蘭州近況その18 (2012年10月)


晩秋の楡中

 この秋は暖かい日が続きます。例年では、そろそろ雪が降ったり、寒風に身を切られるような思いをするのですが、幸い、良く晴れた日中はポカポカと暖かく、穏やかな日が続きます。キャンパスの木々は色づいた葉を落とし始めていますが、まだ丸坊主になるほどには至らず、晩秋の面影を残しています。それでも、今月の下旬辺りから、最低気温は零下にまで下がり始めました。これから次第に冷え込むことでしょう。

今期は、幸運なことにスチーム暖房が例年より12週間早く始まり、部屋の中で震えることがなくなりました。晴れた日の教室では窓から日がいっぱいに差し込み、暖房がきいて、少し汗ばむほどになります。それで、授業を始める前に少し窓を開け、温度を調整するほどです。

 

祁連(きれん)山脈を目指して

 10月の国慶節の連休に思いきって旅行に出かけました。寒くならない内に青海省へ行ってみようと思い、格尓木(ゴルムド)か祁連県へ行こうと思いました。交通の便を調べると、格尓木は遠いので、祁連県の方が良さそうです。大学へ旅行申請を出すと、時期が時期だけに一人で行くのかと心配されましたが、十分気をつけるようにという条件付きで許されました。

 祁連県は青海湖の北側一帯にある海北チベット族自治州にあります。一昨年の夏、河西回廊を巡った時、南側に雪を頂いた祁連山脈が延々と続いているのを見ながら旅をしましたが、いつかあの祁連山脈の近くまで行ってみたいと思っていました。祁連県は河西回廊から見ると、張掖市の南側の山脈を越えた麓にあります。蘭州から敦煌まで延びる祁連山脈のちょうど中ほどからやや西側に位置するのではないでしょうか。ルートは楡中から青海省の西寧へ行き、そこから長距離バスで祁連県へ向かうことにしました。インターネットの中国の旅行サイトでホテルを探すと、西寧、祁連県ともに適度なホテルが見つかり、予約ができました。

 連休の混雑のほとぼりが少し冷めた2日に楡中を出て、蘭州へ行き、そこからバスで西寧へ向かいました。西寧では少し余裕をとって、その日は青海省博物館等、西寧市を散策し、翌朝915分のバスで祁連県へ向かいました。祁連県は西寧から北西へ288kmの所にあり、バス代は56.3元(7800円)でした。バスは西寧市の大通県を抜けると、そこから山間に入りました。辺りの山々は樹木で覆われ、紅葉で黄金色に輝いています。大通県の外れに大きな黒泉ダムがあり、その脇をバスは上り、ダム湖の黒泉湖を眺めながら、さらに達坂山峠を目指します。だいぶ上ったせいか、達坂山の付近では樹木は無くなり、岩山や草原が続きます。峠の標識には高度3792mとありました。峠を越えて少し進むと、眼下に大平原が展開し、遥か北方に祁連山脈が見え始めました。大平原の真ん中に集落が微かに見えます。バスはその集落、門源回族自治県の青石嘴鎮へ向かいました。小休止の後、バスはまた平原の中を進みます。辺りは羊やヤク、馬などが放牧されている広大な牧草地です。北側には雪を被った祁連山脈が迫ってきました。草原を1時間ほど走ると、再び峠を登り始めました。峠の名前は分かりませんが、高度は3726mとありました。峠を越えると同じように大平原が広がります。今度は北側と南側に祁連山脈が迫り、その間を雄大な草原が続きます。祁連山草原といい、中国で最も美しい6大草原の一つだそうです。両側の山脈のうち、北側の方が高度がありそうで、厳しい岩肌をして、山頂に雪を被った山々が続きます。南側の山脈はややなだらかで、雪を被った山々もあまり多くありません。バスは峨堡という集落や阿柔大寺というチベット寺院などを通り、2時間ほどで草原を抜けて、祁連県へ着きました。バス路線では県政府のある八宝鎮を祁連県と呼んでいるようです。西寧を9時過ぎに出て15時過ぎに着きました。6時間の行程でしたが、広々とした大草原の景観には得も言われぬものがありました。これで56.3元なのですから、なんとも安い路線バスです。

 

