寒さに震えた4月 今年の4月は冷え込みました。4月の中頃には曇天が続き、気温も上がりません。乾燥気候の割には雨が多く、何と3日間も雨が続いた時もありました。おまけに24日の夜には雪が降り、2,3pも積もりました。幸い雪は日が照るとあっという間に解けてしまいました。晴れれば日中は20℃を超えますが、朝晩はぐっと冷え込みます。寒暖の差が激しく、15℃以上の開きがあります。また、宿舎は厚いレンガ造りですので、なかなか温まりません。暖房は3月の下旬に止まったため、朝晩寒さに震えました。そろそろ暖かくなって欲しいものです。 4月は花の季節です。キャンパスでは次々と花が咲きました。例年に比べて開花は1,2週間遅れていますが、順々に咲いていきます。3月の下旬から4月にかけて、迎春花、杏、連翹が咲きました。杏は楡中の農村にもたくさん植えられており、桜に似たピンクの花を咲かせました。杏が散ると、桃が咲き、それから、ライラックと梨やリンゴが咲き始めました。キャンパスにある桃は樹木に咲く桃では無く、こんもりとした灌木に濃いピンクの花を咲かせます。ライラックは紫と白い花があり、近寄ると濃厚な香りが漂います。ライラックの中国名は紫丁香、白丁香ですので、香りが愛されているのでしょう。梨の花は貴婦人と言われるほどで、雄しべや雌しべも草色や薄い黄色ですので、白い気品が漂います。楡中の農村でも杏とともにたくさん植えられており、ピンクの杏が散ると、今度は真白な梨が咲き誇ります。リンゴも同じ時期に白い花を咲かせます。梨に比べるとやや花弁が大きく、蕾や花びらにピンクが混じるのでそれと分かります。ただ、梨に比べると本数も少なく、梨畑の中に何本か見られる程度です。また同じころにスモモも咲きました。始めは桜かと思いましたが、花びらの形が違うので、スモモと分かりました。 ライラックは開花の期間が比較的長めですが、梨はパッと咲いて1週間程度で散り始めます。カメラを手にキャンパスや付近の農村を歩きまわりましたが、7,8分の開花で2,3日先を楽しみにしていると、雨が降ってシャッターチャンスを失います。花の写真を撮るのもなかなかたいへんです。4月の下旬から、中国種の黄色いバラ(メイグイ)が咲き始め、5月に入って牡丹も咲きだしました。これから槐(ハリエンジュ)やナナカマド(チンシバイ)が咲きだすことでしょう。3月から5月にかけてキャンパスは花の季節です。 黄河第一古鎮青城 今年の清明節は4月5日(土)でした。そのため5日から7日まで3連休になりました。キャンパスのある楡中県の観光地の中で、興隆山と青城が有名です。興隆山はキャンパスからも近いのでよくハイキングに行きました。青城はこれまで行きたいと思っていたのですが、100km以上遠方で、キャンパスからでは交通の便もよくないので、行かれませんでした。偶然、連休の前に3年生の男子学生と食事をする機会がありました。キャンパスの校門前の広場では、蘭州へ行くお客を当て込んでたくさんの白タクが停まっています。この白タクを使おうと思い付き、学生に交渉させたところ、1日貸し切りで300元とのことでした。思ったより安かったので、これで青城へ行くことにしました。メンバーはこの学生ともう一人の日本人先生の3人で出掛けました。 青城は蘭州から北東へ100km、また、黄河を50kmくだった所にあります。行きは高速を通って、大きく迂回して行くことにしました。運転手によれば2時間ほどだそうです。8時半にキャンパスを出発、蘭州を経由して、白銀市のインターまでは順調でしたが、インターを降りてから運転手はひたすら北へ走ります。青城は白銀からは東南の方向ですので、何回も方向が違うと注意しましたが、運転手は大丈夫だとそのまま北へ走り続けます。1時間半ほど走ってようやく運転手も気が付いて、戻ることになりました。運転手は青城へ行ったことがあると言っていましたが、勝手が違うようで、道々付近の住民にたずねながら、ようやく1時過ぎに青城へ着きました。何と5時間近くかかりました。 青城は唐から明にかけて軍事要塞が置かれ、シルクロードや黄河を下る船舶の交通の要路として栄えた古い郷鎮だそうです。現在では数百戸ほどの古い農村ですが、これまで何人もの翰林や進士を出しており、彼らの面影を伝える、青城書院、青城隍廟、羅家大院、高氏祠堂などの古い建物が残されていました。村の北側を黄河が流れるため、蘭州の農村にしては地味が豊かで、緑が多いように思えました。2時間足らずで、青城の主だったところを見て回ることができました。もっとゆっくりしたかったのですが、既に3時を過ぎており、運転手もそわそわしだしたので、楡中キャンパスへ戻ることにしました。 帰りは道路標識が出ていたので、高速を通らずに県道を通って近道をすることにしました。道は黄土高原の丘陵地帯を走り抜けます。しばらくは黄河が見え隠れしていましたが、高原の稜線に出ると見えなくなりました。道の両側には何層にも渡って黄土高原が続きます。道路脇の斜面のほとんどが開墾されて段々畑になっているのに驚きました。ちょうど種まきの時期で、よく耕されたあちこちの畑では農民たちが麦や野菜の種を蒔いていました。それにしてもこんな高原の斜面へどうやって水を引くのか不思議です。