月に郎木寺へ行った時にここに来ています。バスは4時間後に合作北ターミナルに付きました。合作は高原の丘陵地帯にある静かな街で、北側の丘にミラルバ仏閣が街を見下ろすように建っています。前回泊まったホテルへチェックインし、さっそく合作南ターミナルへ翌日のバスを問い合わせに行きました。若尓盖行きのバスは毎朝7時半出発だそうで、切符は79.5元でした。

 翌朝、バスは客待ちで定刻を少し遅れて出発しました。若尓盖までは蘭州から合作までとほぼ同じような距離になります。碌曲へ9時、郎木寺(正確には分岐点)へ10時半に到着し、例の日尓郎山トンネルを脱けて、若尓盖草原を走り、12時半に若尓盖県城へ着きました。幸い、朝方に垂れ込めていた雲も、草原へ出る頃にはすっかり無くなり、存分に景観を楽しむことができました。若尓盖でホテルまでの切符を買うと、14時半発で19元でした。バスの出発まで、若尓盖の町を散策し、昼食を済ませました。若尓盖からのバスは平原というより、なだらかな緑の丘陵地帯をぬうように進み、唐克鎮から黄河第一湾旅遊区に入り、2時間ほどかかってホテルの前に着きました。

 ホテルは旅遊区の中にあり、南側の草原の向うにゆったりと流れている黄河が見えます。第一湾の第一とは最初、最もすばらしいといった中国らしい表現で、湾とは黄河の湾曲のことを言います。ホテルの前を黄河がS字を書いたように蛇行して流れていました。

 

黄河第一湾

 黄河九曲第一湾旅遊区は若尓盖草原のやや南側にあり、第一湾を一望する景観台を中心に、湿地公園、チベット寺院といくつかのチベット族の村落を含んだ観光地でした。なお、黄河第一湾はもう少し下流の甘粛省の瑪曲(マチュ)にもあり、それと区別するために九曲を付けることもあります。

 朝食後、さっそく景観台へ登りました。ホテルの後ろに2300mの小高い丘があり、その頂上の景観台までりっぱな木の桟道が作られていました。桟道の反対側には何と有料エスカレーターまでありました。景色を楽しみながらゆっくりと景観台の階段を登りました。ホテルは3400mの高さにありますから、景観台の高さは3600mを超えているかもしれません。景観台からの展望は絶景でした。黄河は南側の遥か遠方から蛇行しながら流れてきて、ちょうど景観台の前で大きくS字に湾曲し、二つに分かれます。一つは白河として東へ流れ、もう一つは黄河の本流として、西からさらに北へと流れていきます。天気もよく晴れて、大平原の中をゆったり流れる黄河と遠くの地平線に四川、青海の山々が小さく見えました。

 昼は、景観台の東にある索克蔵寺というチベット寺院を見学し、近くのチベット族の村を歩き、また、村の丘陵に登って、第一湾の景観を楽しみました。周りは丘陵と牧草地で、樹木はなく、緑の草原が広がります。今が一番よい季節なのでしょう、草原にはラベンダーを始め様々な高山植物が咲き誇っていました。

 夕方は、黄河の川岸にある湿地公園に行って、木製の桟道を一周しました。途中、園内のログハウスのテラスで椅子に座り、目の前の黄河を眺めていると時間を忘れます。ただ、黄河の水は清流とはいかず、やや濁っていましたが、蘭州を流れる黄色い黄河ではありませんでした。

 翌朝もまた景観台に登り、景色を楽しみました。最近、黄河第一湾は観光地として人気が出てきたようで、日本向けの観光案内でも「成都・九寨溝・若尓盖・花湖・黄河第一湾観光6日間」といったツアーを見かけます。そのせいか、朝夕たくさんの観光バスがやって来ました。朝日は黄河と反対側の丘陵から登りますが、落日は黄河の流れる草原へと沈みます。それが目当てのツアーも多いようですが、この時期、日没は20時半で、日本よりはだいぶ遅くなります。

若尓盖湿原は鶴やコウノトリ、鷲などの大型の鳥類が多く、丹頂鶴によく似た黒頸鶴の生息地として名高いようですが、季節のせいか、あまり見ることができませんでした。ただ、草原のあちこちでせわしく羽ばたきながら空中でピーピーとヒバリがたくさん鳴いていました。

