蘭州近況その9 (2011年9月)


早くも晩秋の蘭州

 今年の蘭州は夏の余韻もなく、いきなり晩秋へ入ったような陽気が続きます。30℃近くあったのは9月の第1週のみで、それから、雨や曇りの日々が続きました。気温も515℃の近辺で、昨年の日記を調べてみると10月下旬の気温にあたります。学生達と顔を合わせると、思わず「寒いね」と挨拶をかわします。9月の2週目から新入生の軍事訓練が始まりましたが、学生に言わせると今年の新入生は幸せだとのことです。それは、雨が多くて厳しい訓練ができず、楽だからだそうです。

 8月の下旬に蘭州へ戻りました。楡中の畑では大きく伸びたトウモロコシが一面に広がっていました。トウモロコシの成長の速さには驚かされます。この7月に楡中を離れる時は、トウモロコシはわずかで、小麦や野菜が目立ったのですが、わずか2カ月ほどで大人の背丈ほど伸びたトウモロコシがずらりと並んでいました。稲と違って野菜は多毛作なのでしょうか。楡中では高原野菜の出荷で賑わっていますが、トウモロコシを刈り取った畑では、しばらくしてから、また別の野菜が植えられています。

 キャンパスでは、槐の並木に白や黄色い小さな花が咲き、また、合歓の木にも赤い花が咲いていました。しかし、春から夏にかけて様々な花が咲き誇った賑わいはありません。ただ、近頃ではキャンパスの草地、田圃の畦道、はては萃英山の山頂と、いたるところに野菊が可憐な薄紫の花を咲かせています。

 新学期は829日から始まりました。今期は1年生と3年生の会話、2年生の作文とほぼ昨年と同じです。この他、学期が落ち着いてくると、日本語コーナーや質問コーナーなどといった特別クラスが始まることでしょう。ところで、我々外国人教師は楡中キャンパスの教職員寮の29号棟に住んでいますが、実は、先学年ここに住んでいる外国人教師はわずかでした。29号棟は全部で12部屋ありますが、人が住んでいたのは私よりやや年配のアメリカ人の夫婦、同僚の日本人のN先生、そして、私の3部屋でした。他の外国人教師は全て蘭州のアパートで暮しています。周りの教職員寮も同様で、ほとんどの中国人教師達は田舎の楡中で生活することを嫌い、蘭州に住んでいます。授業の合間の休憩や作業のために部屋を確保しているようですが、普段はほとんど使われません。おかげで、夜になると、教職員寮の周りは真っ暗で寂しげでした。それが、今学期から若いドイツ人とカナダ人の男性教師、アメリカ人夫婦の代わりに、若い2人のアメリカ人の女性教師と6部屋がふさがりました。今学期の楡中は少し賑やかになりそうです。

 ところで、これまで書きそびれましたが、現在、蘭州大学では日本人教師が2人います。N先生は東北大学の博士課程を卒業し、日本の近世思想を専門とする研究者です。生活を安定させるため中国で日本語教師をやりながら、ドクター論文に精を出しています。最近の日本の研究者の待遇は厳しいものがあります。大学に教員として採用されるものは12人で、後は自分で生活の術を探しながら研究を続けることになります。特に、文系の大学院はたいへんで、おかげで、今や日本の文系大学院の研究生はほとんどが中国や韓国の留学生で占められているのではないでしょうか。何となく、将来の学術研究のレベルが不安になります。幸い、N先生も中国の白酒が好きなので、時々2人で杯を傾けては気炎を上げております。

 

IBM蘭州・敦煌旅行団の来蘭

 幸いなことに、これまで私の赴任先に度々先輩や同僚、友人の方々が日本から訪れてくれました。それならば一層のこと中国旅行と組み合わせたらというアイディアが出て、IBMの子会社のアイラス社がパック旅行に仕立ててくれました。「中国西域の旅−蘭州・西寧・敦煌7日間」と銘打った、青海湖や敦煌を巡るなかなか欲張った企画です。その旅行団の方々が、9月上旬に蘭州、楡中を訪ねてくれました。メンバーはDさんを団長として、私を蘇州大学へ呼んでくれたKさんを始め、この近況シリーズに書かせていただいた中国通の方々が12名参加されました。

