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人と人との出会いが運命ならば、人と本との出会いもまた運命であろう。 マンガ新刊の平棚にならんだ三冊の単行本。山名沢湖という耳慣れない著者名に手を伸ばせば、 腰巻帯には二つの出版社が併記されて三冊同時発売との文字が躍る。有名作家のリイシュー本 というならともかく、おそらくは両出版社の担当レベルで、強い思い入れを背景として成立した画 期的な出来事であることは間違いない。 てなわけで、ぶっちゃけ一気に三冊お買い上げしてしまったというわけですわ。 山名沢湖は97年デビュー。これ以前には2003年の1月に初単行本(『いちご実験室』)が 出ているのみ。ちなみに現在絶版。はっやー。(いや、私は八方手を尽くしてGETしましたが) 当初の主戦場は講談社のプレティーン向け少女マンガ誌『なかよし』だったが、今回発売される三 冊の版元がエンターブレインだったり双葉社だったりすることを思えば、現在どんな客層に支持さ れているかはおおむね想像がつくところであろう。作家デビューがおそろしく低年齢化している少 女マンガ業界にあって、このように幅広い間口を持ちえたのは、同人誌活動を含めれば相当のヴェ テラン作家であることと無縁ではないはずだ。 マンガというのはビニール本状態での販売がデフォルトなので、書店での一目ぼれ要因はひとえ に表紙絵のそそり具合にかかっていると言ってよい。 山名沢湖の絵柄を一言で評するならば「かぁわいい♪」に尽きる。硬質の線で適度にデザイン化された画面構成は、精緻か つ大胆なトーンワークにも関わらず、健やかな白のイメージを印象つける。決して達者な画力とは いえないが、可愛さに反応する脳内レセプターのツボを確実に刺激する魅力を兼ね備えていること は確かだ。 もちろんお話の方も、絵の印象を裏切ることはない。 三冊同時発売の1冊『委員長お手をどうぞ』は、まさしくタイトル通りの学園ラブコメで、学級委 員を筆頭に風紀委員や図書委員といった様々な《委員長》たちを主人公にしたオムニバスとなって いる。 主人公が委員長ときて表紙絵がメガネっ娘となれば、ありきたりの萌え属性刺激が思い起こ されるはずだが、おそらくはその手の消費特性を喚起しながら軽やかに肩透かしをくらわせ、等身 大の悩みやトキメキを真摯に(かつまったりと)語ってしまうところにこそ、この作家の特徴があ ることを強調しておきたい。 《委員長》という肩書きでしか認識されないことに悩んでしまう生真 面目な学級委員長や、学校に対する違和感を克服する手段として進んで校則を遵守しようとする風 紀委員長等、そこに息をし生きているのは、物語として消費されることを目的とした登場人物では なく、現実との折り合いというメインテーマと密かに格闘を続ける少女の姿に他ならない。 社会と自分の間に微かな齟齬を感じながら生きる少女の多くは、己の中に空想の世界を育むよう になる。平凡な世界のありようも、彼女たちの瞳を通すことで違った姿を見せる。第二の単行本『 スミレステッチ』は、見え方ひとつで素敵なファンタジーを生み出すことさえ出来る少女たちの日 常を綴った作品集で、ここからが山名沢湖の真骨頂というべき世界が展開される。 乙女心が臨界点に達すると物理法則を無視したオトメチック現象が発生するという星菫女学院を 舞台にしたスラップスティック連作や、雨粒を通して持ち物が入れ替わる超常的ボーイミーツガー ルを描いた『つづく・しずく・しずか』等は、テリー・ビッスンや竹本泉(こっちも『なかよし』 出身作家だ!)を思わせるカラッと牧歌的なホラ話の系譜につながる、より少女度の高い変奏曲と 言えるだろう。中世小噺風の『サルビアドレス』や剣と魔法のほろ苦いファンタジー『勇者レティ シアの物語』等で見せる、確かな《語りの力》も特筆に価する。 というわけで、これら二冊の単行本だけでも山名沢湖というマンガ家の魅力と実力は十二分に感 じ取れるわけだが、私が一番にオススメしたいのは前述した二冊の特徴でもある、等身大の日常風 景とありえないSF的設定が渾然一体となった個性派短編そろいの『白のふわふわ』である。 掲載誌の関係上か、主人公が10代少女に限定されず、おそらくは作者本人の反映とも言うべき若 奥様(どういうわけかダンナさんはみんな眼鏡着用!)が多く見られるのも本短編集の特徴だが 、引越し先の新居の隣には格闘家のカエルが住んでいた(カエルBOX)とか、夜になると体が無 限に伸びる夫にお星様をとってきてもらう(ヨル☆ノビル)といった荒唐無稽な作品にしても、万 歩計を通してスーパーの鮮魚売り場から《世界の広さ》を再認識してしまう『なつくさ万歩計』や 、マンションのベランダから天空を駆ける『迷子になる』まで、9つの作品全ての通奏低音として 機能しているのは、ここではない世界がいつも日常と隣あわせに存在するという、圧倒的なまでの センス・オブ・ワンダーである。 これらの作品を読むと、山名の描く《少女》という存在が、決して年齢によってその特性を規定 されているわけではないことに気づかされる。おそらく山名にとって少女とは《夢見る女の子》で はなく、夢を見つづけながら生きることを自発的に選択した女性を定義する概念なのだろう。 そしてまたその定義は、世界と自分との齟齬というキーワードをもって読み解くのならば、夢を見 ながら生きることを余儀なくされたかつての少女たちと言い換えることも可能なはずだ。 そんな想いをとりわけ強く感じさせるのが、本短編集のハイライトとも言うべき、わずか16ペ ージの掌編『ハミング』である。 主人公の少女は《たいせつなものをしまうかばん》を持っていた。幼い頃はおもちゃやビー玉を 入れたそのカバンに、恋をした彼女はラブレターやファーストキスの思い出をしまっていく。 「あなたと出会って世界中がたいせつなものに見える」とハミングする少女。 けれども、たいせつな彼氏の心は、他の女の子に移りかけていた。 少女はカバンにおねがいする。 「彼がわたしにとってたいせつなものであるうちに、あなたの中にしまいこんで」 というわけで、リラダンの残酷物語もかくやというこの後の展開に関しては、実際に書籍を手 にとって確かめてもらうとして、私が注目したいのは、ここまで壮絶な展開を見せるこの短編が、決 して単なるバッドエンドに終わってはいないという点にこそあるのだ。 少女たちに夢見る力を与えたものが、時に過酷で理不尽なありようを見せる《世界》を、どうに かして愛していくための方便だとするならば、成長した彼女たちがそれでも星や菫に夢を託しつづ けるのは、夢見ることが現実に拮抗するための方法へと昇華されたことの証であろう。 山名沢湖の描き出す《可愛さ》は、ままにならない現実の上にしっかりと両足をふんばりながら 、星だの花だの女々しいモチーフをロマンチックに歌い上げつづける勇気と矜持を全身で示し た、年齢を超えて《少女》として生きる全ての女性たち(あるいは男性たち)の賛歌でもあるのだ。 (04/12/15) |