蘭州近況その23 (2013年5月)


アカシアの雨がやんで

 今年は2月、3月が暖かかったせいか、宿舎の前の黄色いバラが4月の半ばに咲き始めました。昨年は4月の末から5月でしたので、半月ほど早く始まりました。4月の半ばから5月の始め頃まで、キャンパスは中国産の黄色いバラと牡丹が鮮やかに咲き誇りました。黄バラはキャンパスのあちこちで、枝いっぱいに黄色い花を咲かせ、牡丹は将軍院と図書館の後ろの牡丹園で、白、ピンク、そして、ピンクがかった赤い大輪の花を咲かせました。

 5月の中頃、蘭州では珍しく、冷たい雨が続きました。楡中は高原ですので、夜中は冷え込み、宿舎の中で震えました。ちょうどそのころ、キャンパスでは槐の花が盛りになりました。キャンパスの槐は、刺槐、国槐、香花槐と三種類あります。このうち5月に咲くのは刺槐と香花槐で、国槐は8月ごろ小さな花を咲かせます。刺槐は日本名でハリエンジュ、または、ニセアカシアといい、白い房状の花をたわわに咲かせます。香花槐は日本名では花槐(ハナエンジュ)というようで、鮮やかな紫色の、ハリエンジュより大きめな花を咲かせます。ハリエンジュの白い花は食用になり、農村から来た学生はよく食べるといいます。粥に入れたり、和え物にするようです。きっとしつこく尋ねたせいかもしれませんが、学生の一人が和え物にして持って来てくれました。食べてみると、味は淡白で、ほのかに花の香りが漂い、乙な味でした。日本でも一部の地域では食べるといいます。

 1960年代に西田佐知子が「アカシアの雨がやむとき」という歌を歌い、大ヒットとなりました。このアカシアはニセアカシア、ハリエンジュだそうです。アカシアの雨とは白い花びらのことなのか、花が咲くころに降る雨なのか、定かではありませんが、西田のスローテンポのやや気だるい低音が耳に残ります。キャンパスの雨も一週間程続き、ようやくこの数日前にやみました。花の季節ももう終わりです。これからは新緑がまぶしい夏日が続くことと思われます。

 

中国の夢、学生の夢

 習近平主席が就任演説の時、「中国の夢」を高らかに謳いました。以来、キャンパスの党の掲示板や学生たちの立て看板に必ず、「中国の夢」と書かれるようになりました。前任者の「和諧社会」から国家のキャッチフレーズが「中国の夢」へ代わりました。だからというわけではありませんが、1年生の作文の時間に「私の夢」をテーマにして作文を書かせてみました。1年生は二クラスで40人、そのうち女子学生が約8割います。年代的には1994年生まれが多く、族に「90後」と呼ばれる世代になります。「90後」世代は、最初の一人っ子世代「80後」の後継世代で、その特徴は利己的で忍耐力が無く、人付き合いが苦手で、インターネットに依存すると言われています。

 さて、夢で最も多かったのが、世界一周旅行をしたいというものでした。お金を貯めて、家族で、日本やアメリカ、ヨーロッパを巡ってみたいと書きます。留学を含めると、およそ半数以上が海外へ行きたいと書いてきました。中国社会でも、もはや海外へ行くことはさほど特殊なことではなくなったことを感じます。将来何になるのかでは、教師になりたいが約10名でした。そのうち何人かは、夏休み冬休みがあって仕事も楽だからと理由を書いています。現代の中国では大学の教師が人気です。世間体がよく、収入もまあまあで、休暇が長く、若い学生たちと触れ合えるからでしょう。そのためか、大学での採用条件は厳しくなり、修士が普通であり、蘭州大学では博士を前提に採用を行っています。その次は会社員でした。これも約10名で教師と同数でしたが、そのイメージは会社でバリバリ仕事をして出世をするというより、給料の高い会社で、それなりに働き、残業はせず、休日や休暇には旅行に出かけるといったものでした。その他は、通訳が3名、メディアが3名、アニメ関連と弁護士、会社経営が各2名、その他、作家、公務員、軍人等が各1名となりました。

