東日本大震災 新学期が始まりおよそ3週目が終わるころ、日本の三陸沖で大地震が発生しました。当日の3時頃、Yahoo Japanの画面に宮城県で地震発生、津波の恐れありと情報が載りましたが、詳細はまだありませんでした。ちょうど本部キャンパスで外事所の会議があったので、気にはなりましたが、そのまま蘭州へ向かいました。会議が終わって、蘭州にいる外個人教師達から相当大きな地震だと聞かされました。それで、楡中へ戻るバスの中では気が気ではありませんでした。宿舎に帰り、慌ててインターネットを見て、初めて地震の様子が分かりました。テレビをつけると、CCTV(中国中央テレビ局)のニュースで、被災地を襲う津波の模様が放映されていました。走っている車を飲み込む津波や、街の中を多くの船や車が流されていく映像を見ると、何か悪夢を見ているようでゾッとしました。翌日も蘭州で外国語学院の会議がありました。会議が終わって昼食会の前に、学院長の発案により参加者全員で震災の犠牲者に黙祷を捧げました。 最近、中国でもよく地震が続きます。2008年の四川省の大地震、2010年の青海省の地震、そして、3月10日には雲南省盈江県でM5.7の地震があり、1万7000戸の住宅が倒壊したと報じられました。そのせいか、日本の地震も他人ごとではないといった感じで、テレビや新聞で連日たくさんのニュースが報道されています。地震の起こった11日の夜には、すでにCCTVで、花形キャスターによる特番が流され、地震の全貌や、その原因などが、専門家の解説により詳細に放送されました。この特番は連日続き、数日後には、内容が地震から原発事故へ変わっていきました。この時期、ちょうど中国は第11期全国人民代表会議が開かれており、通常ならば、マスコミはこぞってこの会議の模様を報道しているはずでしたが、テレビの放映時間をみるかぎり、完全に震災報道に圧倒されていました。 私は日本のプロバイダーのメールを使っていますが、このメールが地震の翌日から2日間ほど使えなくなり、ヤキモキしました。プロバイダーは東京の停電の影響だと釈明していました。メールを開くと、中国の前任地の先生方や学生達からたくさん安否を気遣うメールが届いていました。幸い、家族や知人は皆無事でしたが、大学の同窓生に被災者がおり、自分を顧みずに他の被災者のために飛び回っていると知らされました。中国を始め、韓国、ロシアなど世界各国から支援の手があがりました。また、逆に、冷静で、他人を気遣う被災地の人々の態度が世界中に感動を与えました。日本は最近、景気の低迷や政治の混迷などで、元気がなかったのですが、この様子を見ていると、なんだか日本中が必ず立ち直ってみせると自信をみなぎらせているようでうれしくなりました。 震災後、インターネットを見ながら、遅々として進まない救援作業が心配でなりません。遠く離れていて、何もできないことに何だかとても落ち着きません。そんなことから、今週、地震の情報を共有することと学生達の考えや思いを知りたくて、2年生と3年生の会話の時間に震災に関する特別授業を行いました。授業では、地震と津波、そして、原子力発電所の現状と基礎知識を説明し、また、新聞報道の見出しから、地震と原発の模様、各国の支援、中国での動き、地震直後の経済と社会などについて話しました。そして、質疑の後、学生達に感想とメッセージを書いてもらいました。 学生達の生の声をまとめると次のようになりました。 1)四川大地震の記憶が鮮明なため、日本人や被災者の気持ちがよく理解できる。 「・・東日本大震災のことを知った時、心から辛いです。2008年に中国四川省の地震の情景はまだ覚えています。その時、家族と一緒にテレビの前で震災地の情景を見ながら、涙を流していました。」 2)今回の災害は日本の災害というより、世界の災害として、皆で克服したい。 「こんなに大きな災難にあったのは、日本だけでなく、全人類にとっても不 幸な事です・・・・大震災の前で、私たちは日本人、中国人、韓国人ではなく、人類だと思います。一緒に頑張ります。」 3)日本人の地震への対応に感心した。 「日本人はこんな災いの中で冷静で沈着な態度を持っていると思います。・・日本人の資質が印象に残っています。街で避難している人は秩序を保持して、ゴミを勝手に捨てないです。