非開放区(未開放地区)を歩く

八宝鎮は小さな町でした。北と南に続く祁連山脈に挟まれた町で、東西に細長く、高度は2800m以上あるようです。観光地のせいか、町の規模の割には県政府がりっぱで、また、小さなホテルや旅館の多い町でした。さっそく、予約した祁連大酒店という町一番のホテルへ向かいました。フロントでチェックインしようとすると、従業員が私のパスポート持って管理者とあれこれ相談しています。始めは、予約したインターネットサイトがホテルになじみのないものだったせいでしたが、次第に、こちらが外国人で、しかも旅行許可書がないことが問題になりました。同じようなことが、以前劉家峡へ行った時に永靖県のホテルであったことを思い出しました。(近況その8)あの時は、すぐに公安(警察)で旅行証明をもらったので、公安へ連絡したらどうかとフロントへ勧めました。しばらくすると、2人の警官がやってきたので、ホテルのロビーで筆談を交えて話しました。こちらは懸命に、蘭州大学の教師であり、2日間祁連山観光をしたいと訴えましたが、どうも思わしくありません。何やら2人で相談した結果、もうバスも無いので、今晩一晩ここに泊まり、明日、バスで西寧へ帰りなさいという結論になりました。祁連県は軍事施設があるので、許可書がないと外国人は滞在できないとのことです。中国人の観光客は簡単にチェックインできるのに、何で外国人がダメなのか釈然としませんでしたが、仕方なく言われたとおり一泊して帰ることにしました。夕食は町へ出て、レストランを探しましたが、小さな町でろくなレストランもありませんでした。途中でみぞれがふってきたので、チベット料理ではなく、普通の中華レストランで食事を済ませました。

翌朝、朝食を済ませてからチェックアウトして、ホテルを出ました。バスで帰る前に、町の周りで写真を撮ることにしました。祁連県の八宝鎮は祁連山脈の山間にあり、特に、南側の祁連山脈の名峰、牛心山のなだらかな麓にできた町でした。町の南側を少し歩くとなだらかな斜面に野菜畑が広がります。その先に雪を被った4667mの牛心山がそびえていました。牛心山はチベット語ではアミドンソウ山と言い、山々の神、鎮山の山という意味だそうです。山脈から少し外れているので、孤峰としてなだらかな稜線を延ばし、説明書にも富士山に匹敵する美しさと書かれていました。山頂は雪ですが、まだ中腹や山麓には雪が無く、このまま畑を越えて登り続ければ山頂まで登れるのではないかと思えるほどでした。山腹の畑から、反対側を振り返ると、今度はやや遠方に北側の山脈がそびえています。こちらは牛心山より遥かに高く、ごつごつとした険しい岩肌を見せた山々が壁のようにそそり立っていました。あの山々の向う側が甘粛省の酒泉、張掖なのでしょう。小さな町をあちこち歩き、山の写真をたくさんとってから、バスターミナルへ向かいました。山の観光が出来なかったのは残念でしたが、また来た時と同じように祁連山草原の景観を楽しみながら西寧へ戻りました。

ところで、帰りに祁連県のバスターミナルの近くの売店で、お土産に酥油を1キロ30元で買いました。売店の店先に黄色い大きな塊がたくさん置かれていました。酥油が何だか分からず、チーズだと思って買いましたが、宿舎へ戻ってから食べてみるとバターでした。チベット族の人々が栄養補給のためバター茶を飲むと聞いたことがありますが、これがそのバターでした。味は結構あっさりしており、日本で食べるバターとあまり変わりません。外国製品の店は別として、中国では大きなスーパーでもバターを売っていません。これが、私が中国へ来て初めて買ったバターになります。今では、脂肪過多を気にしつつ、朝食のたびに、バターをパンにぬって味わっています。

旅行を終えてから、旅行社の人にたずねたり、インターネットで調べてみると、驚いたことに現代の中国では、まだたくさんの外国人への未開放地区があるようです。有名な所では、数年前の旅順がそうだったようです。これらの地区は外国人に開放されておらず、行くには公安庁が発行する非開放区通行証がいるようです。青海省や甘粛省ではこうした未開放地区がまだ何カ所かあるようですが、どうもどこが未開放なのかはっきりと公開されておらず、詳細は所轄の公安へたずねる他はなさそうです。しかし、うかつにこうした地区に入り込むと、拘留されたり、下手をすれば国外退去になるそうです。思えば、20109月に船長の逮捕でもめた尖閣問題の時、中国では河北省でフジタの社員4名が軍事施設で写真を撮ったと逮捕されましたが、今回の私の行為は運が悪ければ同じ結果となり、今頃は新聞を賑わせていたかもしれません。祁連県は中国の人にとっては何でもない観光地であり、連休のせいか多くの人で賑わっていました。また、私もホテルの予約やバスの切符を買う時は何の問題もありませんでしたが、行ってみて初めて未開放地区だと分かりました。改めて自分が中国にいることを思い知らされました。いつも一人でふらふら出かけますがもう少し慎重にした方がよさそうです。

いよいよ11月に入ります。8日には第18回共産党大会が開かれ、新たな指導者が選ばれます。どうもトップリーダーの共産党政治局常務委員が9人から7人へ減るようですが、誰が入って、誰が落ちるのか、ネットでは中国ウォッチャーの観測がかしましいです。日本の政治も予断を許しませんが、いずれにせよ、良い方へ向かって欲しいものです。