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巷ではやれ片山恭一だの市川拓司だのと言ってますが、およそベストセラーという意味でいっ
たら、夏目漱石に叶う作家なんていないわけですよ。手元の新潮文庫版の奥付を見たら《百四十
刷》とか書かれていてマジでビックリしてしまった。 というわけで今回は、現代国語の教科書に連綿と採用され続ける漱石後期の大傑作、読書感想 文の定番中の定番『こころ』を取り上げることで、日本近代文学の精髄に対する私の深い教養と 鋭い考察を披露してゆきたい。 実は漱石で最後まで読んだがことあるのって、これと『それから』と『草枕』だけであるとか 、今回も榎本ナリコのコミカライズ版の感想を書くために読み直したのだとか、そういう些細な 背景にはこの際目をつぶっていく。 しかしこのお話、構成が完全に破綻してますね。 主人公《私》の回想による一人称で始まっておき ながら、途中からは《先生》が一人称で綴る書簡へとシフトしてしまい、その出来事を通して《 私》がどのような現在の姿を獲得しているのかは完全にスルーされたままになっているんだもの 。これではおそらくエンターテイメント系の新人賞に応募しても「読者が誰に感情移入すれば良 いのだかわからない」とかなんとか言われて、下読みではねられちゃうでしょう。 なんて難癖をつけてはみたものの、これが読み物として抜群に面白いこともまた事実。教科書 にのってるブンガク作品の中でも『こころ』だけは例外的に面白かった、という感想は様々なと ころで見聞きするが、若い主人公が高級リゾートで偶然知り合った魅力的な美中年の秘められた 過去を、薄皮を一枚づつ剥がすように暴いてゆくというプロットだけを見れば、紛うことなくミ ステリの範疇で語られるべきもので、もとより娯楽性の高さは折り紙付きと言えるだろう。 前述したように、主人公自身の物語はそっちのけになりながら、先生の生涯が明かされた時点 で読者が深い満足感を得てしまうというのは、読み手自身もすっかり語り手である《私》と同化 して、先生に対して深い興味と愛着を抱くようにさせられてしまっていることを裏書している。 確かに、作中に描かれる先生の私に対する気の引き方というか、思わせぶりなセリフで翻弄し ながら相手を焦らせるやりくちは天晴れなまでで、これが世に言う《誘われ攻め》というヤツ かと感心するばかりである。 いみじくもここで《攻め》という単語が出てきたが、現代の目から見て第一に感じるのは、主 人公である若い大学生=《私》の先生に対する傾倒がおよそ尋常のものではなく、ほとんどボー イズラブ、あるいはメンズラブと称せられる世界を想像させるまでに壮絶な好きっぷりを見せているということだろう。 と にもかくにも、第1部『先生と私』で交わされる二人のやりとりの濃厚なことといったらない。 なにしろ日本人の平均より75グラムも重い脳ミソを持つ近代最高の文豪の手になる珠玉のダイ アログだから、含意の深さも緊迫感も只者ではない。いやがうえにも萌え心をかきたてるこんな 会話をしょっちゅう二人でしていたら、その気がなくても転んでしまいそうだ。 実はBLなんて言葉は影も形もない80年代から、当時のジュネっ娘たちの間では、本作がそ っち方面の作品だという評価はすっかり確立していたようだ。かくいう私も大学時代、あこがれ ていたミステリ研の先輩(♀)から、Kが自殺をしたのは先生が好きだったからなのだという珍 説を披露された記憶がある。ようするに下宿屋のお嬢さんに対する恋情は、Kにとっては自分の 本心を押し隠すためのダミーに過ぎなかったというオチなわけだが、今回再読してわかったのは 、先生の遺書の中には、これらの憶測を生むに足るだけの矛盾点があるということだった。 『何時も立て切ってあるKと私の室との仕切りの襖が、この間の晩と同じ位開いています』 これは、新潮文庫版248ページに記載された、先生がKの自殺を発見した朝の模写である。 Kの死因は自らの頚動脈を刃物で切り裂いたという壮絶なもの。『襖に迸っている血潮』など という記述からも、その出血の激しさは想像がつく。切断した頚動脈から噴出する血流の音を 《もがり笛》などと表現することもあるくらいだというのに、襖一枚へだてた場所に寝ている (しかもその襖は上記のように開いている!)先生が、変事に気づかず朝までグッスリ寝てい るというのは、どうにも考えられない事態だ。むしろこの遺書そのものが、《私》に対して真 実を隠蔽し、誤った正解を与えるために執筆されたミスディレクションだったと考える方がシ ックリきそうである。 おそらくKは、先生によってその命をたたれたのだ。 遺書の中で先生が再三再四お嬢さんに対する恋情を語っているが、こちらの方こそがダミー だったのだ。これ以前にも先生は旅行先の房総の海岸で、お嬢さんへの恋慕の情を打ち明けた Kを海へと突き落とそうとしている。その時のKのリアクション「丁度好い、遣ってくれ」か ら類推しても、Kにとっても先生の気持ちは先刻理解されていたものと思われる。ようするに 別れ話の拗れだ。 幼い頃から愛し合ってきた自分を捨てて、下宿のお嬢さんとへ走ろうとするK。明治の社会 においては確実に日陰ものであるゲイという嗜好を封印し、ストレートとして生きてゆくとい う恋人の宣言に、先生は思い余ったのだ。他ならぬ自分自身がKに先んじてお嬢さんを細君と して迎えるように画策したのも、最も痛切な皮肉の効いた意趣返しと見るべきだろう。 けれども今また、年若い好みの男子=《私》が自分への愛情ゆえに、封印した過去を掘り返 そうとしている。このままではゲイでそのうえ殺人者という自分の秘密が暴かれてしまう。そ う思った先生は、自らの命と引き換えに《遺書》によって真実を隠蔽する最終手段に打って出 たのだ。 《明治の精神》に対する殉死なんてのは、たまたま乃木大将が死んだっていうので乗っかって みた後付けの理由に過ぎない。先生の死の本当の理由は、口封じのために《私》をこの手にか けることがないようにしたいという一種の緊急避難であり、その意味でいうならば彼は《ゲイ の純愛》に殉じたのだ。 この夏休み。読書感想文の宿題をかかえた学生諸君も少なくないだろう。中にはなにか参考 にはなるまいかと、検索エンジンに《こころ+漱石+感想文》などという元も子もないキーワ ードをつっこんでこのページにたどり着いた人間もいるだろう。 是非とも上記の考察を自分なりの文章にまとめて提出されたい。 もちろん、現代国語の成績が1になっても当方は一切感知しない。(05/08/10) |