カラコルム・ハイウエーを越えて (2013年7月)




どこへ行こうか

 今期は担当の作文が正規試験科目となり、試験日程がなかなか決まりません。そのため夏休みの日程がよく分らず、旅行計画を立てるのが遅れました。チベットは相変わらず外国人の個人旅行が禁止されています。それで、新彊ウイグル自治区、内モンゴル自治区、河南省の古都巡りと三つのプランを考え、懇意の旅行社の人に相談しました。その結果、せっかく甘粛省にいるのだから、西隣りの新彊へ行ってみることにしました。もっとも新彊は中国の省や自治区では最大の面積を持つ広大な地域で、およそ166万平方キロメートルと日本の約4.4倍の広さがあります。そこで、ここでも三つの案を考えました。1)タクラマカン砂漠縦断、2)北新彊、イリ・アルタイ地区逍遥、3)カラコルム・ハイウエー走破の三つですが、このうち、タクラマカン砂漠では砂漠公路という縦断道路があり、公共バスが走っていると聞きました。調べてもらうと、夏場は暑いので、公共バスは寝台バスで夜しか走らないそうです。2)の北新彊では、イリの伊寧市に遊んで、それからアルタイ市へ行こうと思いましたが、イリからアルタイへの交通便がなく、新彊のほぼ中央にあるウルムチまでいちいち戻らなければなりません。それで、3)のカラコルム・ハイウエーに決めました。

 新彊の最西端のカシュガルからパキスタンへ抜ける国道があり、俗にカラコルム・ハイウエーと呼ばれています。現在ではパキスタンとの交易路として車両が頻繁に往復していますが、昔は中国からインドへ抜ける街道として有名で、かの三蔵法師も通った道です。実は、2007年にIBMの友人達と途中のカラクリ湖まで行っており、その時、パミール高原の風景にすっかり魅了され、機会があればこの先の国境沿いにあるタシュクルガン(塔什??干)まで行ってみたいと思っていました。そんなわけで、今回はパミール高原の峠の町で2,3日のんびりすることに決めました。

 行程を調べると、蘭州からウルムチまで3時間弱、ウルムチからカシュガルまで1時間半ほどのフライトで行けそうです。距離を見てみると、上海−蘭州が1900q、蘭州−ウルムチが1800qとほぼ同じで、ウルムチからカシュガルまでおよそ1300kmの距離があります。中国を東西に見ると、漢民族が多数を占める居住地域の西端は蘭州までで、そこから西はチベット族やウイグル族などが多くなります。中国の東端上海から西端カシュガルまでおよそ5000kmですから、その中間地点は蘭州よりさらに西になります。中国の広大さというより、新彊の広さに改めて驚きます。さっそく航空券を手配してもらうと、行きと帰りで合計4900元ほどになりました。便数の多い上海便よりは割高でした。因みに、上海−羽田も1900qで、上海−蘭州とほぼ同じ距離になります。

 ところが、ちょうど航空券の手配が終わった頃、626日に新彊のトルファン地区で、28日にはホータン地区で民族紛争がありました。特に、トルファンでは十数人のウイグル人グループがナイフやガソリンを持って警察署や地方政府を襲撃し、双方合わせて35人の死傷者をだすという激しいものでした。現在、中国の民族紛争ではチベットがよく報道されますが、チベット人は焼身自殺という抗議手段をとるのに対して、ウイグル人は直接政府機関等を武力攻撃します。この事件で外国人の個人旅行が制限されるのではと、心配しましたが、7月初めには、新彊の騒乱は鎮静されたと政府発表があり、制約もなさそうなのでホットしました。

 

カシュガルを歩く

 蘭州を9時に発って、ウイグルで乗り換え、カシュガルにはその日の16時に着きました。中国では公式には北京時間を使いますが、ウルムチやカシュガルではそれより2時間遅らせた時刻を生活時間としているようです。空港から市内まで10元の中型バスが走っていました。ホテルの住所を言うと、その前で降ろしてくれました。個人旅行の時はいつもそうですが、飛行機は旅行会社に頼みますが、ホテルは全て自分でインターネットで探し、また、観光地の移動も基本的には公共バスを利用します。今回タシュクルガンにはインターネットで予約できるホテルが1件しかなく、しかも1560元と田舎にしては高額でした。それで、カシュガルでは贅沢をせずに、中国の全国にあるビジネスホテルのチェーン店を1208元で予約しました。ホテルに行ってみると予約したにもかかわらず、あっさりと外国人は泊められないと断られました。仕方がないので、フロントで近くにある四つ星ホテルを紹介してもらい、そちらへ向かいました。幸い、四つ星ホテルには空き部屋があり、しかも、新館は480元ですが、旧館だと朝食付き220元で泊まれました。

