尖閣諸島で揺れる 9月18日をピークに、中国では尖閣諸島(釣魚島)を巡って、反日の嵐が吹き荒れました。現在でもまだくすぶっており、完全に終息したとは言えないようです。8月の末に赴任して、朝テレビをつけるとCCTVではトップニュースで反日キャンペーン番組を放送していました。そして、この放送が毎日続きました。おそらく、8月に香港の活動家が魚釣島へ上陸し、送還させられたあたりから続けられているのではないでしょう。あまり毎日、しかも「購島、茶番劇!」といった強烈な反日放送が続くので、何だか、テレビが煽っているような危惧を覚えました。案の定、日本が尖閣諸島を国有化した11日あたりから、各地でデモが盛んになり、それが15,16日のウィークエンドで暴徒化し、大騒ぎになりました。 確か、2005年にも中国で反日デモの嵐が吹き荒れ、日本製品の不買運動が全土へ広がりを見せましたが、その時以来の大掛かりな反日運動ではないでしょうか。しかし、2005年の時は現在とは逆に、当時の李肇星外相が共産党の幹部を人民大会堂にあつめ、不買運動の愚を諄々と諭し、同時にそれがテレビで全国へ中継されました。それに対して今回は、未だに外交部が事態の悪化を招いた原因は日本側に責任があるとテレビで繰り返しており、あまり鎮静化に積極的な様子は見られません。それでも、18日を過ぎたあたりから、CCTVの反日トーンが少し変わり、どちらかといえば淡々とニュースを伝える調子となりました。しかし、まだ不買運動や、税関の「順法闘争」、各種の催しのキャンセルが続いているようで、さらに、問題の海域では中国の監視船や漁船の領海への侵入が繰り返され、しばらくは治まらないのではないでしょうか。 一部の日本の新聞では、今回のデモについて相変わらず「愛国無罪」に名を借りた政治や社会への不満の現れと分析していましたが、私には、「大衆動員を利用した権力奪還闘争」(日経ビジネス)と映りました。現在、共産党指導者達は近々開催予定の第18回共産党大会へ向けて激しい鍔迫り合いを行っているようです。一部の指導者達が自派に有利に展開させるため一連のキャンペーンや動員を主導したのではないかと思えます。別に確たる証拠がある訳ではありませんが、CCTVの執拗で詳細なキャンペーン放送、8月中ごろから始まり次第に全国へ広がっていったデモの拡散状況などを見ると、何となくそんなふうに感じられました。指導者達の中に、権力掌握への手段として大衆動員への根強い拘りがあるようです。 ところで、豊かになった中国でデモの参加者はどんな人達なのでしょうか。デモが官制デモならば、核となるのは共産党関連の諸団体で、それに呼び掛けで集まった保守系左派の一般市民や学生達が加わって構成されるようです。そして、その中で、立退きやストなどで活躍する行動隊を筆頭に、若い農民工(農村からの出稼ぎ労働者やその定住者)や三流や四流の大学や職業学校の学生達が、何かの拍子で火が付くと破壊や略奪へと走ってしまうのではないでしょうか。 街の中や大学で 13日や14日あたりに、反日機運が広がるのを心配して、大学の外事所や外国語学院から、あまり出歩かないようにと自粛要請がきました。15日に会食で蘭州へ出て一泊し、翌日は久しぶりに蘭州へ出たので、西のはずれにある湿地公園へ遊覧に出かけました。街の中は平穏で、唯一蘭州西駅の交差点で「日本人立ち入り禁止」のプラカードを見ただけでした。残念なことに湿地公園は8月に黄河の水があふれたために閉園しており、近くの甘粛農業大学を散策して戻りましが、少し遠方のためバスを乗り継ぎました。日曜日のせいか、バスはどれも混雑していましたが、乗り継ぐたびに座席を譲られました。日本人とは気付かれなかったためかもしれませんが、普段と変わらず高齢者には親切です。気をよくして楡中へ戻りましたが、後で聞くと、小規模なデモが土曜、日曜と続けてあったようです。偶然市街にいましたが、何も気が付きませんでした。 1年生が軍事訓練のため、17、18日は授業が無く、キャンパスを散歩したり、インターネットで9・18関連の報道を見たりして過ごしました。9月18日は満州事変の勃発となる柳条湖事件が起こった日ですが、中国各地では、反日デモはほとんどなく、918事変の記念式典が行われていただけのようでした。ありがたいことに、日本の皆様や留学生達から心配のメールをいただきましたが、拍子抜けするほど何事も無く終わりました。 翌日3年生の授業があったので、授業の冒頭次のような事を話しました。尖閣の問題では日本と中国で見解が異なり、どちらが良い悪いは授業では話さない。ただ、こうした問題が起こるたびに一番心配な事は、学生の皆さん達の日本語を学ぼうとする意欲が削がれることである。気持ちを強く持って日本語の勉強をして欲しいと話しました。次に気になることとして二つ話しました。一つは、中国のテレビでは放送されないが、暴徒化したデモの様子が日本ではテレビで盛んに放送されている。デモは良いが、こうした暴力行為は日本や世界で中国への悪印象を増やすだけとなり、とても残念である。もう一つは、中国と同じように日本でも次の指導者を決める民主党と自民党の党首選挙が行われている。この問題が起こったため、自民党の候補者は全て対中強硬論へ傾いている。民主党も対抗上対中強硬を唱えざるをえないだろう。今後の日中交流への悪影響が心配であると話しました。 幸い、学生達からは、周囲から嫌がらせを受けたり、嫌な思いをすることはなかったと聞きました。ただ、ある学生は10月の国慶節の連休の時、家族で日本へ旅行することになっていたが、他の参加者がキャンセルしたため、旅行社が旅行を中止し、とても残念だと言っていました。折から、例年通り大学では秋田大学や埼玉大学への留学の受け付けが始まるようです。学生達はくったくなく留学を希望しますが、どうも親達が子供の日本での暮らしが心配で、留学を渋るようです。学生達は早く事態が好転するよう願っていますが、こちらも妙にこじれずに元に戻ることを祈るのみです。 既に仲秋、晩秋の楡中 今学期は9月の第1週の月曜日が3日のため、少し遅く新学期が始まりました。8月の末に赴任しましたが、楡中は残暑が無く、すっかり秋の気配でした。温度は10度前後から20度の中ほどで、朝晩は長袖や上着が無いと寒いほどです。乾燥地帯の割には1週間に1度ほど雨があって、さらに冷え込みます。日本では記録的な残暑だったそうですが、こちらでは半袖の夏姿では寒くて震えました。 晴れた日に萃英山へ登ってみましたが、山頂では紫や黄色の野菊がたくさん咲いて、華やいでいました。ただ、9月も終わりに近づいたこの頃では急速に秋が深まりつつあります。キャンパスの蔦類はあざやかに紅くなっており、いくつかの樹木も既に黄色い紅葉を見せ始めています。辺りはすっかり仲秋や晩秋の中にあるようです。今季は中秋節が9月30日と遅く、空には夜になると半分ほどに膨らんだ月が冴えわたっていました。今年の国慶節は中秋節と重なり、30日から8日まで8連休と大型です。騒動が治まり、旅行が楽しめるようになって欲しいものです。
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