蘭州近況その7 (2011年5月)



行事の5

 5月は行事の多い月でした。まず、427日に楡中キャンパスで運動会が行われました。運動会の開会式には、26学院(学部)がそろって入場行進を行います。外国語学院も書記、院長を先頭に、我々外教も行進しました。運動会は3日間行われ、その間は授業が休みですが、学生達はしっかり各学院の応援席で出席をチェックされていました。次に、53日にスピーチコンテストの学内大会が行われ、審査員として参加しました。

このコンテストで、中華全国日本語スピーチコンテストの西北地区予選への出場者を決めました。残念ながら、優勝は、指導したり、相談に乗った23年生ではなく、4年生にさらわれました。そして、その全国スピーチコンテストの西北地区予選が14日に、蘭州大学の本部キャンパスで行われました。以前このコンテストへは、蘇州、南京、武漢でも、学生を指導し、それぞれの地区の予選へ出場してきました。昨年の武漢近況にも書きましたが、かねがね開催大学の学生が優勝することが多く、その審査をうさん臭く思っていました。今回は蘭州大学での開催ですので、興味津津で指導教員として参加しました。その結果は、逆に、我が大学の選手は内容が良かったにもかかわらず、2位となりました。12位より上の特別賞の選手が7月に日本で行われる決勝戦へ出場することになります。審査の結果はどちらの立場にあっても不満に思うものだと悟りました。この大会には陝西、甘粛、青海、寧夏、新彊の各大学の選手達が参加しました。はるばる青海や新彊などの遠方からも日本語を学ぶ学生が参加してくれて感激しました。

 55日から外国文化芸術祭が開幕しました。そのオープニングセレモニーにゲストとして参加しました。蘭州大学の外国語学院は、英語、日本語、ロシア語、フランス語、ドイツ語とこれまでの大学より学科が豊富です。セレモニーでは学科毎に歌や演劇が披露され、最後はドイツ語科学生による第九の合唱で終わりました。この文化芸術祭は1ヶ月続くようで、その一環として、日本語科の主催で、8日には紅白歌合戦、15日にはアフレコ大会が行われ、これらに審査員として参加しました。アフレコ大会では、日本語科以外の学科の参加者も多く、うれしく思いました。なつかしいところで、セーラームーンやアラレちゃんも登場し楽しめました。ただ、日本語科の学生のアフレコでも、長いセリフになるとアクセントや語彙が不正確でちょっと残念でしたが、改めて、発音やアクセントの練習としてアフレコが役に立つと再認識しました。

 521日には卒業論文の答弁が行われました。今年の4年生は2クラス45名と多かったため、答弁は優秀論文対象者と合否のボーダーラインにある学生が対象となり、21名の答弁が行われました。その結果、残念ながら優秀論文はありませんでした。いつも思うことですが、日本語科の卒論では、日本語で書くことが精一杯で、内容まで手が回らないようです。ただ、今学年は卒論の案内が遅れ、指導教官の選定や開題報告の提出は2月下旬でしたので、学生達にとっては十分な時間がなかったのかもしれません。幸い、今期の私の指導学生は1名でしたので、ゆっくり指導ができました。

 

天水への旅

 428日から3日間、甘粛省外事局の主催で、外国人教師を対象としたツアーがあり、天水へ出かけました。天水市は蘭州の西300kmにあり、人口は350万人、甘粛省第2の都市です。古くは隴西、秦州と言われ、中島敦の「山月記」の冒頭に「隴西の李徴は博学才頴、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね・・」と書かれ、唐の高祖李淵の出身地とも言われます。さらに、杜甫が官を辞して、陝西省から移り住み、3ヶ月生活して、「秦州雑詩」を作りました。また、李白は一説によると天水市秦安県で生まれたと言われます。天水からさらに西へ300km行くと西安ですから、古くから、蘭州、敦煌へ抜けるシルクロードや、隴南を経て蜀(四川省の成都)へぬける交通の要害だったようです。

 蘭州から西安へ通じる高速道路を5時間近くかかって天水へ着きました。バスは黄土高原の谷間をひたすら走りましたが、天水市へ入ると緑が増え、田畑には春の風物詩の黄色い菜の花があちこちに咲き乱れていました。天水は西安へと流れる渭水のほとり、海抜1100mの所にあり、気候は温暖で「西北の小江南」と呼ばれるようです。初日は市内の民族博物館と伏羲廟を見物しました。民族博物館は明代の地方長官だった胡氏の邸宅を保存したものでした。伏羲は中華民族の始祖とされる神話上の人物で、家畜飼育、調理、漁労、狩猟の方法を開発し婚姻制度を定め、八卦を発明したとされています。天水が伏羲の故郷とされており、伏羲を祭った廟としては天水が中国で一番大きいと言われます。