 カシュガルは新彊の西端にあり、キルギス、タジキスタン、アフガニスタン、パキスタンと国境を接していて、標高1300m、人口40万人と中国にしてはあまり大きな都市ではありません。街の中心部の北側に旧市街があり、ウイグル人がたくさん住んでいます。旧市街の真ん中にカシュガルの象徴でもある有名なエイティガール寺院があり、その周りに職人街や飲食街などウイグル人の店が軒を並べています。旧市街はホテルから近かったので、さっそく付近を歩きました。時刻は夕方に近く、たくさんの人々が買物に出歩いていましたが、漢族がほとんど見られず、ウイグル族か他の民族の人々ばかりなのに驚きました。服装は女性の方が保守的で、長いゆったりしたロングドレスを着て、頭はスカーフを被っています。中には、スカーフをすっぽり被り、顔も見せない女性もいます。男性はズボンに半袖シャツですが、頭に模様の付いた小さな四角い帽子をかぶっています。イスラム系の男性が被る帽子は民族によって色と形が違うようで、回族は白い円筒形の帽子を被っています。顔つきはインドというより、トルコ系ですが、明らかに漢族とは異なります。

 旧市街は狭い道がくねり、住居には窓が無く赤茶色の壁が迷路のように入り組んでいます。時々狭い入口から中をのぞくと、中には必ず中庭があり、窓は中庭に向けて大きく開かれていました。夕食時のせいか、少し広い道へでると、屋台がたくさん出て、惣菜や果物、スナック等を売っています。食堂の店先では必ず羊の串焼きが焼かれ、香ばしい匂いがただよっています。試しにホテルの近くの串焼き屋に入ってみました。こうしたイスラム系の店ではアルコールは一切ありません。テーブルに座ると、すぐウーロン茶のようなお茶の入ったヤカンを持って来てくれました。困ったことにメニューがなく、中国語もよく通じませんでした。なんとか店頭で焼いている大きな羊の串焼き2本とナンを注文して夕食としました。食後も漢族の中国とは違った異国情緒が楽しくて、また通りをブラブラ歩きながらホテルへ戻りました。

 

カラコルム・ハイウエーを走る

 カラコルム・ハイウエー(中巴公路、喀喇昆?公路)は中国の天山山脈や崑崙山脈の西端から始まり、ヒンドゥークシュ山脈の山麓に広がるパミール高原の東を通り、カラコルム山脈の東端からパキスタンへ抜けるという、まさに世界の屋根を走る国際道路で、全長1200km、中国側が400km、パキスタン側が800kmの長さがあります。今回は、パキスタンとの国境があるクンジュラブ峠の手前の町、タシュクルガンまで行ってみることにしました。カシュガルからタシュクルガンまで1日に数本の路線バスが走っており、距離はおよそ300km、料金は55元、所要時間は7時間だそうです。

 乗車券は前日買っておいたので、9時半にバス・ターミナルへ行きました。バスは中型バスで、発車時間は10時ですが、もう乗客の半分近くが座っていました。切符には座席が指定されていますが、それぞれ勝手に座っています。なんだかんだで、バスが出発したのは10時半になりました。カシュガルの郊外を南へ1時間半ほど走って、ニャオパールという田舎町へ着きました。ここで昼食をとり、12時半にバスは再び走り始めました。周りは広々とした草原や荒野で遠方には雪を被った山々が見えます。1時間ほどで、その山々の麓へ辿り着き、そこからバスはガイズ河という大きな峡谷に沿って登り始めます。周りは樹木の無い岩山に取り囲まれ、荒々しい岩石がころがる河床の脇道を走ります。途中に検問所があり、乗客は全員車を一旦降りて、検問所で身分証やパスポートをチェックされます。今回、旅行許可書など何も持っていませんでしたが、パスポートだけで無事通過できました。峡谷を2時間ほど登ってブロンクリ湖のダムへ着きました。ここからはパミール高原になるのでしょう。道はなだらかになり、ごつごつした岩肌から草原に変わります。ブロンクリ湖は青々として、周りの高山を映し、清々しい山岳風景が続きます。対岸には中国名では白沙山と言う砂漠の砂山のような変わった山がそびえています。崑崙山脈の最高峰ゴング―ル山(7719m)の西端に沿って南へ30分程走り、ようやくカラクリ湖(3600m)に着きました。

