蘭州近況その16 (2012年6月)


学生の見た中国の課題

 6月もあっと言う間に過ぎました。花の季節も終わり、緑がまぶしくなりました。キャンパスでは黄色い薔薇に代わって、日本でも見られる赤い薔薇がちらほら、また、珍珠梅(チンシバイ、別名ニワナナカマド)が大きな灌木に白い可憐な花をたくさん咲かせました。楡中の農村を歩くと中が紫の白いそら豆の花やジャガイモの白い花が目に付きしたが、今では、鞘に入ったそら豆が実り、トウモロコシの背丈もだいぶ伸びてきました。

今学期は始まりが早かったせいか、6月の第3週が18週目となりました。1学期の授業は18週で終わり、19週、20週で期末試験、その後に夏季休暇となります。1学期の期間は全国どこの大学でも同じですが、学期の開始日が大学によって12週ほどずれるようです。私の担当では、3年の聴解と1年の汎読が18週目に、そして、2年の作文が重点科目となり、19週目に期末試験を行うことが決まりました。こうした日程は6月に入って発表されたので、休暇や帰国の予定がなかなか決まらずやきもきしました。

 2年生の作文の期末試験で、環境、エネルギー、教育、社会、文化のなかから特定のテーマを選び、現代中国の課題という小論を900字以上で書きなさいという問題を出しました。学生達から見た現代中国の課題は、大学生や就職を課題とした教育が48%、自然破壊や大気汚染等の環境が40%、食品問題や一人っ子といった社会が12%となり、教育と環境に集中しました。教育問題の中では、就職問題を取り上げたものが多く、学生達の関心の高さが伺えます。学生達は、就職難の原因を、主に、景気停滞と大学生の増加、不勉強な学生、歪んだ就職観の3つだと指摘します。最近の大学生は、恋愛やインターネット、ゲームに熱中して、真面目に勉強しないと嘆きます。そして、仕事を選ぶ上では、高給で、カッコよく、楽な仕事に人気が集中し、自分の適性や将来の目標を何も考えていないと指摘します。大学での勉強も授業や図書館で学ぶだけではなく、実践的な能力を磨くべきだと書いている学生もいました。確かに、最近では日本と同じように大学生の就職難が話題となります。ある地方の公共団体で清掃員を募集したところ、大卒者の応募が殺到したと新聞ダネになりました。毎年、何割かの割合で大学生が増えているのに対して、景気が思わしくないせいか、求人はさほど増えません。また、日本のように新卒採用といった特別な枠があるわけではなく、あくまで即戦力重視といった企業側の姿勢があるため、既卒者やキャリア・アップ組も学生達の競争相手となります。日本語科の卒業生も、日系企業や、日系を顧客とする関連企業などへの就職が難しくなり、日本語と無縁な一般企業への就職も多くなっています。こうした状況は学生達もよく心得ており、2年、3年で、外部の特訓学校で、法律や会計、コンピューターを学んだり、また、企業では文系でも院卒が優遇されるため、大学院の受験準備に入る学生も多いようです。このように学生達も就職が厳しいという現状をよく心得ているのですが、毎日授業で学生達を見ていると、どことなく満ち足りてのんびりとした顔付きの学生が多いのは、中国社会の豊さの現れなのでしょうか。

キャンパス食事情

 これまであまり食べ物について書いたことがありませんでしたので、今回、触れてみたいと思います。蘭州大学の楡中キャンパスは農村の中にあるため、生鮮食品を売る店が身近にありません。キャンパス内にスーパーはありますが、飲料、菓子、果物などに限られ、生鮮食品はありません。キャンパスの北側に、「裏の市場」と呼ばれる学生相手の小さな商店街があります。そこには小さな食堂がたくさん並んでいますが、その食堂相手の八百屋と肉屋が12軒あります。ただ、店というより屋台に近く、我々にとって買い易い店とはいえません。昨年いたアメリカ人の夫婦は、毎週末、蘭州市内へ出かけ、生鮮食品をまとめ買いしていました。幸か不幸か、私は自炊ができず、食事は外食ですので、あまり困らずに過ごしています。こうした事情は学生も同じです。寮住まいの学生達は部屋へ電熱器などの調理器具を持ち込むことが禁止されています。中には小さなコンロを持ち込んで、インスタントラーメンを煮たり、ささやかな火鍋を楽しむ学生もいますが、あまりおおっぴらにはできません。そのため、朝、昼、晩と全て外食になります。

