これまで、中国の各地へ行きましたが、中国の中華文明の発祥地で中原と呼ばれる河南省へ行ったことがありませんでした。河南省は西に陝西省、北に山西、河北省、東に山東、安徽省、南に湖北省があり、省都の鄭州を中心に、中国七大古都の内の洛陽、安陽、開封といった3都市があり、まさに中華の地です。省の面積は約16.4万平方キロで甘粛省の4分の1とあまり広くありませんが、人口は約1億人で、中国でもっとも人口が多い省です。 今回の冬休みは河南省を旅行し、上海へ抜けて、日本へ帰省することにしました。蘭州からの飛行便は鄭州しかありませんでしたが、鄭州は鉄道網の要衝で北京から広州へ、西安から上海へ行く新幹線網が縦横に走っています。それで、鄭州を中心に安陽、洛陽、開封と新幹線で巡ってみようと思いました。 鄭州へ向かう 蘭州から鄭州までおよそ1200km、飛行機で2時間ほどかかりました。鄭州は蘭州と同じ地方都市と思っていましたが、なかなかどうして北京や上海に匹敵する大都市でした。鄭州の新鄭空港から市内へ向かう空港バスは、目的地に応じて何カ所かあり、迂闊にも予約したホテルの名前しか控えていなかったので、係りに見せると首をかしげながら小さなバスを教えてくれました。後で分かりましたが、どうも鄭州駅の表口(東口)へ行くはずが、裏口へ行くバスでした。鄭州市内まで20元でしたので、30元の蘭州より近いと思いましたが、鄭州の市街へ入ってから渋滞や信号待ちで1時間近くかかって鄭州駅へ着きました。駅前からホテルに向かうためにタクシーに乗りました。愛想の良い運転手で、こちらが日本人と分かると安倍首相の靖国参拝の話題などを持ちだして、しきりに話しかけてきますが、どうもホテルへなかなか着きません。どうやら街の外環道路を北へ向かって走っているようです。問い質してみると、今日は休日で交通が混雑しているから時間がかかるとのことでした。小一時間かかってようやくホテルへ着きました。料金は48元もかかりました。ホテルで聞くと、どうも外環道路をぐるりと回って遠回りをされたようです。おかげで、チェックインをすませるともう5時近くになっていました。午後は市内観光をしようと思っていたのですが、遅いので、路線バスで駅へ向かい、周辺を歩いてみました。市街を貫く幹線道路はどれも片側4,5車線の幅を持ったりっぱな道路でしたが、交通渋滞でなかなか進みません。地図で見るとすぐ近くでも、歩いてみると距離があり、まるでアメリカの諸都市へ来たような大きさでした。鄭州では気軽に市内を歩いて回ろうと思っていましたが、バスやタクシーを使わないと回れないようです。 殷墟を巡る 翌朝、早めにホテルを出て安陽へ向かいました。安陽は鄭州から北東に180km離れており、河北省の近くにあります。ここに殷後期の遺構や陵墓があり、殷墟と呼ばれ、世界遺産になっています。鄭州から新幹線で1時間ほどで安陽東へ着きました。運賃は58元でした。新幹線は在来線とは別の線路を走っており、新幹線の安陽東駅は安陽の郊外にありました。駅前の路線バスで市の中心部にある在来線安陽駅へ向かい、そこからタクシーで殷墟へ行きました。安陽市は人口100万人ほどの大きな都市ですが、市街にはあまり高層ビルはありません。立ち並ぶオフィスやアパートのビル群もややくすんで、古い地方都市といった様相でした。殷墟は市街の北の田園地帯にありました。 殷は商とも言われ、紀元前17世紀から前11世紀にかけて栄えた中国の古代王朝です。歴史では最古の夏に続く王朝ですが、考古学的にはまだ夏の遺跡が確認されておらず、殷墟が最古の遺跡になります。殷墟の入場料は90元でしたが、老人割引で半額になりました。広々とした園内は宮殿宗廟遺跡、博物館、王陵遺跡などがあり、シーズンオフで観光客も少なく、ゆっくりと見て回ることができました。殷の遺跡で有名なものは甲骨文字と青銅器です。博物館にはたくさんの甲骨文字の遺跡が展示されていました。