 羽田を6時半に経って、その日の18時半に蘭州の中川空港へ到着されました。当日は空港での出迎えと、遅めの夕食を一緒にさせてもらい、翌日から蘭州、楡中を巡ってもらいました。午前中の蘭州観光では、楡中から3年生の希望者12名を呼び寄せ、蘭州の案内をさせました。幸い、観光バスが大きかったので、旅行団メンバーの席に一人ずつ学生がアテンドして蘭州を回りました。もっとも午前中の半日だけでは、行けた箇所は中山鉄橋と甘粛省博物館の2か所だけでした。また、最近の蘭州市内は交通渋滞が激しく、移動に思いのほか時間がかかりました。昼食は黄河の側にある大きな牛肉ラーメン屋へ行きました。ちょうど昼時で、店は観光客や地元の人で込み合っていましたが、メンバーの皆さんと学生合わせて20数名の席を確保できました。5元の牛肉ラーメンと5元の追加牛肉、2元の小菜というメニューでしたが、蘭州の名物料理ということで堪能していただけたようです。

 午後は、バスで直接楡中キャンパスへ向かいました。定刻より少し早めに着きましたが、教室には学生が集まり始めていました。武漢の時と同じように、今回も特別授業を開催させてもらいました。2年生、3年生の出席を必須としたため、中秋節の3連休の真ん中にもかかわらず、出席率は90%を超えました。3年生の大学・キャンパス紹介、2年生の日本の歌のパフォーマンスの後、メンバーを代表して、団長のDさん、Mさんの奥様、Nさんの3名の方にスピーチをしていただきました。個性豊かな皆さんによる硬軟取り混ぜたスピーチで学生達も大いに満足したようです。

 特別授業の後は、キャンパスを散策していただき、それから、学生食堂の2階の宴会場で2年、3年の有志の学生達と交歓会を行いました。料理は学生食堂の料理でしたが、ビール、ワイン、白酒と蘭州の羊や野菜料理で盛り上がりました。事前に学生達と食堂へ予約に行った時、ビールを冷やすようにしつこく言ったので、この日は普段には無い冷えたビールが出てきてほっとしました。名残は尽きませんでしたが、20時過ぎに散会し、学生達と見送る中、メンバーの皆さんはバスで蘭州のホテルへ戻られました。皆さんは翌日から青海湖や敦煌の観光へ向かいます。

 今回の蘭州の観光で、メンバーの皆さんは現代中国の若者達と直に歓談し、そのひた向きさや熱意に感心されていたようです。また、学生達の方も、一度にこのようにたくさんの日本人に会ったのはほとんど初めてのことでしょう。今回のメンバーの皆さんは私と同じ還暦を過ぎた方々でしたが、学生達は日本の高齢者を見ると、その若々しさと行動力にとても驚きます。中国の老人達は60歳を過ぎると、家に閉じこもり、孫の世話の他は何もせずのんびりと過ごすことが多いからでしょう。

 

9年目の中国

 さて、今学期で中国へ来て9年目を迎えます。いろいろ収穫はありましたが、ただ一つ残念な事は未だに中国語に不自由していることです。今年の年初、日本での宴席で、数年前の中国と今の中国との違いを聞かれました。今でも中国の学生達に変わらぬ好感を持っているので、そう聞かれてもあまり違いに気付きませんでした。しかし、その後思い返してみると、一番大きな違いは豊かさではないかと思いあたりました。以前は、夏や冬の休暇に郷里へ帰省する学生達は学割のきく普通列車しか使いませんでした。10時間も20時間もかけて、混雑する車内で立ったまま帰る学生が当たり前でした。それが最近では特急、新幹線、中には飛行機で帰る学生が出てきたのには驚かされました。また、休み中の作文を書かせると、最近では家族旅行の話が出てくるようになりました。数年前の学生はほとんど旅行をしませんでした。旅行するにしても、親戚や縁者が住む都市へ単身で出かけるのが関の山でした。それが、家族全員で有名な観光地へ旅行する家庭も増えているようです。今期の作文では、家族でドライブ旅行に出かけたと書いた学生が2名もいました。もちろん貧富の差は相変わらずですが、それでも着実に庶民の生活は豊かになっているようです。

 また、中国の大学生も日本と同じように就職難です。学部を卒業して直接就職するよりも、少しでも有利になろうと大学院への進学が盛んです。その進学先として海外の大学院も射程に入るようになりました。最近では留学斡旋会社が盛んで、費用を払えば日本の大学院の研究生の資格を斡旋してくれます。もちろん、過去にも日本への留学生は多かったのですが、何でも自前で頑張った以前の学生に比べ、高額な費用を払っても手軽に留学したいという学生が増えているようです。こうした傾向の中で、海外に出かける学生にもなんとなく余裕が出てきたようで、日本を見る目も昔のようにひたすら憧れるというより、追いつくことが可能な先進国の一つと相対化されているようです。このあたりは、戦後の日本人のアメリカ観の変遷を見るようで興味深いものがあります。これからの日本は豊かになった中国とどう付き合うのか考えざるを得ないようです。