キャンパスには第1、第2と大きな学生食堂が2軒、小さな清真食堂が1軒あります。教員食堂は第1食堂の2階に1軒あります。学生食堂は広い構内に、ラーメン、炒飯、定食、餅や饅頭など料理毎にカウンターがあり、銘々好きな所に並んで、お盆に料理を取り、キャンパスカードで支払います。場所柄、牛肉面が3.5元と一番安く、あとは56元前後、定食はおかずが肉類と野菜の各1品で6元、肉類が2品、野菜が1品だと78元といったところです。食事時間になると、食堂は瞬く間に学生達であふれ、各カウンターは長蛇の列です。学生達の食べっぷりは速く、30分もすると食堂が空き始めます。ですが、その頃に行くと、主な料理はすっかり売りきれ、ろくな食べ物は残っていません。それで、私は、昼は教員食堂へ、夜は裏の市場の食堂へ出かけます。

裏の市場には小さな食堂が20軒以上も並び、四川、東北、牛肉面、米線(米製の麺)と種類も豊富です。学生達の間では78元の「蓋澆飯」という丼物が主流です。青椒肉絲や麻婆豆腐、ナスの肉炒めなどといった料理を丼のご飯の上にかけたもので、種類もたくさんあります。ご飯のお代わりは自由なので、男子学生達はおかずをうまく残しながら、何杯もお代わりをしていきます。私は、最初、肉と野菜の一品料理にご飯を頼んでいましたが、量が多くなるし、値段もいので、最近では、この蓋澆飯を2品頼んで、丼にせず、おかずとご飯を別にしてもらいます。こうすると分量もほどほどで、3元のビールを頼んでも、20元を超えることがありません。少々油が多く、辛いのを別にすれば、味もまあまあです。ただ、キャンパス内の学生食堂では衛生検査や食品検査が厳しいでしょうが、こうしたキャンパスの外の店ではどこまで徹底されているのか分かりません。よく学生達と「地溝油」といわれるリサイクル油が使われていると冗談を言い合っていますが、あながち冗談ではないかもしれません。

日本と同じように女子学生達はよくダイエットをしています。昼か晩のどちらかを抜いたり、野菜料理を頼んで、ご飯も少なめにしています。その代わり、結構果物を食べているようです。夏場の今では、スイカ、メロン、桃などが盛りで、近郊の農民たちも道端で店を広げています。甘粛省は乾燥地帯のため、果物は甘いと言われます。特に、スイカや、白蘭瓜、香瓜などメロン類が豊富です。果物屋で細く切ったメロンを棒に刺したものが23元で売られており、食事を終えた学生達がデザート代わりに立ち食いをしながら寮へと戻って行きます。せっかく食事を抜いても、お菓子や果物をたくさん食べればあまり効果はないでしょう。そのためか、夜になるとキャンパスのグラウンドでジョギングをする女子学生も少なくありません。

 

ALWAYS 三丁目の夕日」と中国

3年の聴解の最後の授業で、日本で評判になった「ALWAYS 三丁目の夕日‐続編」を見せて、学生達と楽しみました。「三丁目の夕日」は西岸良平の漫画を映画化したもので、東京タワーが作られ始めた1950年代の東京の下町を舞台に、細部を詳細に再現したノスタルジックな画面が評判を呼びました。映画を見せてから、学生達に映画の中で中国と同じだなと思ったものを5つ、中国と違うなと思ったものを5つあげなさいと命じました。学生達といっても、出身が東北や江南などの地域や、農村や都会とった環境によって随分違いますが、日本と同じものは、夏の蝉取り、盥と洗濯板、箒やハタキ、牛乳箱、ミシンなどが多数派でした。学生達が子供の頃には、夏になると虫取り網を持って昆虫採集をしたそうです。また、家では電気洗濯機を使わずに洗濯をしていたのかもしれません。違うものでは、生卵を食べる、物干し台、学校の給食、ちゃぶ台、塩むすびなどが多く出て来ました。さすがに日本の下町にあった物干し台を中国では見たことがありません。ですが、現代の中国では、日本の昔のものが案外まだ使われており、人々の生活を見ると、時々懐かしさを覚えることがあります。どういうわけか、私はこの映画を見ると逆に中国を思います。さすがに私と同じ思いを抱いた学生は居ませんでしたので、その理由を学生達に話しました。

 私がこの映画で、何となく中国を思うのは、映画に描かれた人間関係の濃厚さです。50年代の日本はまだ近所付き合いがありました。うれしいことや悲しいことがあると近所で集まって、共によろこんだり、なぐさめあったりしていました。また、地方から出てくれば、親戚の家に泊まるのが普通でしたし、時として親戚に子供を預けることもありました。こうした付き合いの濃厚さは今の中国にまだ残っていると思います。場所によっては、それが近所ではなく、親戚かもしれませんが、学生達は北京や上海へ旅行する時、親戚や知り合いがあればそこに泊まるのが普通です。大晦日や春節には親類が皆集まって、一緒に食卓を囲みます。「三丁目の夕日」を見ていると、そんな場面が随所に出てくるので、思わず中国を思ってしまうという次第です。今の日本ではノスタルジーとなってしまったものが、中国にはまだ生きています。そんなところが、私が中国に感じる居心地の良さなのかもしれません。