蘭州近況その8 (2011年6月)



劉家峡に遊ぶ

 6月の半ばに3年生の学生と劉家峡へ12日で遊びに出かけました。劉家峡は蘭州から西へ75kmほど黄河を遡った、蘭州市のとなり、甘粛省臨夏回族自治州にあります。劉家峡は黄河の支流が流れる渓谷で、黄河三峡といわれ、昔から観光地として名高いようです。1974年に劉家峡ダムが造られ、劉家峡水庫といわれる大きな人造湖ができました。長さおよそ55km、幅6kmの湖が東西に延びています。ダムと反対側の西のはずれに、炳霊寺石窟があります。ダムのおかげで、炳霊寺への道が閉ざされ、石窟へ行くには、ダムの側にある遊覧船乗り場から、船でさかのぼることになります。

7時半に楡中を出発、蘭州西バスターミナルから2時間かかってダムの船着き場に着きました。昼食をとってから切符売り場へ行くと、普通の遊覧船は3時間かかるので運行は午前中で終わり、午後からは高速モーターボートの切符しかないそうです。しかたがないので、他の観光客と相乗りで、モーターボートで行くことにしました。運賃は往復で1120元とられました。黄土高原の只中に出来た大きなダム湖をボートは1時間かけて進みました。ボートが湖を抜けて黄河の支流に入り込むと、辺りの景観が一変しました。周りを取り囲むなだらかな黄土高原の山々が、とがった岩山に代わり、川の両側には奇岩や巨岩が林立しています。支流を23kmさかのぼると炳霊寺へ着きました。

炳霊寺は小さな仏教寺院ですが、ここも石窟で有名です。莫高窟、麦積山窟と並び、甘粛省3大石窟の一つだそうです。川に沿って奇岩の奥へ進むと、炳霊寺石窟がありました。ここも、前回の麦積山石窟と同じように、五胡十六国の西秦時代(紀元360年ほど)に作られ始め、清の時代まで千数百年に渡って作り続けられたようです。全部で184窟あるそうですが、上に上がる桟道が無く、全部をみることができませんでした。圧巻は高さ16m、幅27mの一番大きな169窟にある大仏でした。ただ、現在補修中で、大仏の一部が補修ネットで覆われていたのが残念でした。大きな湖を横切り、支流をさかのぼり、奇岩の林立する中にこの大仏に出会うと、何かしら荘厳な気につつまれます。

帰りは再びボートで湖を渡り、ダムの船着き場へ戻りました。そこからタクシーでダムの下流にある永靖県で出て、1泊することにしました。永靖県は山間にしては大きな町で、黄河の支流に沿ってビルが並び、路線バスも走っていました。学生と町の一番大きなホテルへ行きましたが、ちょっとしたトラブルに会いました。フロントで外国人は旅行証明書がないと泊まれないと断られました。すったもんだの挙句、ホテルの指示で近くの公安へ旅行証明書をもらいに行きました。公安に行くと、いとも簡単に許可がおり、難なく泊まることができました。あとで事情を聞いてみると、どうもホテルのフロントが外国人の宿泊に慣れておらず、昔の規則で対応したようです。現在、甘粛省では特殊な地域(おそらくチベット族自治州)を除いて、どこでも旅行証明書はいらないようです。それにしても、学生と一緒で助かりました。

翌日は、黄河の支流にある太極島という休暇村へ観光に出かけました。不思議なことに、蘭州から数十キロしか離れていないのに、ここの黄河の水は黄色ではなく、清流でした。いったどこから黄色く濁るのか、そのうち探ってみたいものです。太極拳島ではモーターボートで黄河を遊覧し、羅家洞寺というラマ教寺院を見学してきました。劉家峡の周りは黄土高原の乾燥地帯ですが、劉家峡水庫といい、黄河三峡といい、黄河の清流が滔々と流れ、清々しい気分を味わいました。

 

期末試験模様

 中国の大学はどこでも1学期は18週です。それが過ぎると期末試験が始まります。これまで、外国人教師は、特別に最後の18週目に試験をすることができて、中国人の先生達よりは早めに休暇に入れました。ところが、蘭州大学では、試験科目が重要科目とそれ以外の科目に分かれ、重要科目は外国人教師でも期末試験期間に試験を行わなければならなくなりました。困るのは、初めてなのでどれが重要科目か分からず、また、試験日や試験場所を教務部が決めるため、ぎりぎりまで試験日程が把握できないことでした。帰国のための航空券の手配や旅行計画を練る上で、いつにしたらよいのか分からずにやきもきさせられました。