天気に恵まれ、好天が続きました。高地のため寒さを心配しましたが、朝晩にセーターが欲しくなる程度で、日中は半袖で十分でした。ただ、日射しが強く、一日外にいると眼鏡のあとがつくほど顔が真っ黒に焼けました。雲一つ無い大平原をのんびり眺めていると、西の方からぽつぽつ雲が湧きだし、やがてそれが頭上の太陽をさえぎり、また東へ流れていきます。夕方になるとよく黒い雲が西から流れてきて、パラパラと雨を降らせ、風も出て、気温がだいぶ下がりますが、これも少し経つと元通り好天に戻ります。大平原にいると天気の移り変わりがよく分かります。

一人で村の牧草地を歩いていると、よくチベット犬に吠えられました。チベット犬は黒い毛がふさふさした大型犬で、気性が荒いので有名です。遠くから私を見つけると吠えながら駆け寄ってきます。金網の柵があるので、外へは出て来ませんが、それでも簡単な柵なので、乗り越えて来ないかと少し冷や冷やしました。動物と言えば、野兎に時々会いました。草原を歩いて行くと、草むらから不意に褐色の野兎が逃げていきます。また、草原のいたるところに穴が開いているのに気が付きました。最初はモグラかと思いましたが、夕方歩いていると穴の近くでモルモットによく似た動物がうろうろしていましたので、どうも高山系のマーモットではないかと思っています。

ホテルはメゾネットタイプのリゾートホテルで、400室以上もある大きなホテルでした。ただリゾートといっても、どうも何日か滞在したのは私だけなようで、他の人たちは、観光バスや自家用車で来ては1泊し、次の観光地へ向かいます。公共バスを乗り継いで来たお客は私だけだったのではないでしょうか。施設はまあまあで、部屋はきれいで、ちゃんとシャワーからお湯がでましたが、熱湯は時間制でした。ホテル代は1泊朝食付きで432元でした。6月までは3百数十元でしたが、7月からシーズンのため、4百数十元に上がりました。不満は食事でした。メニューの品目は少なく、どれも街のレストランの倍以上の値段です。ビールは小瓶で18元も取られました。周りに食堂は1軒もないので、いやでもここで食べる以外にありません。もっとも、3400mの自然公園の真ん中にあるのですから贅沢は言えないのかもしれません。

 

チベット族雑感

合作を含め、若尓盖高原、青海省の南西部とこの辺り一帯はチベットの東部にあたり、チベットでは昔からアムド地方と呼んでいます。街では民族服を着たチベット族の人たちをよく見かけます。日本のドテラのような着物を羽織り、金属の装飾を付けた帯で締めつけています。年齢を問わず、女性の方が民族服をよく着ているようです。バスでは民族服を着たおばさんや緋色の僧服をまとった僧侶などと同席になりました。意外なことに彼らは皆スマホを持っており、上手に操作しています。画面を覗き込むと、表示された文字は漢字ではなくチベット文字だったので、驚きました。

チベット寺院を歩いていると、よく僧服を着た子供たちに出会います。寺院の周りには僧侶たちの僧坊がたくさんあります。子供たちはそこで生活しながら、寺院が経営する小学校へ通うのでしょう。第一湾の河岸には黄河楼という小さな仏閣がありましたが、その周りを回りながらお経を唱える人たちが絶えませんでした。チベット族の人たちの生活は深く仏教と結びついているようで、感心します。そういえば、帰りに乗った白タクのチベット人の運転手は観光客をよく案内しているようですが、彼が言うには、漢族や韓国人は仏教を信じていないが、日本人は仏教を信じているので親近感がわくとのことです。確かに信仰は別にして、我々日本人の生活にもまだまだ仏教に根差した習慣が多いようです。

 

草原を離れて

 第一湾のホテルには3泊しました。帰りは、若尓盖県城へ行くバスが1日に2本しかないので、ホテルに頼んで車を呼んでもらいました。早朝に出発したので、思ったより早く県城へ着きました。それで、合作に泊まらず、バスを乗り継いで蘭州へ帰ることにしました。今回は第一湾に滞在し、他へはあまり出歩きませんでした。第一湾は黄河の眺めが絶品でしたが、周りに丘陵がありました。丘陵も無い大平原という意味では日尓郎山トンネルの近くにある花湖の周辺がすばらしかったです。ただ、公共バスの本数が少ないため、今回は花湖で降りずに、バスの中から草原を満喫しました。好天に恵まれ、寒さに震えることも無く、存分に大草原を楽しむことができました。高所の蘭州にいるせいか、高山病に苦しむこともありませんでした。高度3600mの若尓盖草原が緑に覆われ、花々が咲き乱れるのは7月、8月の短い間です。これだけの広さの高原は、日本では北海道へ行っても見ることができないでしょう。今後、もし九寨溝へ観光に来られる方がいらっしゃるならば、もう1日足を伸ばして、若尓盖高原を楽しまれてはいかがでしょうか。