前回2007年の時はカラクリ湖で昼食を取り、付近を観光してから戻りましたが、今回はさらに先へ進みます。カラクリ湖の停留所では観光客が二人降りただけで、トイレ休憩も無く、バスはすぐに走りだしました。カラクリ湖の南端にはムスタグアタ山(7546m)がそびえており、少し雲がかかっていましたが、その威容がよく見えました。バスはそのムスタグアタ山の西端の山麓をぬけていきます。周囲にはタジク族のパオが点々とあり、羊や牛の放牧をしています。草原を30分ほど走ると、バスはムスタグアタ山の中腹にあるスバシ峠(4200m)に差し掛かりました。峠の上からこれまで通ってきた草原を振り返ると、ゴング―ル山やムスタグアタ山を遠景に広々と広がる草原が一望できました。峠を越えて、タシュクルガン・タジク自治県へ入りました。道はなだらかな下りになり、バスは両側に雪を抱いた山並みが続く平原を2時間ほど走り、18時頃ようやくタシュクルガンへ着きました。駅前でホテルを聞くと、町の南端にあるようで、タクシーで行けと言われましたので、タクシーを拾うと、少し走ってすぐホテルへ着きました。ホテルは民宿をりっぱにしたような小さなホテルでしたが、出来て間もないらしく、部屋が新しいのに救われました。

 

タシュクルガンを歩く

 タシュクルガンは小さな町でした。海抜は3100mだそうで、東には崑崙山脈の山々が続き、西側はカラコルム山脈へと続く山々がそびえています。その間を南のパキスタンへと延びる広々とした草原に町はありました。町の中心に民族の象徴である鷹のモニュメントがあり、あとは高く伸びたポプラ並木のメインストリートに沿って商店が集まっているだけでした。ただ、国境の町のせいか、23階建ての小さなホテルがたくさんあります。住民はほとんどがタジク族のようで、ウイグル族よりもアジア的な顔をしています。女性たちはきれいな刺繍をした赤い円筒の帽子を被り、その上からスカーフを被っています。ロングドレスではなく、普通のスカートを穿いていました。

 町の名所は石頭城です。タジク族の羯盤陀国(かつばんだ)の城として1世紀ごろ造られたと言われますが、詳しいことは分かりません。町の北側の小高い丘に5m程の城壁が丘を囲むように残されています。昔、シルクロードの商人達や仏教の僧侶達がこの城を目指して、街道を行き来したのではないでしょうか。城壁の上に立ってみると、東西を4000〜5000mの山々に囲まれ、北には遠くムスタグアタ山を臨み、遥かに北から南へ向かう草原を見渡すことができました。

 午後は石頭城からながめた草原へ降りてみました。草原の一部はアラール金草湿原という湿地公園になっていました。草原のところどころにタジク族のパオがあり、その周りをのんびりと羊や牛、馬などが牧草を食んでいます。湿地や小川に足を取られないよう気を付けながら草原を散策しました。高地なので寒さを心配しましたが、よく晴れていたので、逆に日射しが強く、だいぶ日焼けをしてしまいました。この時期は観光シーズンではないのか、町にあまり観光客はおらず、ゆったりと過ごすことができました。

 タシュクルガンに2泊し、三日目にカシュガルへ戻りました。バスの時間がよく分らなかったので、8時に駅へ行って待っていると、8時半に改札が始まり、9時に出発しました。天気は少し曇っていましたが、それでもムスタグアタ山が見え、高原の景色を楽しむことができました。また、スバシ峠ではふさふさした毛に包まれたイタチのようなタルバガンという動物をよく見かけました。ただ、ブロンクリ湖を過ぎて、ガイズ峡谷の下りに入ったところで大渋滞にぶつかりました。道路脇の瓦礫が崩落して道路をふさいだそうで、1時間以上も待たされました。帰りは食事休憩もなく、そのまま走り続け、16時にカシュガルへ戻りました。

 

パッカー老人旅行

 今回は飛行機を乗り継いで中国の西端にあるタシュクルガンへ出かけ、そこで2,3日を過ごしただけの旅行でした。民族紛争の直後でしたので、空港での検査は厳しいものがありましたが、それ以外は警官から尋問されることもなく、自由に旅行ができました。

 旅先では団体ツアーや専用車をチャーターすることもなく、地元の人が利用する公共バスを利用して、あちこち好きなように歩き回ります。周りから見ると、まるでバックバッカーならぬパッカー老人のように見えるかもしれません。幸い、日ごろ蘭州と言う高地に住んでいるせいか、食あたりをすることもなく、また、4000mを超える高原でも高山病に苦しむこともありませんでした。ただ、中国サイトで予約したホテルでは宿泊を断られました。中国の三つ星以下のホテルではトラブルがあった時の面倒さから外国人を泊めないところも少なくないようです。

 景観を別にして、今回の旅行で一番印象に残ったのは子供の笑顔でした。タシュクルガンで観光を終えてホテルへ戻る時、農家の畑の脇を歩いていると、34歳の子供達が遊んでいました。私を見ると、外国人を見つけたせいか皆笑顔で駆け寄ってきました。その中の一人が手に持った飴玉をニッコリ笑って、私に差し出しました。ウイグルやタジクの子供達はとても人懐こく、その笑顔にはなんとも癒されました。