ついに始まってしまいましたね。
また、新たに人類の歴史の一ページに戦争という文字が増えたことになります。
何千、何万の人の命を奪うことが、どうして正当化されるのでしょうか?
平和を戻すために戦争をする?
人類はまた、過ちを繰り返しているのでは?
・・・と、思ってしまいます。
戦争というのは文字とおり戦い争うことです。
テロに対しての戦争だということは、テロと同じレベルじゃないでしょうか?
テロを罰して初めてテロリストより、上位に立つものとしての義務を果たすことになるのではないのでしょうか?
これで、うまくテロが、弱小化していったとして、素直に喜べるかどうか、僕は疑問です。
各国のえらい人、アメリカの大統領というえらい人がやっていること。ですから、僕みたいなえらくないただの人間の考えることなんぞ、たいした意見にもならないのかも知れません。でも、本当にブッシュという人が「えらい人」なのか?については少なくとも僕は疑問です。
このHPで以前にも書きましたけれど、空爆が始まったとたんに花火みたいな新たな兵器が平気で、 (シャレにもならん?(^^; ) 紹介されてました、・・・やっぱり兵器の品評会がしたかったんじゃないの?
ホントに兵器を使用する必要があったのか?文明人がテロリストと同じレベルまで成り下がって戦いを挑む必要があったのか?
繰り返しになりますが、罰することはできなかったのか?
僕は昔から本をたいして読んでません。が、題名だけは知っている有名な2冊の本を思い出しました。
「戦争と平和」
「罪と罰」
兵器が平気で使われ、平気で自慢されていいものか?
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