亀の甲羅や牛や鹿の骨などに彫られた文字は絵文字に近いので大きなものかと思っていましたが、甲羅の端に小さく刻まれたものでした。さらに、青銅器も多く、中国で出土した最大の青銅器といわれる司母戊鼎(しぼおちちょう)などがありました。また、王陵の遺跡では、陪葬された多くの人骨や馬などの家畜の骨があり、時代の古さを感じました。殷墟の周りは広々とした田園で、観光客も少なく、ゆっくりと黄河文明の発祥地の雰囲気を味わうことができました。 2時過ぎに殷墟を出て、路線バスで安陽へ戻りました。安陽駅のすぐ近くに長距離バスのターミナルがありましたので、鄭州への帰りはバスにしました。料金は59元と新幹線とほぼ同じでしたが、時間は3時間ほどかかりました。 洛陽を楽しむ 次の日、鄭州のホテルに大きなトランクを預け、チェックアウトしてホテルを出ました。午前中は鄭州駅の近くにある二七塔や商代遺跡などを見物し、昼から新幹線で洛陽へ向かいました。鄭州から西へ120km、40分ほどで着きましたが、料金は安陽より近いのに60元でした。洛陽は黄河の支流洛河が東西に流れ、その北側に市街が広がっています。また、洛河の南側も新市街として開発中です。新幹線の駅は洛陽龍門といい、新市街にありました。駅前から75路の路線バスに乗ると、30分ほどで偶然に予約したホテルの門前に着きました。洛陽は、春秋時代に周の都となったのを始めとして、以降、後漢・曹魏・西晋・北魏・隋・後唐の王朝の都になり、また、長安を都とした王朝の副都として栄えました。現在は市区人口が140万人ほどの大都市で、市街には高層のホテルが立ち並び、国際的な観光都市といった景観です。予約したホテルも25階建ての4つ星ホテルで、1泊朝食付258元という安さでした。チェックインを済ませると3時近かったので、洛陽博物館へ行くことにしました。博物館は新市街にあり、広大な敷地に分厚いコンクリートでできたモダンな建物でした。ここでも、古代から、漢、唐、宋、明、清と豊富な陳列物がありましたが、場所柄、唐三彩の陳列が充実していると思いました。特に、三彩に彩られた大きな馬の置物はまるで生きているようで見事なものでした。 二日目は今回の旅行のハイライトの市内観光です。実は、洛陽出身の学生に案内してもらう予定でしたが、学生が体調を崩して、一人で観光することになりました。ただ、道順や交通を学生が調べておいてくれましたので、それに従って回りました。まず路線バスを乗り継いで、洛陽の東の郊外にある中国仏教の最古の寺、白馬寺へ行きました。白馬寺は西暦68年後漢の明帝により建立されました。ただ、何回か罹災しており、現在の建物は明や清の時に修復された建物のようです。例によって身分証を見せると、ここでは無料で入れました。広い境内に思ったより多くの伽藍がありました。また、境内の西側にはなぜか、タイの仏教寺院、インドの仏教寺院が建てられていました。 白馬寺の次は三国志の関羽の墓がある関林へ行きました。白馬寺から路線バスがあり、それを使いました。関林は洛河を渡った南の新市街にあり、1時間以上かかって着きました。関林は三国志で活躍した蜀の関羽の首塚です。関羽を討ち取った呉の孫権はその首を魏の曹操に送ります。曹操はその武勇を惜しんで、この地に手厚く葬ったそうです。境内は広く、関廟の後ろにこんもりとした円墳がありました。 関林からまた路線バスに乗り、龍門石窟へ向かいました。龍門石窟は市街から南へ13kmほど下った、伊河のほとりにありました。入場料は120元でしたが、外国人の老人割引は無いと断られました。石窟は南北に流れる伊河の西岸と東岸に彫られており、入口の近くと、石窟の奥に橋がかかっているので、ちょうど長方形の観光路を河に沿って一周するように観覧します。石窟は北魏から唐にかけて彫られ、2000窟以上あり、世界文化遺産に登録されています。ここの石窟は小さなものが多く、また、仏様の顔が削られているものも多かったのが残念でした。ただ、17メートルの大きさを持つ盧舎那大仏は圧巻でした。