 総じて言えば、学生たちの夢は、国家のため、あるいは、社会のためにつくしたいというより、比較的収入の高い職業について、ほどほどに働き、ゆったりとした生活を送りたいということになります。蘭州大学は甘粛省のトップ校であり、学生たちは厳しい受験戦争の勝利者なのですが、エリートやリーダーとして社会を導こうという意識はあまりありません。どうなのでしょうか。私は現代の日本の大学で教えた経験はありませんが、日本の大学の学生たちにも夢を問いかけてみると、同じような結果になるのではないでしょうか。

 

草原の文化摩擦

 甘粛省に住んですばらしいことの一つは近くに大草原がたくさんあることです。甘粛省南部の甘南草原、四川省北部の若尓盖(ノルゲ)草原、また、甘粛省の西にある青海省には祁連山草原や青海湖の周りなど、3000mの高地のあちこちに大平原が広がっています。延々と続く草原をバスで何時間も走ると、周囲には羊やヤク、馬などがのんびりと牧草を食み、そのゆったりとした雄大な景色になんとも言えず、心が洗われます。こうした高原の多くはチベット族の居住区で、その大半が牧畜業で暮しています。

 ところが、何回となく草原を巡るうちにおかしなことに気づきました。どこまでも続く大草原が有刺鉄線を付けた柵で囲われているのです。柵は草原に沿って延々と延びていますが、所々で境界を作り、草原は区画で仕切られていることが分かりました。こんな広大な所でなぜ柵があるのか、いぶかしく思いましたが、そのうちその理由がなんとなく分かってきました。

 現在、中国政府は高原に居住するチベット族に対して、定住化政策を展開しています。昔から、この地域のチベット族の人々は遊牧生活を営み、広い草原を家畜と共に移動してきたようです。中国政府は、一つは、こうした生活を続ける限り貧困から抜け出せず、また、十分な教育や医療が受けられないことから、また一つは、こうした遊牧が過放牧となり、草原を荒らし砂漠化をもたらすことから、遊牧民に対して定住化を促しているようです。定住化は、代替地を提供し農業に従事させたり、あるいは、街へ強制移住させて工場労働をさせたりといろいろな方法が採られます。政府は、定住に際して補助金を支給し、住宅を整備し、職業を斡旋するなど、莫大な資金を投入しています。

 しかし、この定住化政策はなかなかうまくいっていないようです。遊牧民の人々は農業に不慣れで、また、高地のため土壌が農地に適さない、さらに、工場でも中国語ができず、漢族のようにはうまく働けません。その結果、定住化した住民は以前より収入が低下し、一部は冬虫夏草など、高原の薬草採取でかろうじて生計を支えているようです。

大草原の区画は定住化の一つの形なのでしょう。遊牧は止めさせ、固定地での牧畜を推奨していることと思われます。ただ、長い間牧草を求めて渡り歩いてきた人々に、固定された場所でうまく牧畜ができるのでしょうか。遊牧による生活文化を定住生活に馴染ませることは並大抵のことではないのでしょう。この23年、チベットをめぐって紛争が絶えません。その原因の一つにこうした要因もあるのではないでしょうか。

もう5月も終わりに近づきました。今年は好例の中華全国スピーチコンテストが開催されませんでした。事情は分かりませんが、指導に煩わされることがなく、卒論の指導に専念できました。学生たちの中には残念に思っている者もいることでしょう。そして、12日には卒業論文の答弁も無事に終わりました。今年は選別した学生ではなく、学生全員に答弁をさせました。そのため、答弁は二つのグループに分けて行いました。キャンパスはそろそろ夏日に入ります。3月から楽しませてくれた花々も終わり、みずみずしい緑の季節です。6月に入ると、早いもので期末の準備で忙しくなります。