 翌日は、観光のハイライト、郊外にある麦積山石窟、仙人崖石窟へ出かけました。中国の仏教遺跡の中では、敦煌の莫高窟、洛陽の龍門窟、大同の雲崗窟が三大石窟として名高いのですが、甘粛省では、麦積山石窟を加えて、四大石窟と称しています。麦積山は140m程の小高い山ですが、その断崖に大小194の石窟が掘られ、7200体の仏像と壁画が作られていました。時代は敦煌と同じ十六国時代、紀元360年ごろから清代まで1500年以上に渡って掘りつづけられたようです。石窟の規模としては他の石窟の方が大きいようですが、ここの石窟は断崖の中腹に掘られていました。崖に沿って作られた手摺のついた参観路を伝って見物しますが、高いところでは数十メートルの絶壁の上で、思わず足がすくみました。よくこんな高い所に石窟を掘ったもんだと感心しました。敦煌から天水に至る河西回廊には大小様々な石窟が見られます。蘭州にも炳霊寺石窟、天水には他にも水簾洞、千仏洞、仙人崖石窟などがありますが、仏教伝来の経路が偲ばれます。

 最終日は、大規模な官営農業栽培センターを見学しました。天水は果物の産地としても有名で、中でも花牛リンゴはブランド品だそうです。センターの工場では日本へ出荷されるエノキだけの箱詰めが自動化されており、箱の上には天水エノキだけと日本語で書かれていました。昨年8月に赴任以来、初めての甘粛省旅行でした。初夏に入る今頃からが旅行シーズンなのでしょう。これを契機に、そろそろ旅行で出かけたいものです。

 

6回国勢調査の結果が発表に

 4月末に、昨年行われた国勢調査の結果が発表されました。この国勢調査は10年毎に行われ、今回はとりわけ、調査員も大々的に動員し、特に、無戸籍者の調査に力を入れたと言われます。昨年、大学の外事所の担当者もこの調査に狩り出され、いつも留守がちで、とても不便な思いをしました。前回の2000年と比べると、人口は133972万人で、7390万人増加し、5.84%の増加率だそうです。年齢構成からみると、14歳以下の人口は22246万人(16.6%)、60歳以上の人口は17765万人(13.26%)で、それぞれ6.29ポイント減少、2.93ポイント増加だそうです。驚いたのは、都市と農村の人口構成で、都市は66558万人で49.68%、農村は67425万人で50.32%だそうで、都市人口の増加は13.46ポイントでした。よく中国農民8億人と言われていましたが、もう7億人を割っています。この結果、近い将来、都市人口が農村人口を上回り、中国は農業国とは言えなくなるでしょう。今回の調査では、特例を設け、超過出産による戸籍の未登録者の登録に力を入れ、その結果、1370万人もの無戸籍者が判明したそうです。 この調査の結果を人民網が「豊かになる前に老いてしまい、都市化も早すぎる」と評していました。

 

楡中の春−5

 4月の終わり頃にはライラックが盛りでしたが、5月に入ると、黄色いバラと牡丹が咲き始めました。宿舎の入口にも大きなバラの庭木があり、枝いっぱいに黄色い花を咲かせました。キャンパスのバラは花弁が幾重にも重なるものと、一重のものの2種類があり、名札には黄薔薇、黄刺マイ(王偏に攵旁)とありましたが、区別がつきませんでした。牡丹は将軍院というキャンパスの庭園や図書館の西にある牡丹園に植えられており、白やピンク、紅い大輪の花弁が見事に咲きました。

キャンパスには槐の木が多く植えられています。名札には国槐、刺槐などとあり、房になった小さな白い花をたくさん咲かせます。香花槐と名のついた槐はサルスベリに似た濃いピンクの花を咲かせました。また、先ほどの将軍院には五角楓と名のついた楓があり、枝いっぱいに黄色い小さな花を咲かせました。楓は紅葉がみごとですが、春に花が咲くとは気がつきませんでした。

これまで、南京や武漢では5月の連休が終わったあたりから、急に気温が30℃を超え、すっかり夏日となりましたが、蘭州では快適な春の日々が続きます。30℃に近い日もありましたが、暑いのは昼間だけで、朝晩はまだ肌寒い程です。心配していた黄砂もなく、春を楽しんでおります。

長くなりましたが、最後に、学生の川柳を紹介したいと思います。先日、2年生の作文の時間に俳句と川柳を教えました。以下は、その時学生達が詠んだものです。

      なぜかしら なんでもかんでも 韓国のもの

車無し 結婚などは できないか

全国に いいニュースだけ 放送し         

家の値は 天国よりも まだ高い

車ある あるにはあるが 自転車だ           

ハムよりも 健康なのは 蝿の方

部屋が無く 妻を持てない 会社員           

この社会 能力よりは 特権や                   

驕る子や 苦労の親に 金欲しい               

どら息子 両親よりも 金が親                   

数年後 男性ばかりか 我が社会