 今期の担当は、123年生の会話と作文でしたが、このうち作文が重要科目として期末試験期間での試験となりました。1年生の作文では、家族をテーマに作文を書かせました。まだ日本語を習ってから1年未満の学生達ですが、それなりに作文が書けるようになりました。内容を読むと、中国の家族の絆の強さに感心させられます。出稼ぎで家にいない父親も多いようですが、結構父親たちは子供達とコミュニケーションの時間をとるようです。食事が終わると、家族で散歩にでかけ、そこで親達は子供達の日常を聞き、親の思いを話すようです。日本の学生達は大学へ入ると自立を考えますが、中国の学生達は大学へ入ると、親のありがたさや温かさを思い、卒業しても決して親と離れないとその決意を作文に綴ります。2年生の会話では、筆記試験の問題の一つに、恋人を紹介してくれるように友人に依頼する会話を書けという問題を出しました。ここでは、学生達は、恋人の条件は外見ではなく、性格の良さや心の温かさだと書いてきます。ただ、ところどころに、背が高くて成績の良い人などという条件も出てきました。美人やイケメンよりも可愛さ優しさに人気がある点は日本とあまり変わらないかもしれません。こういう問題を出すと、採点する方もなんとなく楽しくなるものです。

 今週でほぼ採点も終わりました。蘭州大学では、武漢と同じように、平常成績30%、期末成績70%の配分で総合成績を出します。60点未満は不合格で単位になりません。なるべく不合格の学生を出さないように、所々で匙加減を効かせ、全体を調整した上で、成績を決めます。あとはパソコンで成績を入力すれば今期の作業も全て終わります。

 

蘭州の1

 早いもので、蘭州に赴任してからほぼ1年が経ちました。赴任前は、蘭州は中国の西北部の辺境にあり、環境は苛烈で健康に悪いから、行かないようがいいですよと、よく忠告を受けました。1年過ごして見て、こうした心配が全くの杞憂に終わりました。夏は快適でした。日射しが強い割に湿度が低いので、日陰に入れば問題ありません。夏の公園でパラソルの下でお茶やビールを飲んでいると、涼しい風が吹き抜けて、なんとも心地よい限りです。10月にはもう寒くなりますが、ちゃんと木々は紅葉し、秋の風情を楽しめます。冬は零下10℃を下回り、猛烈に寒くなりますが、宿舎の室内はスチームで汗ばむほどです。夜は食事のために出歩きますが、キャンパスを歩く限りでは危険はありませんでした。中国ではまだ暖房は石炭が主流なようで、蘭州などの大都会では冬場は煤煙の大気汚染が酷いようですが、幸い郊外の楡中で生活したために、きれいな星空を楽しむことができました。春は遅めに始りますが、杏やリンゴ、ライラックなどたくさんの花が代わる代わるに咲いて北国の春を満喫しました。南京や武漢では5月になると30℃を超える日もあり、汗だくになるのですが、蘭州では6月の終わりになっても朝夕は長袖が欲しい時があります。ただ辛かったのは、暖房の始まる前の10月と暖房が終わった4月でした。レンガ造りの宿舎は冷え込み、夜シャワーを浴びるのが寒くて嫌になりました。

 この1年、宿舎が楡中のためあまり都会の蘭州に出ることもなく、農村で過すことになりました。時折、もの寂しさを感じることもありますが、豊かな自然環境の中で過ごせました。前号では花々ついて書きましたが、春になって鳥が増えたことも楽しみの一つでした。雀、尾長、シジュウカラなどがキャンパスにはたくさんいますが、最近日本の都会ではめっきり少なくなった燕も5月になってたくさん飛び交うようになりました。萃英山の麓ではよくカッコーの鳴き声が聞こえます。山道を散歩するとふいに付近から雉が飛び立って驚かされます。あまり鶯の鳴き声を聞きませんが、様々な鳥を目にします。残念ながら、鳥の名前がわからず、どんな鳥だったのか分かりません。今度鳥の図鑑でも手に入れて勉強したいものです。この1年、自然によく親しんだといえるでしょう。

 7月初旬には今期の仕事が終わります。この夏はせっかく蘭州へ来たのですから、敦煌に行ってみたいと思います。蘭州から、武威、張掖、酒泉、嘉峪関と河西回廊のオアシス都市を巡りながら敦煌へ行こうと思います。幸い、いくつかの都市には出身の学生がいますので、案内を乞いながらゆっくり廻ろうと思います。機会があれば、旅の模様をお知らせしたいと思います。今年の夏は節電の日本はとりわけ暑そうです。皆様にはどうぞお身体ご自愛ください。