これは小さい頃からの教育と日本の防災演習に関係があると思います。そして、原子力発電所の作業員は私を感動させました。放射線にもかまわず自分の仕事をやりとげています。」 4)中国として見習うところが多い。 「中国人は基本的な防災知識がないので、地震に会った時、混乱したり、騒いだりして、たくさんの無辜の人が死んでしまいます。でも、ネットで日本の地震が起こった時、日本人が表わした理性と秩序を見ると本当に敬服します。」 「日本の地震速報や建物の避難通路などのような災害予測と避難施設は中国の大部分でまだありません。」 最後にある学生のメッセージを転載します。 「日本の友人への挨拶」 いろいろな新聞で日本に大地震があったことを知りました。この数日間、ずっと日本についてのニュースに注意しています。たくさんの人が地震と津波で亡くなりましたが、まだ生きている人の安全を心配しています。 これは日本人民の災難だけでなく、全世界の災難です。各国の人達はずっと日本の人々の側に居ます。同じ感情を持っています。私達は今何もできませんが、毎日新聞やニュースで日本の被災地区の人々の生活状況を見ると、悲痛になりました。 日本にいる皆様、よく頑張ってください。亡くなった人々のために、まだ生きている人々のために、頑張ってください。私達はずっと日本にいる皆様の安全を祈っています。被災地区の再建のために、努力してください。 第2学期が始まる 今学期は2月21日から始まりました。2月の下旬に蘭州へ戻った時には、蘭州は暖かくて過ごし易く思ったのですが、3月に入って、逆に寒くなりました。2月が暖かかったせいか、部屋のスチームが弱くなっていました。それが、3月に気温が下がっても、困ったことに弱いままでした。冷え込んで来ると、部屋の中が寒くてしかたありません。真冬と同じように厚着をして耐えていました。この18日に2度目の積雪があった時、ようやくスチームが強くなりました。おかげで今は凍えずにすんでいます。 担当科目は今学期も先学期とほぼ同じで、1、2、3年生の会話、1、2年生の作文です。1年生の会話が週2回から1回になり、その代わり、1年生の作文が増えました。あとは4年生の卒論指導ですが、担当学生は1名ですので、あまり手間がかからなそうです。今学期は担当のクラスから2年生3名、3年生1名が日本へ留学する予定です。渡航手続きがめんどうなせいか、ほとんどの学生が今学期は大学にもどらず、郷里で留学の準備をしているようです。ところが、今週そのうち1名が授業に出てきました。留学先は秋田大学ですが、日本の状況が心配なため、親と相談してもう少し様子をみるとのことです。他の学生から連絡はありませんが、おそらくまだ郷里で待機しているのではないでしょうか。 蘭州は冬と春はあまりよい季節ではないと言われます。大気が乾燥し、煤煙などで淀むからでしょう。また、春は風が強くなり、黄砂が舞うようです。ですが、今のところ、快適に過ごしています。大気汚染は楡中の農村生活のため、ほとんど経験していません。蘭州から通ってくる先生達は楡中へ来ると空気が違うと言いますが、こちらは楡中にいるのであまりそのありがたみが分かりません。黄砂はまだ未経験です。先日風が強い日があり、遠くの地表は黄色くかすみました。学生に言わせるとあれが黄砂だと言いますが、風もそれ程強くなく、眼や喉をやられるまでにはいきませんでした。ただ、穏やかな日が続いても、部屋の掃除を少しサボると、机や床に薄らと砂ぼこりがたまります。窓の隙間から砂が舞い込むのでしょう。 早いもので、もう3月下旬です。日本では梅が終わり、そろそろ桜の季節です。しかし、蘭州ではまだ木々は芽吹かず、丸坊主です。先日、裏の萃英山が開山となり登れるようになりましたが、山もまだ枯草と黄土のままで緑はありません。最近の楡中の気温は−6〜6℃前後で、夜間や夜明けには氷点下に下がります。この分では若葉の季節は4月下旬か5月になるかもしれませんが、あたりが次々と緑に変わるのを楽しみしています。 福島原発の対応が長引いています。IAEAの原発事故の評価尺度が5から6へと悪くなる気配で、心配です。早く鎮静させて、桜や春を楽しみたいものです。
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