キャンパスの牡丹と芍薬
5月に入り、ライラックや黄玫瑰(黄バラ)とともに牡丹が咲き始めました。ちょうど洛陽からもどって一息ついた頃に、将軍院や図書館の後ろの牡丹園に牡丹が咲き始め、それから2週間ほどキャンパスは牡丹でにぎわいました。洛陽では4月の初旬に咲いて下旬には散ってしまいましたが、寒冷地の蘭州とはちょうど1か月の差があるようです。洛陽のように黒や黄色の牡丹はありませんが、キャンパスでは白、ピンク、赤、真紅の牡丹が咲き誇ります。牡丹は花弁が大きく、大きな株にたくさんの花が開花すると、とても豪華です。
それから、牡丹が枯れ始めた頃、入れ替わるように芍薬が咲き始めました。芍薬は花弁が大きなわりには草本植物で、あまり大きな株はありません。花が咲いて、2,3日はしゃんとしていますが、すぐに花の重みでおじぎを始めます。花弁は牡丹に似て大きく華やかに咲きますが、ちょっと見そびれると地面に寝そべって、興をそがれます。色は白、淡いピンク、濃いピンク、赤の4種類です。中でも濃いピンクは牡丹にないショッキングピンクでなかなか艶やかです。
卒業論文の指導
今年は5月14日の日曜日に卒論の答弁が行われました。対象者は29名で2グループに分かれて、10分の説明と5分の質疑応答で答弁を行います。評価は優、良、中、可、不可の5段階で、不可以外は全て合格です。答弁の結果は、私のグループではほとんどが中、可、不可で、あまりよい論文がありませんでした。
主なタイトルをみてみると、
日本既婚女性の社会進出と家庭との両立について
『吾輩は猫である』における猫についての考察
寿司から見る日本の食文化の発展
現代日本社会の高齢者像
日本人のサービス意識とおもてなし文化
日本人の集団意識及びその成因と影響について
日本の食文化から見る季節感
温泉文化から見る日本人の自然意識と健康意識
食感を表すオノマトペについて
戊戌の変法の失敗原因-日本明治維新と比較して
日本現代女性の化粧行動の動機について
といったものでした。テーマからみると学生たちの興味は、従来の言語学、教育学、文学などから、現代日本社会の諸現象や諸文化へ移っているように思えます。反面、『我猫』や戊戌(ぼじゅつ)変法は使いふるされた論文で名調子の原版が出回っています。
ところで、学生たちの卒論があまりパッとしない理由は二つあります。一つは論文を書くための専門教育を受けていないからです。中国の大学にはゼミはありません。3,4年生も1,2年生と同じような授業を受講するだけで、論文を書いたり、研究成果を発表したりするような教育やトレーニングを受けていません。
もう一つは「論文」そのものが書けないからです。学生たちは受験教育の弊害だと自嘲しますが、決められたパーターンの文章は書けても自由に自分の意見を書くことができません。「論文」とは自分の意見や主張を唱え、それを説明するものだと教えますが、まず事物に対して自分の意見をまとめることがうまくできません。日本の伝統文化の説明はできても、伝統文化に対する自分の見解を明らかにすることができないのです。
答弁では5名が不合格になりましたが、指導教官のもとで論文を改善して再評価を受ければ、合格になります。4年生の後期学期は卒論のみで、他の授業がありませんので、彼らは全過程を終えたことになります。卒業式は6月の中頃ですが、それを待たずに故郷や就職先へ戻って行く学生も少なくありません。2013年級の学生たちは目出度く全員が卒業して行きました。 以上
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