岸壁に彫られた磨崖仏で、盧舎那仏を中心に脇に二弟子、二菩薩、二天王、二力士と八体の石像が彫られています。他の仏像と違い、盧舎那仏の顔はとても端正で、写実的でした。俗に唐の則天武后の顔をモデルとしたといわれています。テラスのような拝観台に立ってながめていると、大きな岩肌のどっしりとした存在感に圧倒されました。 中国ではこの龍門石窟、山西省にある雲崗石窟、甘粛省の莫高石窟を三大石窟と呼んでいます。これで三大石窟を全て見ることができました。仏像の大きさでは雲崗窟、大仏の魅力では龍門窟、石窟内の装飾や壁画では莫高窟とそれぞれ特徴がありました。石でできた仏様は安定感があり、ゆったりした鑿使いから岩肌の暖かさが伝わるようで、木や金属の仏様とは違った趣があります。 少林寺を観る 中国ではテレビや映画で少林寺がとても有名です。5世紀に建立された禅寺ですが、修行に拳法を取り入れたことから中国拳法の聖地とされています。少林寺は洛陽と鄭州の中間、嵩山(すうざん)の麓にあるため、洛陽から少林寺を見学し、そこから鄭州へ戻ることにしました。洛陽から長距離バスで少林寺へ向かいました。これまで鄭州や安陽、洛陽の周辺では山が見られず、平らな平原が続いていましたが、20kmほど南へくだると緑の山塊が見えてきました。洛陽からおよそ2時間、料金は19元で少林寺へ着きました。少林寺の入口には大きな修行僧のモニュメントが建ち、観光センター、駐車場、土産物屋が軒を並べていました。入場料は100元、老人割引で半額でした。中へ入ると、山麓に沿って遊覧道路が整備され、途中には武術の練習場、武術館などがあります。武術館では少林拳法のデモンストレーションが行われていました。寺院や僧坊はさらに奥にありました。その中で唐代以降の高僧たちの墓塔が建ち並ぶ少林寺塔林が印象的でした。少林寺の一番奥には嵩山へ登るロープウェイがありましたが、乗らずに引き返しました。園内は遊歩道やトイレなどきれいに整備されていましたが、少し観光化され過ぎているのではないか思いました。 少林寺を出ると、門前に登封市へ行くバスが頻繁に出ており、30分ほどで登封へ着きました。登封は山間の街としてはなかなか大きな街でした。ここには大学と見まごう程のりっぱな武術学校がいくつもありました。少林拳法に憧れる青少年たちが中国全土から集まってくるのでしょう。登封で鄭州行きのバスに乗り換え、鄭州へ戻りました。 開封に遊ぶ また朝食をそこそこに済ませて、早めに鄭州駅へ行きました。開封は鄭州の東約70kmにあります。今回は長距離バスで行くことにしました。しかし、頻繁にバスがあると思いましたが、1時間に1本程度でした。バスは9時半に出発し、鄭州の郊外へ出るまで1時間かかり、開封まで2時間もかかりました。バス代は18元でしたが、どうもバスを使うと渋滞の激しい鄭州の出入りに時間がかかり、非効率です。 開封は春秋時代には鄭の都でしたが、隋の時代に大運河が開通すると物資の大集積地として栄え、北宋では東京開封府として繁栄しました。11世紀から12世紀にかけて開封は世界最大級の都市だったようです。しかし、現在の開封市は人口80万人のこじんまりとした地方都市で、高層ビルもあまり見られません。 さっそく地図を買って、街の北外れにある鉄塔公園へ行きました。1路の路線バスに乗りましたが、このバスは駅から開封の主な観光スポットを通って公園に行きます。鉄塔とは北宋時代に赤レンガで造られた13層の仏塔ですが、黒く鉄製のように見えるので鉄塔といわれており、開封の繁栄を象徴する建物だったそうです。鉄塔の後は、1路のバスを逆に乗って、主なスポットで降りることにしました。最初に降りたのは天波楊府でした。天波楊府は「楊家将演義」で有名な北宋時代の武将楊業の邸宅跡に造られたテーマパークでした。楊家一族は武勇に優れ、北方の遼と死闘を繰り返しました。観光シーズンには騎馬のアトラクションがあるそうです。邸の南側には楊家湖という大きな池がありました。