高原の稜線をたっぷり3時間走ってキャンパスへ戻りました。大学を囲む黄土高原の丘陵が延々と続いていることに改めて驚きました。道に迷ったおかげでほとんど1日中車に乗っていたようなものですが、運転手は追加料金を請求せず、300元で済み、安上がりなドライブでした。 蘭州市水道水汚染騒動 日本でも新聞などで報道されたので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、11日蘭州で水道水の汚染騒動が起きました。蘭州市安寧区の水道から、基準値の20倍に及ぶ発がん性物質のベンゼンが検出され、水道水が使えなくなりました。原因は近くの化学工場の配管からの漏えいだったようです。 11日はちょうど1年生たちと夕食会をしていました。夕食会の終わりごろ、急に学生たちがそわそわして、席を外すものが増え始めました。中国人の先生の説明では、蘭州の水道水が汚染され、断水するので、学生たちはペットボトルの水を買いに行っているのだということでした。スーパーや商店の水がそのうち売り切れるので、先生も買いに行った方がよいと勧められました。それであわてて隣りの席の学生と水を買いに行きました。確かに、店のペットボトルは売り切れ寸前でしたが、幸い、4,5本買って、パーティーへ戻りました。パーティーから帰って、インターネットで調べてみると、水道水汚染のニュースが載っていました。テレビでも何回かこのニュースが放映されているようで、安寧区のスーパーで水を求めて行列するようすが映っていました。何でもスーパーの水の値段が数倍に膨れ上がったそうです。 ニュースを見て分かりましたが、安寧区は蘭州市の黄河を越した北西部にあり、楡中とは正反対の方向で、60km以上離れています。おそらく楡中の水道とは無関係だと思いました。翌日、大学は、蘭州市にある本部キャンパスでは、顔や手を洗うことも含めて水の使用を禁じ、飲料水を配ったようです。楡中キャンパスでも学校から飲まないようにと警告があり、学生たちへは飲料水の配布がありました。事情が分かったので、私はいつものように水道水を煮沸して飲み始めました。蘭州市からは3日後に安全宣言が出されました。 今回、学生たちは市の情報や大学の指示で動くというより、スマホや携帯のミニブログで連絡し合い、水を求めに走ったようです。安寧区の住民も同じでしょう。学生や市民たちはあまり政府の公式情報をあてにしません。それは、発表が遅いことと、情報の内容が当たり障りのないことが多いからでしょう。それより、政府関係者の裏情報などがあっという間にブログで流れます。当然、真偽のほどは分かりませんが、この情報の方があてになるようです。ですから、水が飲めなくなるから今のうちに飲料水を買った方がよいという情報が独り歩きをして、何十キロも離れた楡中でも学生たちは大騒ぎで水を求めました。時々、中国では買占めや買い溜め騒動が起こりますが、実際に体験してみて、その心境がよく分かりました。 日本語教師10周年の記念講演 25日に「中国で日本語を教えて−日本語教師生活10年」と銘打って、公開講演を行いました。もともと中国で教えて10年が過ぎたのを機に日本語科の学生たちにその経験を話してみたいと思いっていましたが、大学側がせっかくだから公開講演にしたらという勧めもあり、他学部も対象に加えました。準備は日本語科の3年生たちと行いました。講演のPPTを中国語に訳してもらい、日本語と中国語の両方を用意し、ポスターを作り、アンケート用紙の手配、そして、当日の司会や通訳と分担を決めました。 当日は、100人の大教室で行いましたが、宣伝が効いたせいか、立見がでるほどぎっしりと埋まりました。話しの内容は、なぜ中国で日本語を教えるようになったのか、これまでどこで何を教えてきたのか、中国の大学や大学生の印象は、日本語について、中国人と日本人、長続きの秘訣、そして、最後に学生たちへ望むことを話して終わりました。最近の学生たちはそこそこの成果ですぐ勉強をやめてしまうので、目標を高く持って欲しいと訴えました。やさしい日本語でゆっくり話しましたので、日本語科の学生はよく分かったようです。他学部の学生にはどうだったのでしょうか。通訳は3年生が分担しましたが、講演での通訳は初めてのためよい経験になったようです。講演後の質疑応答では他学部の学生から積極的な質問がありました。中国で一番感動したことは、日本語の学び方、日本の小説を読むにはといった内容でしたが、一つだけ、安倍首相についてどう思うかという質問がありました。私は、安倍さんが首相に就任して以来、比較的経済が順調なので、その点は評価し期待するが、ただ、その他の余計なことをやり過ぎると答えました。これで納得できたのでしょうか。 講演後アンケートを集計すると、回収が110枚、日本語科53名、それ以外が57名で、満足度96%、理解度87%でした。他学部の学生が日本語科の学生を上回ったのは意外でした。質疑などから、学生たちは日本のことをもっと知りたがっていると感じました。次回はぜひ日本について話してみたいと思います。
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