またバスに乗り、この湖にそって南へ向かい、龍亭公園の入口でおりると、宗都御街という北宗時代の街並みを再現した商店街がありました。黒い瓦と朱塗りの柱で造られた3階建ての土産物屋とレストランが並んでいました。その通りを歩き、またバスに乗りました。今度は包公祇へ向かいました。包公祇は包公湖という大きな池の畔にありました。包公とは北宗時代の行政官で、清廉潔白で有名だった包拯(ほうじょう)のことで、日本で言えば大岡政談のような逸話がたくさんあり、しばしばテレビドラマにもなるので、中国では誰でも知っているそうです。 包公湖の対岸に博物館がありました。街とおなじように小さな博物館でした。ここで北宗時代の繁栄を描いた有名な「清明上河図」を見ました。張択瑞の絵は北京の故宮博物院にあるそうですが、以降このテーマをたくさんの画家が描いているので、本物かどうか分かりませんでした。博物館からさらに湖畔を西に歩くと開封府というテーマパークがあり、北宋時代の政庁が再現されていました。ここもシーズンにはアトラクションがいろいろあると聞きましたが、観光客も少ないオフでは何もありませんでした。 私は開封が鄭州に次ぐ大都市だと思っていましたが、現在の開封は小さな街でしたので、効率よく観光地を見て回ることができました。他にも龍亭、岳飛廟、延慶観といった名所がまだまだあるようです。明代の城壁に囲まれ、街の中心には楊家湖、包公湖といた池があり、まるで街全体がテーマパークのような所でした。帰りは開封駅へ戻り、そこから在来線で鄭州へ帰りました。列車は急行で、1時間で戻れました。切符は硬座の指定席で、なんと6元でした。 鄭州を後に いよいよ最終日となりました。上海への飛行機は午後のため、午前中は鄭州博物院へ出かけました。鄭州博物院もピラミッド型をした大きな博物館でした。殷、春秋戦国、漢、唐、宗、明、清と各時代の陳列物が豊富にあり、感心しました。洛陽博物館といい、河南省の博物館は中原の地にあるためか、歴史の厚みを感じます。中国ではどこの省でも大きくりっぱな博物館を建てており、入場も全て無料です。予算に厳しい日本の博物館と比べるとなんとも羨ましいかぎりです。 最近、中国の観光地は入場料や観覧料が高くなりました。100元を超える施設が少なくありません。割引制度があり、学生と60歳から70歳までの高齢者は半額、70歳を超える高齢者は全て無料です。ただ、基準が施設によってまちまちで、外国人や省外の住民には適用しない施設もあります。洛陽の関林、龍門石窟は割引されませんでした。開封のようにたくさんの観光施設があるところでは入場料も馬鹿になりません。割引制度があることはありがたいことです。日本の諸施設でもこうした割引制度を増やして欲しいものです。 蘭州を出てから1週間、鄭州、安陽、洛陽、開封とあちこち見て歩きました。安陽以外は、市街の北を西から東へ黄河が流れ、昔から何回も洪水に見舞われたようです。そのため各時代の遺跡は古い順に層をなして埋もれているそうです。南方にあった嵩山を除いては、平坦な平野が続き、蘭州に比べはるかに緑豊かな田園地帯が広がっていました。改めて、中華文明が発祥した豊饒の地なのだと思いました。 ただ、今回残念だったのは、1週間全て霧に包まれ、快晴の日が1日もありませんでした。河南省のあちこちに出かけても同じでしたので、河南省全体が霧に包まれていたのではないでしょうか。また、日射しがないため気温も低く、とても寒く感じました。これまで蘭州の田舎にいたせいか、あまり霧に悩まされることがありませんでしたが、河南省へ来て、改めてその深刻さが分かりました。また、鄭州から上海に飛んだ飛行機からは上海上空も黄色いカーテンに覆われていることがはっきりうかがえました。北京に限らず、霧は中国全土に及んでいるようです。経済発展も結構ですが、早急に大気汚染の問題に取り組まないと、事態はさらに深刻になるのではと心配になります。
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